歌わないセイレーン

 エレベーターの横に一枚の貼り紙。
“引っ越しの荷物を運んでいます。女性は階段を使ってください”
“エレベーターのセイレーン”の餌食にならないための貼り紙だ。アドリア海に面したこの小国では、十八歳以上の見知らぬ男女が同じエレベーターに乗ることは、タブーとされている。エレベーターというものがこの国に初めて設置された19世紀末以降、見知らぬ女とエレベーターに乗り合わせた男が、それきり行方知れずになる事件が相次いだからだ。失踪するのはきまって成人男性だったことから、エレベーターには男を惑わす妖女が棲んでいるにちがいないと、いつしか人々はギリシャ神話のセイレーンになぞらえて、その妖女を“エレベーターのセイレーン”と呼ぶようになった。
 見知らぬ女とエレベーターに乗った男が行方知れずになるなどというのは、たんなる都市伝説にすぎず、事件ではないと考える者もいるし、とくに若者の中には、“エレベーターのセイレーン”なんて迷信だと一笑に付す者が多いものの、百年ほどのあいだに根を下ろした恐怖心は拭い去りがたいようで、新しい高層ビルには、ごていねいにも男性用と女性用のエレベーターが別々に設置されている。
 今日、この古いアパートメントの四階に引っ越してきた十八歳のダミールも若者の例に漏れず、“エレベーターのセイレーン”はたんなる迷信にすぎないと確信しているひとりだ。ところが、引っ越しを手伝ってくれた父親と伯父は、「知らない女とはエレベーターに乗るな」と、強くダミールに忠告した。
 伯父にいたっては、ひとりの友人の失踪を、“エレベーターのセイレーン”のせいだと固く信じているようだった。
「伯父さんの友だちにも、昔、行方知れずになった男がいたんだから」
「エレベーターのせいとはかぎらないだろ」とダミールは呆れて言い返した。「人生に嫌気が差して、なにもかも捨てて別の街や、ひょっとしたら外国でやり直したくなったのかもしれないし、借金から逃げるために姿をくらましたのかもしれないじゃないか」
「いや、あいつには借金なんかなかったし、悩んでいるふうにも見えなかった」
「悩んでるかどうかなんて、他人からはわからないもんだろ。それに、知らない女とエレベーターに乗ったのを誰か見たのか。そのあとでエレベーターから出てこなかったのを見たヤツがいたのか」
「エレベーターから出てこなかったかどうはわからない。だけどな、あいつが夕方、若い女と一緒にエレベーターに乗るのを見た人間は、たしかにいたんだ。その夜、あいつは家に帰らず、次の日は会社に姿を見せなかった。それきり行方知れずになったんだ。伯父さんだって、それまでは“エレベーターのセイレーン”なんて真に受けてなかったが、あれ以来、用心するに越したことはないと思うようになった。第一、おまえは若いんだから、四階なんて歩けばいい。エレベーターは使うなよ」
 伯父に言われるまでもなく、四階にある自分の部屋までの上り下りにエレベーターを使うつもりは、ダミールにはなかった。そもそも身体を動かすのが好きだったし、二十世紀初頭に建てられた古いアパートメントのエレベーターは、この国のあちこちにいまだに残っている古色蒼然たる代物で、手間がかかるのだ。
 エレベーターに乗るにはまず、細かい網囲いの扉の横にある小さな丸いボタンを押す。すると、凝った装飾を施された蛇腹式の内扉を備えたカゴが、ギシギシと音を立てながら近づいてくる。カゴが停止したら、細かい網状の外扉を引き開ける。つぎに、カゴの蛇腹式の内扉を、折りたたむようにしながら開けて乗り込む。乗り込んだら、今度は外側の扉を閉めてから内側の蛇腹を広げ、それでやっと目的階のボタンを押せるのだ。
 そんなことをしているあいだに、ダミールの脚なら四階まで駆け上がることができるだろう。
「だいじょうぶだよ。エレベーターなんか使わないから」ダミールは伯父に請け合った。

 入学直後の数カ月間、ダミールは首都での学生生活を満喫した。高校一年の時からつき合っている同級生のラナが初めてダミールのアパートメントに来た時、ラナは建物に入るなり、エレベーターに足を向けた。
