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「ニセコで築く自分らしいキャリア」松田啓志さん(2016年卒)

第17回目は、2016年に札幌大学経済学部経済学科(当時)を卒業され、地域おこし協力隊を経て、現在はニセコ中央倉庫群の館長と古着の移動販売店オーナーとしてパラレルキャリアをお持ちの松田啓志さんに、大学時代の思い出やお仕事についてインタビューしました。

札幌大学について


学生時代のこと

Q:どんな学生でしたか?とくに心に残っていることなどがあれば教えてください。

▲古着屋「Comfy」を一緒に立ち上げ、公私ともにパートナーである福田ありささんと一緒に札幌大学を訪問してくださいました。

高校まではずっとサッカー一色の生活だったので、大学ではサッカー以外のことも楽しみたいと思いました。サッカー部には入らず、社会人のクラブチームに入ったり友達とフットサルのサークルで集まったりして楽しみました。ほかにもアルバイトをしたり、一人暮らしの友達の家でゲームをしたり。映画を見に図書館にもよく通いました。

アルバイトは、平日は無理せず週末だけ働くスタイルに。音楽が好きだったので、コンサートやライブの派遣スタッフに登録し、自分の都合のよいタイミングでアルバイトを入れていました。周りのスタッフは大人ばかり。そういう方々と交流する中で、学生生活とは違う大人の世界を垣間見ることができました。2年生の頃から就職が決まるまで続けていたので、アルバイトの中では勤務歴も長くなり、そのうちアルバイトチーフを任されるようになりました。学生なのに年上の方々をまとめる立場となり責任感もありました。なので、大学の仲間たちといる時間はホッとできる時間でもありましたね。好きな業界でそのまま就職することも考えましたが、「この先も長く働けるか」と自問自答した結果、その道は難しいと判断。心が決まったので就職活動を始めました。

就職活動を始めたものの、最初はどの企業にも全く受かりませんでした。今思い返すと、自分の気持ちがあまり入っていなかったのだと思います。「就職活動を早くやめたい」という気持ちが大きくて、あまり自分の興味や関心について真剣に考えていなかったのです。そんな中でABCマートだけは違いました。靴やファッションに興味があったので、面接も気持ち良く受けることができました。無事採用をいただき、卒業前からアルバイトとして店舗勤務をスタートさせました。

卒業後のキャリア

Q:大学を卒業されてから現在までのご経歴や、現在のお仕事の具体的な内容を教えてください。

靴を売る日々

アパレル業界には華やかなイメージがありますが、ABCマートでの仕事の基本はとにかく売り上げを上げること。毎日朝礼でその日の目標が提示され、それに向かって必死に靴を売るという日々でした。目標を達成しなければいけないプレッシャーはありましたが、その分自分の頑張りがはっきりと評価される点では達成感もありました。また、やはり「靴が好き」という気持ちが根底にあったので、自分の好きなものに囲まれて仕事ができていたことは良かったですね。

勤務経験が長くなり自分が先輩の立場になると、自身の販売を頑張るだけではなく、後輩やアルバイトの方々のケアやサポートなども任されるようになりました。3年ほど経ち昇進の打診をいただいたのですが、「貯金を全部使ってでも新しい経験がしたい」という気持ちが湧き上がってきて。思い切って退職し、ワーキングホリデーでカナダのバンクーバーへ行くことにしました。26歳の時でした。

当時ありささんとはすでに交際していましたが、彼女は快く送り出してくれました。逆に職場の先輩にはものすごく反対されましたね。ですが、自分の気持ちに正直に決断しました。

言語としてではなくコミュニケーションツールとしての英語を学ぶ

▲バンクーバーの語学学校にて。バンクーバーは街のすぐ近くに大自然が広がっていて、その点では札幌にとても似ています。近くには北米最大のスキーリゾート地であるウィスラーもあります。

まず現地の語学学校に入学し、韓国やメキシコなどさまざまな国籍の学生たちと一緒に英語を学びました。そこは何よりコミュニケーションを重視する学校だったので、座学よりも楽しみながら会話しようというようなオープンな雰囲気がありました。授業が終わった後もみんなで色々なところへ出かけるレクのようなイベントが頻繁に開催され、友達がたくさんできました。学校内では母国語は使わないというルールもあり、同じ日本人同士でも英語で会話しなければいけませんでした。おかげで(これまで全く英語を勉強してこなかったのですが)現地でも不便を感じずに生活できるようになりました。

2か月くらいで貯金が底をついたので、そこからは現地で日本食を扱うスーパーマーケットでアルバイトすることに。バンクーバーはアジア圏の移住者が多く住んでいる街なので、そういった需要も多いのです。実はバンクーバーへ行って半年後くらいからコロナ禍になってしまったのですが、勤務先がスーパーマーケットということもあり、幸い常に仕事はありました。

北海道で新しい挑戦をしたい

▲地域おこし協力隊の仲間たちと

1年間のバンクーバーでの生活のおかげで、挑戦することにハードルを感じなくなりました。帰国後、英語を生かして新たな挑戦ができる場所を探している中で、ニセコ町での地域おこし協力隊の募集を見つけました。1年間地元で待っていてくれたありささんにも相談し、二人で地域おこし協力隊に応募。一緒にニセコに移住することになりました。

