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佐塚について①

【佐塚について_01】20210408
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僕の事を知ってもらおうと『についてシリーズ(佐塚真啓)』と称して毎日投稿しているのですが、それならば「私は」と自ら語る視点と、「彼は」という他者から語ってもらう視点も必要だ!と思い立ち、僕の事をよく知ってくれているであろう友人に、唐突に『佐塚について』僕を知らない人に僕を紹介する何か書いてくれないかとお願いしてみました。

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『佐塚について①』
証言:タナカくん(田中義樹)
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大学4年の時に卒業制作で、インスタレーションとして作った舞台でパフォーマンスをする作品を発表した時、内心ずっと誰か「この作品いいねえ」だとか声をかけてくれないかとずっと思っていました。卒業制作で、ビッグネームに目をつけられ、そのままデビューできないものかと、卒業後の予定がCD屋でのバイトくらいしかなかった自分は打算的な考えにまみれていました。「いいねえ」なんて声をかけてくれるのは知り合いばかりだし、ああやっぱり自分はゴッホになるのかと思っていたら、やたら目がギョロついて体のでかいTシャツ姿の男の人がパフォーマンス終わりの自分におずおずと近づき声をかけてきました。
「この作品はコンセプトとか聞いたらやはりヤボなのでしょうか、、、」
変な人だなあと思いつつ、いやいや、そんなことないですよ。と言って、だいたいの内容を話したら、急に脳の堤防が決壊したんかお前と思うくらいワーと彼は、この作品がいかに素晴らしいか話してくれました。
ありがたいけど、この人誰だろう。どっかでみたことあるな。なんかの館長だった気がする。え?美術館の館長!?ビックネームじゃん!?めっちゃ褒めてくれてる!これで俺も売れるぞ!わーい!、、、ん?
あっ!思い出した!この人、国立奥多摩美術館の館長だ!
これが佐塚さんとの出会いでした。
当時、国立奥多摩美術館と言ったら、当時、美大生の中でもアングラ志向の学生はギリギリ知ってるみたいな施設でした。めちゃくちゃでかい山奥のアトリエで、あたかも本物の美術館であるかのような看板を立てて(実際は公的な美術館ではない)、年に1回くらいのペースで展示をしていて、自分も行ったことがありました。自分もそのアングラな雰囲気が好きでした。自分が好きなところで言うと、なんだかケラリーノ・サンドロヴィッチがやっていたナゴムレコードとかみたいにアングラな感じでいいなあと思っていました。
その館長が佐塚さんで、目の前で脳の堤防を決壊させていたのでした。
初めましての人が自分を認めてくれるのは嬉しかったけれど、やはり、自分を好いてくれるのは地下の人なのかと、当時焦りすぎて失礼ながらそんなことを思っていました。そして、周りの子がちょっとした青田買いをされていたりしているのを横目に自分は卒業し、美術と関係のないCD屋の仕事をして過ごし始めました。
美術に関われず少しずつ心が死ぬ感覚の中で過ごしていると、佐塚さんが仕事の連絡をくれました。六本木アートナイトの仕事を一緒にしないかと。あれはかなり救われたかもしれない。奥多摩美術館をアトリエに、彼らの仕事をいろいろ手伝ったりしました。その時、佐塚さんは六本木アートナイトで24時間人間時計をやっていました。文字通り、めちゃくちゃでかい時計盤の前で、時計の長針と短針を持って飲まず食わずトイレも行かずで、24時間ぶっ通しで人間時計をやっていました。(ぜひ検索してみてください)
その姿はまるで磔刑に処されたキリストが如く。観ている自分の中に沸く感動は、初めて「ロッキー」をみたときのような。六本木アートナイトという華やかな場所に呼ばれても、限界まで自分を追い込み、こんな地獄のような作品を発表する彼をみて、自分の死んだ心は爽やかに地獄に落ちたような感覚を得ました。パンクやロックじゃなくてメタル。
いい子は天国に行ける。悪い子はどこにでも行けるとメイ・ウエストは言いましたが、そんなことを言われた感じがしました。なんだか元気をもらったんです。お前もなんでもできるぞ。みたいな。
佐塚さんはとても美術に詳しくて、誠実な人です。ものすごく美術LOVEで、まわりの美術好きが辛そうにしてると助けてくれたりします。本人も辛そうだったりするのに。
この文章を書いてくれないかと、連絡が来たとき、お世話になっている恩を返せるかなと思ったりしたのですが、いざ考えてみると難しいもので、佐塚さんを人に紹介するための文を考えたりしたのですが、もう「会ってくれ!」としか言いようがない。会えば、人によってはとても好きになると思います。人によってはね!
またも自分の話で、なんだお前と思われるかもですけど、自分の母親は若い頃ナゴムレコードに所属していた「たま」というバンドが好きでした。高校生の時にそんな「たま」の解散後、それぞれのメンバーが音楽だけをやってのんびり過ごしている様子をとったドキュメンタリー映画の「たまの映画」のDVDが出て母親が買っていました。母親は一人で先に見たらしく、自分にも見せろと言ったらしばらく見せてくれませんでした。結局勝手に借りて見たのですが、母親曰く、こんな自由に生きている大人を義樹に見せていいものかと悩んだそうです。確かに彼らは自由に生きていたけど、映像の中の彼らを架空の人間のように思っていたからあまり感動はなかったし、こう生きたいとも思わなかった。
佐塚さん含む、国立奥多摩美術館のメンバーを見てると、あのときの母親の言葉を思い出します。でも、みんな意外と自由そうですが、それゆえに苦しんでたり辛そうだったりします。そんな佐塚さんに勇気をもらってます。持ちつ持たれつで助け合わないと、生きていけない我々です。佐塚さんに助けてもらった心当たりのある人も、そうでない人も、クラウドファンディングで助けになってみてはいかがでしょう。
佐塚さん、絵本楽しみにしてます。
(田中義樹)

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