「エレベーターには乗らないって、伯父さんと約束したんだけどな」ダミールは、ボタンを押すラナを見て笑みを洩らした。
 ラナは肩越しにダミールを振り返った。「それは“エレベーターのセイレーン”のせいでしょ? 私は“見知らぬ女”じゃないからだいじょうぶ」
 カゴが下りてきて、ダミールは外扉と内扉を開けると、ラナを先に通してから、自分も乗り込んだ。ダミールが両方の扉を閉めて四階のボタンを押すと、ラナはダミールの胸板に両手を置いた。そして右手でダミールの首筋を撫で上げながら、左手で彼のパーカーのジッパーを下ろしはじめた。
 その夜、ラナは泊まっていき、ダミールは、古いエレベーターも悪くはないと考えた。
 大学のほうも悪くはなかった。この国唯一の芸術大学映像学科とあって、ひと癖もふた癖もある連中との出会いが待っていた。中でも、日本語ができるマルコと知り合えたことが、ダミールには嬉しかった。
 映画製作を学ぶために映像学科を選んだダミールが日本語に興味を持ったのは、もちろん映画がきっかけだった。小学生の頃からアニメや映画が好きで、衛星放送で放映される映画を片っ端から観ていたが、中学を卒業する頃に、膨大な映画のコレクションを持つ初老の夫婦が隣に引っ越してきたのだった。高校時代、ダミールはしょっちゅう隣家へ行き、テレビではめったに放映されることのない珍しい映画のDVDを観せてもらった。
 外国映画のほとんどは字幕が英語だったが、かつて首都で貿易業を営んでいた老夫婦は英語が堪能だったし、ダミールも英語には不自由しなかった。幼い頃からディズニー映画を英語で観ていた上に、中学に入ると、英米の映画を字幕や吹き替えなしで観るだけでなく、小説にも原語で楽しむようになっていたからだ。
 隣家の夫婦が初めて観せてくれた日本映画は、小津の『東京物語』だった。ダミールは小津独特のカメラアングルだけでなく、日本語という言語の音にも興味を引かれた。日本語はすべての子音に母音がセットになっている。しかも、子音が極端に少ないように感じられたし、不思議なイントネーションだった。
『東京物語』を見終わる頃、ダミールは “Thank you”が日本語では “Arigato”だということを学んでいた。笠智衆が口にする“Arigato”という、穏やかな抑揚が耳に残った。
 隣家の夫婦は、十六歳の少年が古い日本映画を気に入ったのを見ておおいに喜び、黒澤や溝口、市川といった巨匠の一九四〇年代、五〇年代の作品から、伊丹や北野による比較的最近の映画まで、次々に観せてくれた。ダミールは英語字幕を追いながらも、無意識のうちに日本語に耳を傾けていたようで、やがて“Arigato”以外にも、字幕を見なくても理解できる表現が少しずつ増えていった。
 そうなると、英語の時のように日本語も使いこなせるようになるかもしれないという気がしてきて、日本の文字を学んでみることにした。英語を身につけた時、耳で聴くだけでなく、小説を原書で読むようになってから飛躍的に英語力が伸びたのを実感していたからだ。
 まずひらがなを、つぎにカタカナを憶えた。だが、それだけでは日本語を読むことはできない。日本人は膨大な数の漢字まで使いこなしているのだ。ダミールは“山”や“川”といった簡単な漢字はどうにか暗記したものの、漢字の習得は遅々として進まなかった。
 そんな段階で大学に入学し、出会ったのがマルコだった。高校では、日本語に興味を持つ同級生はいなかったが、同じ映像学科に籍を置くマルコはアニメ・フリークで、アニメがきっかけで日本語を学びはじめたという。そこまではダミールに似ていたが、マルコは恐ろしい数の漢字をすでに習得していた。そしてその漢字力を武器に、日本の“ラノベ”という分野の小説を読んでいた。
「まず常用漢字を丸暗記するんだ」とマルコは言った。
「 “jyoyo-kanji”?」
「日本人が学校で習う基本的な漢字のことだ」
「いくつあるんだ?」
「二一三六」
「二一三六!」ダミールの声は裏返った。「どうやってそんなに憶えたんだ?」
「Ankiっていう、暗記に使うアプリがある。それを使ったんだ。三カ月で憶えた」
「三カ月!」
