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星は風にそよぐ(第12回/最終話)

6月15日
 先生。昨日の夜も寝不足で、とってもまぶたが重いけれど、コンサートのことは、やっぱり今日のうちに書いておこうと思います。

 朝起きたとき、私はとにかくコンサートに集中しようと思いました。今は自分のことなんて考えず、子どもたちが、そして精霊たちが最高の時間を過ごせるように、心を込めてお手伝いをしよう、と心に決めました。

 コンサートの設営は午後1時から始まりました。場所は、ミリエル先生が成長を助けたあの苗木たちの植わっているところです。苗木はまだおとなの腰丈ほどもないので、森の中であっても、そこは青空がぽっかりと大きく見えていました。雲一つない快晴でした。音の確認をするアンリとロランの電子ピアノ演奏を聴きながら、私はアナベルやクロード先生と一緒にイスを並べました。
 「きらきらぼし」と「野ばら」でミリエル先生もライアーを演奏してくれることになっていたので、先生は、森に溶けていってしまいそうな深いモスグリーンのドレスを着ていました。アンリとロランは、ビストロミュジークのミニコンサートと同じ、白いシャツに黒いパンツというスタイル。
 4時ごろには準備がすっかり整ったので、一度学校へ戻って、みんなでお茶を飲みました。フォレスト先生がお茶の用意をしてくれていて、
「シンディのうちのイチゴ農園から、イチゴタルトの差し入れが届いていますよ」
という天にも昇るようなことを知らせてくれました。それは、ぱくっと食べられる一口サイズの小さな丸いタルトでした。憧れのイチゴタルト! 小さなタルトと言っても、あの大粒の輝くイチゴがひとつ載っていましたよ。私は、涙が出るほどうれしかったです。いや、本当に涙が出ました。

 さあ先生、いよいよコンサートのことを話します。
 私に遠慮してか、開場までクロード先生のうちで過ごしていたロビンでしたが、コンサートでは私の隣に座りました。白いケープを身につけて舞台に並んだ子どもたちは、本当の天使のようでした。
 「安かれわが心よ」の前奏が始まったとき、私は大きく大きく息をしました。そのあと、息をするのも忘れてしまうかもしれないと思ったからです。私もアベルのように、すべての歌を味わい尽くそうと思いました。
 まだ薄明りの残る夜の空気の中へ、子どもたちの歌声が静かに静かに流れていきました。ミリエル先生が、他の森に移ってしまった精霊たちへ、この歌声を風に乗せて送りました。歌声に耳を傾けているすべての人のエネルギーが、安らいでいました。
 1年生から3年生の「きらきらぼし」。この子たちがいとおしくてたまらない、と思いました。私は、初めてこの学校に来た日のことを思い出していました。カーテンを通して入る穏やかな光に、子どもたちの金や栗色の髪が輝いていたあの風景を。「きらきらぼし」を一生懸命に歌うミアは、「彼方の光」を歌うときのミアとは、違う人のように見えました。
 4年生から6年生の「野ばら」。精霊術クラスのおかげで、違う学年の子たちとも交流できて本当によかったです。知っている子の顔をひとりひとり丁寧に愛情を込めて見ていきました。クレアの顔を見たとき、摘まれてしまう前に香り高く真っ赤に咲く野ばらがクレアと重なって、また涙が出てきてしまいました。「摘むならトゲで刺すわよ」と言っているところも、なんだかクレアを想わせました。
 ここまで、私の心は本当に安らかでした。精霊たちも集まってきて、周囲のエネルギーがだんだんと高まってくるのを感じていました。夜の涼しい空気の中に、いろんな色のエネルギーが見えました。
 でも、アンリとロランの「マン・イン・ザ・ミラー」が始まると、私の心がざわつきました。リハーサルのときは、ふたりのハーモニーの美しさにただただ感動したのに。「変えたいんだ。人生で一度だけでも」というアンリの歌い出しで、私は昨日のロビンとの会話を思い出してしまいました。誰かの言った「変化になれ」という言葉が、私の頭の中にこだましました。「マン・イン・ザ・ミラー」は、私の大好きな曲だったんです。「世界を良くしたいなら、まずは鏡の中にいる自分自身から変えてみよう」という歌詞が素敵で。だけど、いざとなると、変化は怖い。楽しい変化なら飛びつきますけど、ロビンが私に提案した変化は厳しいものだったから。どうしても、やれるとは思えなかったから。
「アンリ、ロラン、そんなに心に響く声で歌わないで。どうしてこの曲を選んだの? もしかして、レディに書いてあったの?」
彼らの歌を聴きながら、私はそう思いました。
 そして、クレアの「牧神の午後への前奏曲」も、音楽室で聴いたときのようにファンタジーの世界に入り込むことはできませんでした。「やりたいと思ったら、グズグズ考えてないで、どんどんやっていかなくちゃいけないの」と言うクレアの強い表情が脳裏に浮かび、「期限を知っているから、命を無駄にすり減らしたりしない」というクリスの言葉も耳に響いてきます。私は息が苦しくなってきました。
 苦しくてロビンの方を見ると、ロビンは心配そうにこちらを見ていました。そして、また私の頭をやさしくなでてくれました。

