ライターとエッセイスト(コラムニスト)。筆力が必要なのは、どちら?
今から書くことは、ひょっとしたら、物書き業界では自明のことなのかもしれない。おいおい、さとゆみ、今さらそんな話? ってことかもしれない。でも、私が昨年いっちばん驚いたことだったので、書き残しておいていいですか。
拙著、『書く仕事がしたい』にも書いた話だけれど、私はそれほど筆力が高い(つまり原稿が上手い)書き手ではないと思っている。これは謙遜ではなくて、周りの同業者を見渡して、わりとフラットにそう思っている。
自分の持っている武器みたいなものをテーブルの上に並べると、
企画力>>取材力>コミュニケーション能力>>文章力
というイメージ。最近はあまり企画を立てていないのだけれど、でも、いただいた仕事の切り口を変更して再提案することはよくしているので、やっぱり企画の部分が得意だなという気がする。
なので、自分がコラムやエッセイを書くことになったとき、ものすごく心配だった。というのも、「ライターのうち、一部のとてもとても筆力の高い人が、コラムやエッセイを書くことができる」と考えていたからだ。
コラムやエッセイを書くような「作家業」をできる人は、プロ野球選手とか、Jリーグの選手に匹敵するような、一握りの人たちだと思っていた。
いや、「作家業」をできるのは一握りの人たちだという認識は多分間違っていないと思う。
それはそうなのだけれど、その「一握り」の方向性について、私は「野球選手の中でプロになれるトップ1%」「サッカー選手の中でプロになれるトップ1%」みたいなイメージを持っていたんですよね。
つまり、ライターという職業の中で、最も文章が上手い(筆力の高い)トップ1%が、エッセイを書いたり、コラムを書いたりできる。そんなイメージ。
なので、初めて朝日新聞のtelling,さんから書評コラムの仕事をいただいたときは、「私(の筆力)でつとまるのだろうか……」と不安に思った。
でも、せっかくいただいたチャンスだ。
私は、一念発起した。
それまで私は、「筆力はそこそこで良い。それ以外の部分で選ばれるライターになろう」と思っていた。しかし、ライター歴15年目にしてはじめて「ちゃんと文章と向き合おう」と思ったのだ。ちゃんと上手な文章を書ける人になろう。まじめに文章の勉強をしようと、思ったわけです。
ありがたいことに、コラムやエッセイの連載はどんどん増え、そのたびに「ひいいい。もっと上手く書けるようにならなきゃ。筆力をあげなければ」と思ってきた。ファッション誌のライター時代は「さくっと読みやすい文章がこのキャプションの文字数に埋まっていれば、いい」「写真の邪魔しない程度に、間違いのない原稿が書かれていればいい」くらいに思っていた私だけれど、この数年は、ほんとまじめに「文章力」に向き合ってきたと思う。
※
さて、そんなことをつらつら考えて、ライターの仕事をしたり、コラムやエッセイを書く仕事をしたりしてきた私。
昨年、「さとゆみビジネスライティングゼミ」に、エッセイ投稿サイト「かがみよかがみ」の編集長である、伊藤あかりさんをゲストにお呼びした。
伊藤あかりさんは、telling,の創刊時、私の書評コラムを担当してくれていた編集者さんだ。つまり、私に生まれて初めてコラムを書かせてくれた編集者さん、とも言える。ゼミで話をしてもらったテーマはずばり、「読まれる文章とは」。
その内容はとてもとても濃ゆくて面白かったのだけれど、冒頭に私が書いた「昨年一番の驚き」があったのは、後日、ゼミメンバーからの質問に対するあかりさんからのメールが届いたときのこと。
あかりさんからの質問の回答は、以下だった。(掲載許可をいただき、当時のメールをコピペしています)
ここまでは、ふむふむ、そうだよね、と思って読んでいたわけです。なのですが、ここから先を読んで、私は混乱した!!!(以下もあかりさんの文章です)
ここで、ん? と、なる。言葉のプロではなく、物の見方のおもしろさが全て……??? あかりさんの回答はさらに続く。
ん?? ちょっとよくわからない。ん? つまり、コラムニストは文章が上手くなくて良い。むしろライターの方が文章力が大事ってこと? え、逆じゃなくて?