「憶えはじめたら、けっこうおもしろいぞ」
 そう言われてダミールも挑戦したが、一週間で挫折した。そして、日本語の小説を読むなんて、自分にはとうてい無理なのかもしれないと弱気になった。
 ただし、完全無欠に見えたマルコの日本語力にも弱点があった。日本語を話したことはなかったのだ。
「日本人と喋ってみたいな」マルコは言った。
「スカイプでも使って、語学サイトで話してみたらどうだ?」ダミールは提案した。
「それも考えたけど、知らないヤツとネット越しに、いきなり日本語で喋るなんて、自信ねえよ」
「おまえほど日本語ができても?」
 そんなやり取りがあってからほどなく、この街に日本語教室があるのをダミールは知り、マルコに話してみた。
「日本人が教えてるのか?」
「そうみたいだぞ。名前が”Kimiko”だから、日本人だろう」
「へえ。まさか日本人がこの国で日本語を教えてるとはな」
 ふたりはさっそく申し込んで教室に通いはじめた。キミコ先生はこの国の男と結婚した六十前後の日本人で、もう三十年以上この街で暮らしているという。本物の日本人との会話が、やっと実現したのだった。
 だが、マルコは二回授業を受けただけで辞めてしまった。マルコにとっては、授業内容が簡単すぎたのだ。
“わたしは学生です”
“ダミールさんは運転手です”
“机の上に本があります”
 といった調子の授業だった。もっとも、ダミールは通いつづけた。少しずつでも漢字を学べたし、なにもしないよりは週に一度でも授業を受けたほうがいいだろうと思ったからだ。
 とはいえ、キミコ先生は、日本語学習に対するダミールの懸念を増幅させた。この国で暮らして三十年以上になるというのに、彼女はこの国の言葉を流暢に話せなかったのだ。こんな外国人を、ダミールはそれまで見たことがなかった。この国で二十年、三十年暮らしてきたイタリア人やドイツ人の知人がいたが、彼らは例外なく、外国語であるこの国の言葉を巧みに操った。言葉に詰まることもなければ、発音も的確だ。
 それなのにキミコ先生は、時々なにを言っているのかわからないほど発音が変だし、たびたび奇妙な言い回しをするから、意味を推測するのに苦労することがあった。
 たんにキミコ先生に語学の才能が絶望的に欠けているだけなのだろうか、とダミールはいぶからずにいられなかった。それとも、日本語があまりにもかけ離れた言語であるために、どんなに努力しても、日本人がこの国の言葉を流暢に操るのは不可能なのだろうか。
 もしそうだとすれば、逆もまた真であるにちがいなかった。ダミールがどんなにがんばっても、マルコがどんなに日本語の小説を読みこなせても、日本語を流暢に話せる日は永遠に来ないのかもしれない。
 もっとも、マルコはそんな不安は抱いていないようだった。
「若い日本人と喋ってみたいな」ある日マルコは言った。
「なんで若い日本人限定なんだ? キミコ先生と喋ったじゃないか」
「日本人は年寄りと若者とじゃ、話し方がかなり違うみたいだからだよ」
「ああ、フォーマルとインフォーマルってやつか」
「そんな単純なものじゃないんだ。若いからって、くだけた話し方をしすぎると、相手を馬鹿にしてるみたいに聞こえるらしい。かといって、あまりかしこまった話し方をすると、今度は年寄り臭く聞こえるみたいなんだ」
「そんなに面倒なのか」
「観光客に話しかけてみるしかないと思うんだが、アジア人の観光客はたいてい中国人だし、たまに日本語を喋ってる観光客も見かけても、新婚カップルって感じなんだよ。それか、女が二、三人、一緒に旅行してるか。新婚を邪魔するのは悪いし、女のグループに男のオレが話しかけるなんて、変だろ」
「ひとりでいる女には気楽に声をかけるくせに」ダミールはからかった。決まった彼女がいないマルコは、つねに女を探しているようなものだった。ダミールと一緒に飲みに行っても、ひとりでいる女を見かけると、必ずと言っていいほど声をかける。
「それは話が別だ。目的が違う」マルコは真顔で答えた。
「男を探せばいいじゃないか」
「それが不思議なことに、日本人の男同士のグループっての、見たことないんだよ。ひとり旅をしてるヤツはいるのかもしれないが、黙ってひとりでいるんじゃ、日本人かどうかわからないしな」
