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インターネット・アクターズ

インターネットにはリアクションがある。
ツイートやnoteを書けば誰かの目に触れ、ツイキャスやYouTubeをすれば誰かの耳に届く。

その気になればスマホ1つで世界の裏側にだって届けられる私たちは、過去からすればもはや神様に近い存在なのかもしれない。

ネットには常にリアクションがあり「他者」がいる。
無名であれ有名であれ、そこには必ず「他者」がいる。
名前も顔も知らない誰かと常に繋がっているという空間は、かつて賢人たちが議論を交わしたアテナイの学堂よりも物理的に広い。

インターネットには様々な目標を持った人が集まる。

いいねを貰いたい。フォロワーを増やしたい。再生数を伸ばしたい。
人々がそれらに躍起になるのは、それが必ずしも、自己の研鑽で積み上げられるものではないという点に起因する。

インターネット上。ことSNS上では「他者」の評価が無くては自分の価値を定義できない。
「私と他者」という極めて単純な構図が無数に存在する。それがインターネットの本質だ。

しかし私たちは度々、「他者」の存在を意識することができない。

キツネが「いちばんたいせつなことは、目には見えない」と星の王子様に言った意味がよくわかる。
私たちは「他者と何かを共有すること」ばかりに気を取られ、それが「正負関係なく、あらゆる物事を共有してしまう」という側面を蔑ろにしてしまう。
アノニマスな誰かと繋がり、今までに共有した時間や感情は間違いなく「たいせつなこと」である。

それにも関わらず、時に私たちは画面の向こう側にいる誰かを想うことが出来ない。
怒りを記号としての文字に変換して叩きつけ、傷つけてしまう。

よくあるのがSNS上での失言→炎上というパターン。
この時、私たちは見えなくても繋がっている「他者」という存在を否応なく実感させられる。

「他者」と時間を共有できるというのは、本当に貴重な体験だ。
立場も肩書きも匿名で塗りつぶした、何者でもない私たちが身を寄せ合い、語り合うことができるインターネットという場は俗的な表現をすれば最高なのだ。

だからこそ、私たちは「他者」を思いやるべきである。
今このnoteを書いている瞬間でさえ、画面の向こう側には莫大な数の「他者」がいる。

目に見えないものを想うことを、私は大切にしたい。

末筆になりますが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
最近またこうして筆を執れているのも、読んでくださる皆様のおかげです。

今後ともどうぞ、ほどほどによろしくお願いします。


さつき

【参考】
『星の王子様』サン=テグジュペリ(著)/河野万里子(訳)、新潮社

【写真】配信用に買ったコンデンサーマイク


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