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5年前、ユータヌキさんがナイショでくれた、1通の“やさしさ”

今年も盆休みは墓参りから始まった。
降り始めた雨を見て、だれからともなく「父さんだ」と言い出す。父は雨男だったのだ。結婚式も七五三も、夏のキャンプも誕生日も、大事な日はいつも雨。告別式なんか風も唸りを上げる荒天だった。激しく窓を打つ雨の音と「なんでバレンタインデーにお別れしなきゃなんないのよ」という母のセリフだけが記憶にある。
ひどい雨男のくせして休日や祭りが大好き。あの父が墓地なんかにいるわけがないと思いながら、家族でお参りへ行く。今年でもう7回目になるか。

たいていの人は死んだら“いい人”になると、父が死んで知った。嫌なことをされた記憶も苦手だった癖も、みんなひっくるめて「でもいい人だったよね」と言えるようになる。不思議なことだ。もしかするとこれは、忘れられたくない死者たちの魔法なのかもしれない。
私は見事にそれにかかって、父のことを1日も欠かさず懐かしんできた。想うのではない。想っても届けられないから懐かしむことしかできなかったのだが、それは途方もなく孤独で、苦しかった。

父を亡くして2ヶ月も経たないうちに、父の職場付近にある高校へ進学した。第一志望だったのに、電車に乗るたび「受かったらバイクで送ってやるよ」「恥ずかしいから最寄りまでにしてよ」という会話が脳内をグルグルするので、通うのが辛くて仕方なかった。
でも出会ったばかりの友人や先生にそんなことを話せるはずもなく、家族の前でもクヨクヨできなくて。(父から「長子はしっかりしろ」と育てられた)
その苦しさを吐き出すような形で、ある漫画家さんへDMを送ってしまったことがある……吉本ユータヌキさんへ。
たしか、ユータヌキさんがだれかを亡くしてショックという旨のツイートをしているのを見て、送ったのだと思う。

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生意気だな……16歳のくせになにを悟ったようなことを、と気恥ずかしささえ覚える。
ただ、5年前の駄文を久しぶりに読んで気づいた。当時私がこのメッセージを送ったふたつの意味に。

ひとつは「正しく生きろと自分に言い聞かせたかった」ということ。
この頃、毎日死にたかった。「天国から見守ってくれているよ」なんて言われるたび、なら私もそこへ行かせてほしいと思った。私から父さんが見えなくては意味がないもの。だったら父さんと会えて、だれしもを見渡せる天国とやらに行きたいと本気で思っていた。
その中で自死を選ばなかったのは、家族や友達のためなんて綺麗な理由じゃない。死ぬ勇気がなかっただけだ。でも同時に「死を選ぶのは間違い」とは思っていたから、こんなふうに書いたのだと思う。
生きるのが正しいことだと思っていたし、無気力な生は正しくないと信じていたと、読み返してわかる。
別に「死ねないし、生きるか〜」くらいでもいいのにね。

ふたつめは「ここにも独りの人がいる」という同族意識
なにをしていても「どうせひとりだ」と思っていた。励ましも高校生活も、なにも嬉しくなかったから。
楽しそうな人たちが羨ましかったし、そんな人たちにはずっと楽しそうにしていてほしかった。私が目に留まったからって、思い出したように「大丈夫?」なんて言ってほしくなかった。同じ経験をしていないのだからわからないだろうと、もらった言葉はぜんぶ突っぱねた。そうしているうち、人が大嫌いになった。
あのときの私の孤独は、だれかに寄り添われて癒えるようなものではなかったのだ。同じような「独り」を見つけたときだけ、心が安らいだ。
「きみは独りじゃない」より「あの人も独りだ」の方がずっと私を救った。


だからあんなDMを送ってしまったのだと思う。ユータヌキさんを元気付けるためなんかじゃない。自分のためだ。嫌悪していた周囲の人間と同じことをしてしまっていたと気づき、恥ずかしくなる。
でもユータヌキさんはそんな身勝手な声に、わざわざ返信をくださった。