 そんな会話を交わしてからも、ダミールはキミコ先生の教室に通いつづけた。読み書きできる漢字は着実に増えたし、マルコが貸してくれた『よつばと!』というマンガを少しずつ読み進めるのも楽しかった。マルコのほうは相変わらず、若い日本人の話し相手と巡り会えないままでいるようだった。

 ある週末の夜、マルコが唐突につぶやいた。
「やっぱり話しかければよかった」
 ふたりはダミールの部屋にいた。大学の連中と外で食事をしながら一杯やったあとで、飲み足りなかったダミールは、部屋にマルコを誘ったのだ。
「誰に?」ダミールはマルコの横顔を見た。
「メチャクチャかわいい子がいたんだ」
「さっきの店か?」
「いや、昨日の夕方見かけたんだ。日本人かも」
「アジア人だったのか?」
「ああ」マルコはダミールのほうに顔を向けようとせず、ぼんやり前を見ている。「メチャクチャかわいかった」
 ダミールはマルコの語彙力の欠如をからかいたくなった。「そんなにかわいかったんなら、こどもだったんじゃないか」
 マルコはやっとダミールを見た。「いや、間違いなくおとなだった。アジア人の女にしちゃ、けっこう背が高かったしな」またダミールから視線をはずし、虚ろな眼差しで宙を見る。「長い黒髪を腰まで垂らしてた」
 こいつ、飲みすぎたのかな、とダミールは考えた。それか、その女にひと目惚れでもしてしまったのだろうか。
「男には興味ないタイプの女かもしれないぞ」ダミールはいたずらっぽく言った。
 先週末、ダミールらと一緒にバーに出かけたマルコは、ひとりで来ている女を見つけるや、「お、いい女がいる」と言い捨てて、さっそく声をかけにいったのだった。
 だがすぐに、すごすごと戻って来た。
「ダメだったのか?」返事はわかりきっていたが、ダミールは笑いをこらえながら尋ねた。
 マルコは吐き捨てるように答えた。「レズビアンだった」
 マルコが目をつけた“いい女”は、「あっち行って。あたしは男に興味ないんだから」と言ったらしい。
 事実、しばらくすると、その女の恋人らしき若い女が来て、ふたりはいちゃいちゃしはじめた。
 マルコは苦い記憶を呼び覚まされて酔いが醒めたのか、ダミールを睨みつけた。「思いださせるなよ。男としての存在価値を全否定されたみたいな気がしたんだ。普通に振られるほうがよっぽどマシだ」
 そうだろうか、とダミールは思った。“普通”に女に振られるのは、マシなことだろうか。
 ダミールはラナと、もう二週間も会っていなかった。最後に会ったのは先々週の金曜日で、一週間ぶりだったのに、カフェでコーヒーを飲んだだけで、ラナは「読みたい論文がある」と言うと、そそくさと帰っていった。
 その前の週もラナは泊まっていかなかったから、今夜こそはと、ダミールは期待していたのに。
 医者になるという目標を、ラナが真剣に追っているのは、ダミールにもわかっていた。線維筋痛症という難病に苦しむ叔母を見て育ったラナは、ダミールと出会った高校一年の時にはすでに、医者になると決めていた。そしてその決意は少しも揺らぐことがなく、最高峰の大学の医学部に入学し、ダミール同様、首都へ出てきたのだった。
 大学生活が始まって最初の二カ月ほどは、ラナはほとんど毎週末、ダミールの部屋に泊まりに来た。ところがしだいに、「来週テストがあるから」とか「読まなきゃいけない本があるから」と言って、泊まらずに帰ってしまうことが多くなった。やがてせっかく会っても外で食事をするだけだったり、二週間前のようにコーヒー一杯で別れたりする週末が目立つようになった。
「学べば学ぶほど、人類は自分たちの体について、まだなにもわかってないんだって思い知らされる」とラナは言った。普通の学生なら医学部の授業についていくだけでも大変だろうに、ラナは大学で要求される以上の論文に目を通し、貪欲に知識を吸収しているようだった。「精神医学や心理学も勉強しなきゃ。体だけに注目してたら見落としちゃうことがたくさんあるような気がする」