地域おこし協力隊について
地域おこし協力隊は、都市地域から過疎地域などの条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。隊員は各自治体の委嘱を受け、任期はおおむね1年から3年です。

総務省

ニセコ町に来る地域おこし協力隊の中には、農業や林業、観光などに興味のある方が多い印象です。私たちはとくに希望がなかったので、自治体のニーズに合わせた形で活動することになり、私はニセコ駅前の公共施設であるニセコ中央倉庫群へ、ありささんは地域の学童施設へそれぞれ配属となりました。

ニセコ中央倉庫群は、昭和初期に建てられた農業用倉庫およびでんぷん工場を町が新たな交流拠点としてリニューアルしたものです。以前から地域おこし協力隊員がその運営にあたっていました。1年間の勤務を経て、施設専任のスタッフとして改めて町から採用されることとなり、現在は地域おこし協力隊を卒隊し「集落支援員」という立場でそこの館長を任されています。

経験を生かすということ

▲Comfyの出店風景

地域おこし協力隊として働きながら、私とありささんの二人で「Comfy」という古着専門の移動販売店も開業しました。毎週末、私が館長を務めるニセコ中央倉庫群でポップアップショップを開くほか、ニセコ町や近隣のマルシェにも出店します。自分たちの好きなことやこれまでやってきたことを生かしたいというところから古着屋というビジネスにつながりました。ニセコ町を含め、西胆振地域には古着を扱うお店はほとんどありません。しかし「古着が好き」という方はもちろんいらっしゃるわけで。そういう方々にSNSを通じてPRしています。一つのイベントに出店するとそこからさまざまな人脈が広がり、また別のイベントに参加しても顔見知りの方と会うという機会が増えてきました。地道ではありますが、そういう地に足のついたつながりが良いなと思います。インターネットショップも検討しましたが、やはり対面での人とのつながりを大切にしたいと思うのでやっていません。

ニセコ町の地域おこし協力隊にはそれぞれが自立(起業)するための補助金制度があり、私たちもそれを活用して古着の買い付けに行っています。関東や関西にある卸業者の倉庫で自分たちのセンスやお客様の好みに合う商品を探します。あまりヴィンテージ感の強烈なものよりは、普段の生活の中で無理なく楽しんで着てもらえる古着を扱っています。商品は年齢や性別問わず取り揃えていますが、土地柄年齢層の高いお客様も多いので「昔こういうのを着ていたよ」とお客様に懐かしんでいただくこともありますよ。

売上のことを考えると観光客を相手にした商売の方が良いに決まっています。しかし、観光客はリピーターにはなりません。長く続けていくためにも地域密着型で尚且つ面白いことをやっていきたいです。まだまだこれ一本で食べていくことはできないので、当分は本業とのパラレルキャリアの予定です。ニセコ町は季節労働の方が多いので、周りにもパラレルワーカーはたくさんいます。

地方で暮らすメリット、馴染むための工夫

ニセコ町の人口は約5000人で、200万人近くが住む札幌市とは自治体の規模感が異なります。札幌では個人規模の活動は埋もれてしまいがちですが、ニセコ町では「自分が何者か」ということを表現しやすいと思います。同時に、人間関係が職場だけに限定されないためにも「小さすぎない」ということも重要です。ニセコ町には趣味やプライベートでもさまざまに繋がることができる幅があり、広すぎず狭すぎずという規模感がちょうど良いです。

最初はやはり街に馴染むために至る所に顔を出して、とにかくたくさんの人と会うように心がけていました。自分の好きなことや得意なことで地域に貢献することも大切です。私はしばらく地域のサッカー少年団で子供たちにサッカーを教えていました。今は仕事が忙しくなってしまい続けていませんが、そうしているうちに自分のことを知ってくれる人が増え、自分がその地域に居やすくなります。自分が居やすい空間を自分で作っていくことが移住者には必要ですし、それがそのままその地域に住み続けるための活力にもなります。

後輩へのメッセージ

▲松田さんは、以前ニセコ中央倉庫群で、関西から来た修学旅行生(高校生)に向けてキャリア講座でお話されたことがあるそうです。

公共施設の館長、古着屋、ニセコへ移住など肩書だけ見ると突拍子のない人生のようですが、自分では、これまでのさまざまな経験を一つ一つ積み重ねた結果として今の生活があると感じています。学生の皆さんも、ぜひ自分の好きなことや興味のあることをまずは頑張ってみてください。それがその先の人生にも繋がりますし、今後の生活をより良くしてくれるはずです。

そして頭の中で考えるだけでなく行動すること。「いいな」と思ったらすぐに挑戦してみてください。案外どうにかなるものです。そして行動したことに対して周りは必ず評価してくれます。

ニセコ町への移住希望者も歓迎します。とくに街をより面白くするために若い世代の方々にもっと移住してきてもらいたいです。ニセコ町では定期的に地域おこし協力隊の募集が出ます。

TOPICS

松田さんが館長として勤務されるニセコ中央倉庫群は、誰でも気軽に立ち寄ることができる無料のフリースペースのほか、創作活動室やイベントスペース、リモートワークのための作業室などの貸出スペースも兼ね備えています。「Comfy」もこちらで(ほぼ)毎週土曜に営業しています。
※「Comfy」の営業は不定休です。詳しいスケジュールは以下お店のインスタグラムをご参照ください。

ニセコ中央倉庫群

ニセコの小さな古着屋「Comfy」

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