と、ちょっと脳内が???でパニクったので、私はすぐに、あかりさんにメッセをした。
以下、当時のメッセより。
と、ここで会話は終わったのだけれど、私はしばし放心した。そうか、そうなのか。コラムニストやエッセイストは、ライターの上位ポジションではないのか。
「筆力が高くなったらコラムやエッセイを書けるようになる」わけじゃなくて、そもそも、別の能力が必要な別の職業なのか……。
これは、ほんと、衝撃の瞬間だった。
もちろん、一流のコラムニストさんやエッセイストさんは、思考や着眼点にオリジナリティがあるだけではなく、筆力だって高い(あかりさんが、佐々木ののかさんについて言及されているように)。
だけど、コラムニストにとって、「より、どちらが重要なコア能力か」というと、「筆力」<「思考や着眼点」なのだろう。
そういえば、あかりさんは、私の子育てエッセイ『ママはキミと一緒にオトナになる』の連載始まったとき、記事がアップされるたびに感想をくれた。
「うわあ、この考え方、なかったですわー」
「まさに、それな!!! です。私、こうことを言いたかったんだってなりましたよー」
「思ってたのと真逆ーー! すごいおもろいです」
「さとゆみさんの考え方をインストールしたら、超、心が楽になりました」
etc.etc……。
当時私は、あかりさんに「文章が誉められた」「私、ちょっと筆力があがったのかもしれない」と思っていたけれど、あれも違ったのか。
私が世の中で常識とされていることに対して「ほんとにそうかなあ」「これって、違くない?」「こういう考え方はできないかな?」と思って提示してきた「思考」や「着眼点」を面白いと言ってくれていたのか……。
って、なりました。そうか、そうだったのか……。
※
それに気づいてから(というか、あかりさんから教えてもらってから)というもの、自分の文章だけではなく、他の作家さんが書くコラムやエッセイを読んでも、感じることがずいぶん増えた。
「ああ、この筆者はここで”発見”をしてるのか」
「あー、そうか。この筆者の”着眼点”が独創的だから面白いのか」
などなど。
そして、自分がコラムやエッセイを書くときは「日常の生活の中から、何か新しいことを発見する」ことを課題にした。もちろん、毎回、斬新な考えが浮かんだわけではないかもしれない。
でも、
「今まで適当に見たり聞いたりしてきたことを、もっと丁寧に見聞きしよう」と思って生きるようになったし、
「自分がびっくりしたり、興奮したりしたこと以外は、書くのをやめよう」と思って書き始めていたし、
「書きながら、もう一度思考しよう。できれば書きながら、もうひとつ新しい発見をしよう」と思いながら、パソコンに向かってきた気がする。
今回上梓した初めてのエッセイ、『ママはキミと一緒にオトナになる』で書いた息子の話。題材自体は、ありふれた題材だったと思う。
でも、小学生の息子の目線で世界を見たときに初めて観察できたいろんな事象は、私にとっては驚きの連続だった。それがなぜ、私にとって驚きだったのか。今までの常識をどう打ち破られたのか。ひるがえって、なぜそういう常識を常識と思ってきたのか。そんなことをゆっくりじっくり考えてみた。
子育てのことを書いているようだったけれど、書こうと思っていたのは、わたしたちをとりまく世界のことだった。
本をまとめるとき、3年分の自分の文章を読んで、「ほんと、いろんなことを考えさせてもらったなあ(息子に)」と感じた。
※
そんな。
私に、初めてコラムを書かせてくれた人であり
私に、エッセイとは何か、を教えてくれた人であり
そんな伊藤あかりさんと、5月31日、出版記念のトークイベントをさせていただくことになりました。
仕事とプライベートの両立や、キャリアの育て方について、という話ももちろんしたいのだけれど、せっかくなので、これまで彼女と何十時間も何万字分も、語り合ってきた「書くこと」のど真ん中についても、話をさせてもらいたいなあと思っています。
書くことを仕事にしている人、したい人と、一緒に考える時間にできたらいいなと思っています。お時間あったら、ぜひ、いらしてくださいませ。
さとゆみ、初のエッセイは、こちらです。
伊藤あかりさんにインタビューさせてもらった、こちらの記事もものすっごく面白いので、よろしければぜひです。
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