 エネルギッシュで生真面目なラナと、のんびりした極楽とんぼの自分とは、出っ張ったところとへっこんだところがピッタリ噛み合って最高の相性だと、かつてのダミールは考えていた。もちろん凸がラナで、凹がダミールだ。いずれラナは医者になり、ダミールは映像関係の仕事に就いて、ふたりはずっと一緒にいるだろうと、高校生の頃のダミールは、さしたる根拠もないままに、そんな未来を夢想していた。
 だが最近は、ラナとの関係はもうダメなのかもしれないと悲観的になることがある。ひょっとしたら、ふたりの関係はすでに壊れていて、ラナの心にはほかの男がいるのかもしれない。読みたい論文があるとか、来週テストがあるとかいうのは言い訳にすぎず、彼女はほんとうはもうダミールに興味を失ったのかもしれなかった。
「ストリチナヤでも飲るか」ダミールはやや大きな声で言って立ち上がった。

 三日後の夕方、ダミールは上映会を終えて家路に就いていた。
 月に二度、大学の映画好きが集まって、自主的に開いている上映会だった。毎回ひとりが当番になり、お薦め映画を持ってくる。それをみんなで楽しむのだ。メンバーは映像学科にとどまらず、建築やデザイン、絵画専攻の学生までさまざまだ。
 ダミールが今日選んだ『東京流れ者』は大好評だった。もっとも、みんながこの映画を気に入ったのは、“umetani”という登場人物の名前のせいでもあった。
“umetani”は、この国の言葉で“穴”や“開口部”を意味する単語と発音がそっくりで、その単語は女性性器の隠語でもあるから、“umetani”という名前に学生たちは笑いを洩らした。そしてヤクザが「umetaniを探しているんだ」と言うと、爆笑が起きた。
『東京流れ者』は、ダミールも初めて観る映画だった。鈴木清順監督作品の中で、自分がまだ観ていないものを上映しようと決めて選んだ一作だったから、“umetani”には、ほかの学生と一緒に大笑いした。
 みんなが楽しんでくれてよかった。
 そう考えて頬を緩めながら歩いていたダミールは、ふいに立ち止まった。そして、こちらに向かって歩いてくる女の顔をまじまじと見つめた。
 チハル?
 もう少しで声に出して、“チハル”と呼びかけそうになった。『東京流れ者』でチハルを演じた松原智恵子にそっくりだと感じたのだ。
 だがすぐに、むしろ『美しさと哀しみと』に主演した加賀まりこに似ていると思い直した。どちらにしても、メチャクチャかわいい。腰のあたりまで伸びた漆黒の髪が揺れている。
 マルコが言っていた“髪の長い、メチャクチャかわいいアジア人”はこの女のことだな、とピンときた。
 そういえば、マルコは今日は大学を休み、上映会にも姿を見せなかった。
“ヤクザがumetaniを探す映画を観たぞ”とあとでメッセージを送ってやろう、とダミールは考えた。おもしろい映画を見逃して、マルコはさぞ悔しがることだろう。映画のあとで、髪の長いメチャクチャかわいいアジア人に会ったと言えば、もっと悔しがるにちがいない。
 アジアの美女は、彼女の顔を見つめながらマルコとの会話を思いだしているダミールのかたわらを、ダミールの存在に気づかないかのように歩いていく。マルコが言ったとおり、アジアの女にしては、背が高いほうかもしれなかった。彼女の顔は、身長百九十センチ近いダミールの肩あたりにあった。
 メチャクチャかわいい、とダミールは立ちつくしたまま、胸の中であらためてつぶやいた。そして、追いかけていって話しかけろ、と自分をけしかけた。だがすぐに、日本人かどうかはわからないぞ、と自戒した。日本人でなかったら、日本語の練習にはならない。
 そもそも、日本人でなかったら、なんの話をすればいいのか。日本語や日本映画の話題で盛り上がる可能性もなくなる。いや、中国人なら中国映画の、韓国人なら韓国映画の話ができるじゃないか。
 なにをグダグダ言い訳してるんだ、とダミールは自分を叱りつけた。
 映画の話がしたくてあの美女に声をかけたいわけじゃないだろう。もちろん、日本語の練習のためなんかでもない。あの女と話がしたい。それだけだ。
 よし、声をかけるぞ。話しかけるぞ。
 ダミールはそう決めると、踵を返してアジア人の女を追いはじめた。女はもう、二十メートルほど先を歩いている。