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当時、周囲からの言葉はどれも「冷たい人と思われたくない」「可哀想だから」「友達だから」などの、自己保身や哀れみ、義務感を孕んでいるように感じてしまって、素直に受け取れなかった。
そんなときにお会いしたこともない方からあたたかい言葉をもらい、初めて“純粋な善意”に触れた気がして、とても嬉しかった。

世の中には純粋なやさしさを持つ人がたしかにいるということ。
これにSNSを通して気づいたと話すと「身の回りにそういう人がいなかったの?」と哀れまれてしまうかもしれないが、そうではない。きっとそういう人もいてくれたはずだが、それを判断できるほど真摯に人と向き合う体力や気力が当時の私にはなかったということだ。
だから「私を知らない人からの言葉」はわかりやすく“見返りを求めない善意”として受け入れられたし、その後、人に対しての考え方が変わるきっかけにもなった。


高校を出て以降、意識的に人に会いに行き、話をした。仕事で繋がりができた人、学生の頃は仲良くできなかった友達、旅先や喫茶店で出会ったおじいさんおばあさん……。いろんな人に出会い、いろんな話を聞いているうち、私はすこしずつ変わっていった。
父を忘れてはいないし時折泣いてしまうけど、それでも生きていこうと、今は綺麗事じゃなく思える。顔を上げれば人がそばにいてくれるし、彼らを信じられるようになったから。

今は“物書きになる”という夢が諦められなくて、あの頃とはまた違う苦しさがあるが、へいき。「こわくて死ねないけど生きるのは苦しい」から「生きたいように生きるために苦しい」と思えるところまで来られたんだもの。

人を信じられなくなったり孤独に苦しんだりする時間は、だれしもあると思う。でも、どうか絶望では終わらないで。
すぐに抜け出せなんて言わない。どれだけ時間をかけてもいいから、人や、人々の中で生きる自分を諦めないでほしい。

身近な人に打ち明けるのがこわければ、匿名で洗いざらい辛さを吐き出したり(※)、ノートに思いを言語化したりしてみてもいい。とにかくまずは、あなたの苦しさをあなたから出してあげて
胸のつかえが取れて周りを見られるようになったら、言葉をくれた人と向き合ってみたり、自分からだれかに声をかけたりと、すこしずつでも人と関わるようにしてみてほしい。
(※だれかを傷つけるのではなくあくまで自分の辛さを吐くだけ、また個人情報は伏せた上で)
大丈夫。純粋にあなたの力になりたいと思ってくれる人は、あなたが思っているよりたくさんいる。そんな人と出会って、自分をすくってあげるために、人を諦めないで。

人が人と傷つけあってしまうことも、人との関わりの中でかなしみが生まれることも事実。でも、ズタボロになった人をすくってくれるのもまた、人だから

5年前、ユータヌキさんがナイショでくれた、1通の“やさしさ”。感謝を込めて、みんなにシェアします。



#吉本ユータヌキ  さん #8月31日の夜に #note #エッセイ 
#いじめ  #学校行きたくない #不登校 #死にたい  


ご協力いただいた方:吉本ユータヌキさん

後記:
このnoteを投稿するにあたり、ユータヌキさんへ5年ぶりにDMをお送りしました。原稿も読んでいただいた上で、迅速かつ丁寧にお返事をくださって、素敵な方は素敵なままなんだなと嬉しくなりました。
5年前にDMをお送りした当時はたしか、まだおもちちゃんひとりっ子だった気がします。この5年の間におもちちゃんはお姉ちゃんになって、そのようすを漫画で伝えてくださって。画面の向こうで「よかったなぁ」と笑っている人は、私を含めて多くいることでしょう。
きっとそんな感じで、自分に直接影響がなくても、あなたを心配したり力になってくれたり、あなたが生きることをいっしょに喜んでくれたりする人は、どこかにかならずいるんです。人はひとり、だけど、だからみんなで生きていく。そんなことを、5年前、そして5年前を思い出しながら書いたこのエッセイを通して改めて学べた気がしました。
改めまして、ユータヌキさん、ありがとうございました。これからも漫画楽しく拝見します!
ユータヌキさんのファンより。

お読みいただきありがとうございます。 物書きになるべく上京し、編集者として働きながらnoteを執筆しています。ぜひまた読みに来てください。あなたの応援が励みになります。