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古都奈良さんぽ前編

京に都があった時代は長い。
鳴くよ「794年」うぐいす平安京は明治まで続く。

それ以前は奈良の都、
なんと「710年」見事な平城京は70年間、
飛鳥の都は593年からの102年間続く。

改めて、日本最古の奈良の都を見ておきたい。

1600年前の飛鳥の時代からある世界最古の木造建築や仏像、仏教を中心とした都作りはどんな感じだったのであろう?
古都奈良の雰囲気を感じたい。
残念ながら25年近く前の修学旅行の記憶は朧げだ。

中秋の名月の週末、古都奈良旅へ。

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

先ずは世界最古の木造建築、法隆寺へ。

聖徳太子と推古天皇が、亡くなった用明天皇のために607年に造られた法隆寺。

玄関である南大門をくぐると、、、

中門へと続く長い道は、抜け感のある見事な景色。
両側の土壁にも長い時代の面影を感じる。
聖徳太子もここを通ったんだ〜と妄想しながら歩く。

中門に近づくにつれ、こちらも最古の金剛力士像がお迎えをしてくれる。
1600年ほど前に、どこぞの誰が設計したのかわからないが、卍崩し模様にエンタシス柱、屋根瓦の感じといい実に見事な中門。

そして両側におられる塑像の阿行様は赤く、吽行様は黒い。
カッと睨みを効かせている。
夫と、「いや〜すごいね〜」と言う言葉しか出ません。

中門をくぐり、1600年の間立っている立派なエンタシス柱たちをなでなでし、時代の年季を肌で感じる。聖徳太子も触ったのかな?

五重塔の中の小像群は、釈迦に関する四つの説話から四つの場面を表している。
東側は、病の維摩居士を文殊菩薩が訪ね問答を始める様子。
北側は、釈迦が入滅(死)し弟子たちが嘆いている様子。
南側は、釈迦の弟子である弥勒菩薩(みろくぼさつ)の説法。
西側は、お釈迦様の遺骨を分骨する様子。

小像群は紙芝居のようにお話を教えてくれているようで、実に細かく表現されている。特に、釈迦の死を悲しむ弟子たちの表情がとてもリアルであった。

金堂のお釈迦様はやさしい表情をお持ちで、なかなかこのお顔立ちのお釈迦様には出会えないと感じた。
時代時代でお釈迦様のお顔をというものは違うものだなとつくづく感じる。
大宝蔵院で拝見した国宝、百済観音も正にそうで、すらっとされたスタイルは、背丈210cmの8頭身。優美で穏やかな表情をお持ちの観音様は、お顔立ちがどこか日本人の顔つきとは違う気がする。7世紀頃作られたと言われていて、朝鮮半島を経由し大陸のお顔立ちの影響を受けているのかもしれない。

法隆寺は聖徳太子の存在感が至る所に感じられる場でもあった。

鑑真和尚の唐招提寺

法隆寺から車で30分ほど奈良の町の方に走れば、鑑真和尚の唐招提寺がある。

熱心な招きに応じた鑑真和尚は6度目の航海でやっと日本に辿り着き、律宗を伝える。唐招提寺の始まりは、759年、専修道場の創建から始まる。

こちらの金堂の作りも実に美しい。エンタシス柱をなでなでし、いにしえの感触を肌で感じる。中におられる、盧舎那仏坐像は実に立派で背後におられる無数の小さな仏様たちがまた、なかなかの存在感があり目を奪われる。
そして左側には千手観音像も圧巻の美しさでおられた。
千手観音からは、無数の黄金の救いの手が差し伸べられている。
涼しげなその表情も印象的だった。

境内の奥のひっそりとした落ち着いた場所に鑑真さんの墓所がある。そこに続く苔の林は、気持ちの良い落ち着いた場所であった。その日はなかなかの暑さであったが、苔の林の中はひんやりと涼しく、木漏れ日がキラキラと苔に反射し、神秘的な雰囲気であった。

唐招提寺を後にし、お宿のある奈良市内へ移動。

その日は、偶然にも中秋の名月で、しかも曇る事なく月を愛でることができた。興福寺周辺を満月を愛でながらの散歩は実に気持ちが良かった。

人も鹿も昼間の暑さから解放され、中秋の名月を楽しんでいた。

古都奈良旅は後半へと続く、、、、

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