 日本人ではないかもしれない以上、日本語で話しかけるわけにはいかなかった。英語で“Hi”と声をかけるのが一番自然だろう。次に“Where are you from? ”(どこから来たの)と尋ねる。相手が「日本」と答えたら、日本語を勉強していると打ち明けて、思い切って少し日本語で喋ってみてもいい。日本語に自信はないが、打ち解けるきっかけにはなってくれるだろう。
 相手が中国人や韓国人や、ほかのアジアの国の出身とか、あるいはアジア系のアメリカ人だったりフランス人だったりした時は、その国の映画の話題へ持っていけばいい。それか、“Do you live here?”(ここで暮らしてるの)と訊くこともできる。そうすれば、そこからなにか別の話題を探せるだろう。
 ダミールが頭の中で忙しく作戦を練っていると、アジアの美女は通り沿いの古いビルの前で立ち止まった。そしてビルの中をうかがうようなそぶりを見せたかと思うと、石造りのそのビルの中へ入っていった。
 ダミールは足を速め、彼女を追ってビルに入った。ほの暗い空間になかば溶け込むかのような彼女の姿は、左手奥の網カゴへと向かっている。旧式のエレベーターだ。
 ダミールはぎくりと足を止めた。“エレベーターのセイレーン”の言い伝えが脳裏をよぎった。
 だがすぐにそんな自分を嘲笑うと、エレベーターへと急いだ。考えてみれば、エレベーターはむしろ好都合かもしれなかった。エレベーターの中でふたりきりになったほうが、話しかけることが自然に感じられるかもしれない。他人とふたりきりで無言でエレベーターの中にいるのは、気詰まりにちがいないのだから。
 もし彼女が日本人なら、なおさらそうかもしれないと、ダミールは思った。日本では、女が見知らぬ男の“痴漢”に身体をさわられないようにするために、女性専用車両というものがあるという。その存在を初めて知った時、ダミールは、この国の新しいビルに設けられている男女別のエレベーターのようなものだろうと解釈した。“痴漢”も“エレベーターのセイレーン”と同じように伝説にすぎないものの、あまりにもまことしやかに語られてきたために女性の恐怖心は拭い去りがたく、女性専用車両などという珍妙な乗り物を日本人は作らざるを得なくなったのだろう、と。“痴漢”が実際に存在していて、しかもそれがめずらしくもなく、ごく普通の社会人が電車の中で、時には中学生や小学生の体までまさぐると知った時は、心底驚いたものだった。
 そんな社会で暮らしてきた日本人女性なら、エレベーターの狭いカゴの中で知らない男とふたりきりになるのは、きっと不安だろう。黙りこくってエレベーターの中にいるよりは、ダミールが笑顔で話しかけたほうが、彼女も安心するかもしれない。警戒心を解いてくれれば、会話が弾むかもしれない。
 ダミールが足早にエレベーターに向かうと、彼女はすでにカゴに乗り込んでおり、外側の扉へ手を伸ばして閉めようとしているところだった。
「Wait! (待ってくれ)」ダミールは叫んだ。
 彼女は扉から手を離し、ダミールに顔を向けてほほえんだ。
 “天使のような”という陳腐な喩えを、ダミールは思った。なんて邪気のない上品な笑顔だろう。
 ダミールは吸い込まれるようにカゴに乗り込むと、まず網目状の外扉を、つぎに蛇腹式の内扉を閉めた。そして、隣に立つ彼女の愛らしい横顔を、そわそわしながら眺めた。
 彼女は目的階のボタンへと、細い指を伸ばした。

「また日本映画ですか」学生のひとりがこぼした。
「今日でいったん終わりよ。『Ugetsu(雨月物語)』が終わったら、日本映画は当分のあいだ採り上げない予定だから」と教授はなだめるように説明しながら、教室内に視線を巡らせた。「今日が最終日なのに、日本フリークのふたりはいないようね」
「『Ugetsu』はダミールの一番好きな映画なのにな」と、別の学生がつぶやいた。「こんな日にかぎって休むとは」
“今日のテーマは『Ugetsu』だったんだぞ”とあとでメッセージを送ってやろう、とその学生は思った。ダミールはさぞ悔しがることだろう。

投げ銭大歓迎です。