 最後の曲「彼方の光」の前に、すべての照明が消されました。苗木の上にとまったたくさんの蛍の光が浮かび上がり、客席の子どもたちから「わあ!」という歓声が上がりました。無数の緑の光が、まるで歌うように点滅しています。空中を瞬きながら滑っていく蛍たちもたくさんいます。頭上高く飛ぶ蛍を見上げたとき、大きな大きな星が目に入りました。船の窓から真夜中に見たあの星くらい大きな星です。そして、ミアが歌い始めました。続いてコーラスが。子どもたちのエネルギーと精霊たちの喜びのエネルギーが混ざり合い調和し合って、オーロラのような光が周囲に満ちました。そのとき私の頭に浮かんだのは、あの神話のタペストリーでした。タペストリー美術館で見た「眠りの村」のタペストリー。木の間から大きな星の光が射し、銀色に輝きながら若芽が萌え出しているシーンを描いたあの絵です。神話の少女は、その情景を見て自分の目的を思い出し、故郷へ帰って村人たちの眠りを覚ますのです。
 私の目から、涙がこぼれました。それは、安堵の涙だったかもしれません。私はロビンに小声で言いました。
「ああ、もう。これ、絶対に『意味がある』パターンです。神さまが伏線を回収する気満々のパターンですよ、ロビン」
そしたらロビンが
「君の心の底にある願いを知っているよ」
とささやいて、にっこり笑いました。ロビンの無邪気な笑顔につられて、私もにっこり笑い返してしまいました。このとき、私の心は決まりました。これくらいはっきりと「意味がある」を見せてくれると、ありがたいです。「お前にはできる」っていう神さまからのお墨付きをもらったみたいなものですからね。
 アンコールの曲は練習していなかったので、もう一度「安かれわが心よ」を歌うことになりました。今度は会場の人たちもみんな一緒に。あちこちから鈴の鳴るような音が聞こえたのは、精霊たちの歌声だったのでしょうか。

 コンサートのあと、私はロビンに言いました。
「もう迷いません。私はイシアスに帰って、母の眠りを覚まさせます」
それを聞いたロビンは言いました。
「そう。じゃあ、僕は先生に報告しなきゃね。今から帰れば、明日の朝には着くよ」
「ええっ! 今から? メッセージを風に乗せればいいじゃないですか。せめて、夕食を食べて発ったらどうですか? お腹すきますよ。報告なら今夜、私が日記を書けば、それで先生には伝わるんですから」
私がそう言っている間に、ロビンの姿は見えなくなってしまいました。そして、風の中から笑い声と一緒に
「先生に早く会いたいからさ」
という声が聞こえました。

6月16日

 今朝はなんだか力が抜けて、身体が軽くなったような気がしました。森の人に習わなくても、このまま風になれそうな気分でしたよ。今、私は「心を決めること」の効能を実感しています。覚悟が決まると、こんなに身も心も軽くなるんですね。自分の場所に座り耳を澄ましたときに聞こえてくる音もクリアでした。コマドリがあんまり楽しげに歌っているので、
「今日はいつも以上に機嫌が良さそうね」
と声をかけると
「君がとっても楽しそうだから」
という答えが返ってきました。いつも機嫌のいい人は運がいい、ということのメカニズムが、なんとなくわかったような気がします。

 朝食のあと、私はタペストリー美術館へ行きました。もう一度「眠りの村」のタペストリーを見たくなったからです。大きな星の光が木の間から射しこんで、村人たちの眠りを覚ます薬草の若芽が、輝きながら萌え出す場面を描いた1枚と、楽園の美しさのとりこになり、自分の目的を忘れた少女が水の精霊に出会う場面を描いたもう1枚。
 少女が水の精霊と出会う場面の背景に、大きな岩が描かれていました。そして、水の精霊の顔をよくよく見て、私は思わず吹き出してしまいました。だって、ロビンにそっくりだったんですよ。もはや、驚くより、笑ってしまいました。
「神さま、ありがとう。私、頑張ります。見守っていてください」
私は神さまにお礼を言いました。

 今日は、ミリエル先生も招いて、家族がコンサートのお疲れさま会を開いてくれました。コンサートに来させてもらえなかったというのに、なんてやさしい人たちなんでしょう! そしてメニューは、なんと、ベルナールが得意のスパイスカレーを、トミーがヨーグルトクリームタルトを作ってくれたんです。ああ、ロビン。これを食べてから帰ったらよかったのに。
 スパイスカレーのレシピは、ベルナールが長年スパイス研究を重ねて、これぞという配合を導き出したものだそうです。モニカと一緒に昨夜から仕込んでおいてくれた付け合わせの酢漬け玉ねぎやキャベツ、ターメリックと炒めたじゃがいも、クミンシードの香りを効かせたにんじんサラダもとっても美味しくて、食べても食べても食欲が増進される感じでした。トミーのヨーグルトクリームタルトにはベリーヒルズで採れ始めたばかりのブルーベリーが飾られていました。
「わあ。ベリーヒルズに来て初めてのブルーベリーだ」
と私がはしゃいでいると、
「初物を食べると、寿命が延びるんだって」
とトミーが教えてくれました。トミーって、やさしくて、賢くて、物知りだなあ。クロード先生に心の底から言いたいです。
「本当に素敵なお孫さんですね」
って。
 コンサートの話が聞きたくてたまらなかったベルナール、モニカ、トミーに、アナベル、クロード先生、ミリエル先生があの素晴らしかったコンサートの報告をしている間、私はおいしいものに誘惑されて心が揺らがないうちにみんなに自分の決心を話しておこうと考えていました。それで、デザートを食べ終え、トミーがみんなにコーヒーのおかわりを注いでいるときに、切り出しました。
 みんなは黙って笑顔でうなづきました。そのとき、気が付きました。みんな知っていたんですね。みんなのレディに書いてあったんですね。そりゃあ、毎日一緒に過ごしていた人間がいなくなるんですから、1行ぐらいは書いてありますよね。これが行間にしか書かれていなかったとしたら、そんなに小さいイベントなのかと、かえって傷つきますよ。私にとっては一大決心なんだから、書いておいてもらわないと。
 それから私は、ロビンから聞いた森の人のことや自分がこれからしようとしていることをみんなに話しました。
「イシアスへは何で帰るの?」
とトミーに訊かれたので、フライングカーではロータシアに入国できないので、自分のフライングカーをお隣の国、キールのイシアス大使館に預けているのだと説明しました。
「キールからは、キール在住のロータシア大使館員さんが私を高速艇でリリーアイランドに送り届けてくれるように、ステファニー先生が手配してくれたの。そう言えば、フライングカーがロータシアの領空に侵入すると、自動運転が作動しなくなるっていうのは有名な話ですけど、どうやってるんですか? それって、きっと高度なテクノロジーですよね」
と私が言うと、クロード先生が言いました。
「ロータシアはテクノロジーを捨てたわけじゃないのよ。国の防衛をステファニーたちだけに背負わせるわけにはいかない。ステファニーやロビン、ミリエル、ジャン、ミア、そしてアベル、私の大切な人たちを戦士になんかしたくないものね。だから、私たち科学者は常に世界を監視しているの。想いだけでは国を守れないから、国防に関してはテクノロジーでも世界に後れを取らないよう研究し続けている。私たちの温かい日常を守るためにね。10パーセントしか使われていないと言われている人間の脳を100パーセント使ったとしても、人間はコンピュータの計算能力にはまったく敵わない。でも発想はどう? 私たちは、AIには閃くことができない発想のできる子どもたちを育てようとしている。トミーもそのひとりよ。自分の孫ながら、彼はロータシアの未来を託せる素晴らしい科学者に必ずなると思うわ」

 先生、ロータシアって、すごい国ですね。たましいだけではない、テクノロジーだけでもない、その両方を持つ国。

 さて。明日からは決意を新たに、新しい日記帳に日記を書こうと思います。だって、ここに書いていたら、帰ってから先生にするお土産話がなくなってしまうでしょう? 来週末は、マリーに会いに、グレイスのワイナリーへ行ってくるつもりなんですよ。

 子どもたちはあと1か月で学年が終了。そしたら、長い楽しい夏休みです。私も、アナベルを連れて、シャインウッドに帰ります。クリスも呼んであげなきゃ。クリスは先生を取材したがっていたから。きっと、ロビンにもイシアスでのことを根掘り葉掘り訊くんだろうな。
 そして、アナベルが森の撮影を終えてベリーヒルズに戻ったら、私もイシアスへ帰ります。よーし、頑張るぞ。

 それでは夏休みに。それまで先生とロビンによい風が吹きますように。

おわり



「安かれわが心よ」

「マン・イン・ザ・ミラー」

「彼方の光」


~参考文献~

松井るり子「私のまわりは美しい 14歳までのシュタイナー教育」学陽書房
河合隼雄「ケルトを巡る旅」講談社+α文庫
河合隼雄「こころとお話のゆくえ」河出文庫
クラーク「幼年期の終わり」光文社古典新訳文庫


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