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初めての「運営」

初めての「運営」って、なんの運営?
それは、お地蔵さんのお祭りの運営。
里山に暮らし始めて8年目にして、お地蔵さんのお祭り運営のお役が我が家に回ってきた。

8月24日は、地蔵盆の日でお地蔵さんのお祭りの日と言うことを私はこの集落に住むようになって初めて知った。
調べてみると、地蔵信仰は関東ではあまり馴染みが無く、関西の方が地蔵盆が盛んらしい。そもそも東京の私が住んでいた地区にはお地蔵さんは、見かけなかった。
子供の守り神である地蔵菩薩は子供たちのお祭りだそうだ。

お祭りが近くなると、集落のみんなでお地蔵さんをきれいにし、周りの掃除をし、お供えの棚を作るために笹やススキを裏山に採りにいく。
うちの集落だけで無く、隣でも、その隣の集落でも同じように準備を始める。夫が裏山で良いススキが見つからず困っていると、ご近所さんが
「生えてるとこ知ってるから採ってきてやる。」と青々しい立派なススキをたくさん用意してくれた。

十六世帯の小さい集落なので、決して大きいお祭りではない。しかし、「運営」として準備することはたくさんある。ご近所さんにアドバイスをいただきながら初めての「運営しごと」は始まった。

「まずは、7月のうちにお地蔵さんのお祭りの祭典費を参加する世帯から500円ずつを集めるのよ。」
「参加の世帯数がわかったら、必要なおんくんさん(お供物)の数と子供用のお菓子の数を確認する。子供のお菓子は200円以下で対象は中学生以下。」

おんくんさんは、袋に2種類の和菓子を入れる。和菓子は運営の私が選べる。過去の記録を見ながら、私は、一つは地元のお菓子屋さんの最中、もう一つを某有名お菓子屋さんの田舎パイにした。もちろん、バジェットも限られているので、なるべく抑える。子どもたちのお菓子も、何種類かを詰め合わせたものを選ぶ。

「おっさん(お坊さん)に供養のお経をお願いするのを忘れずにね。お願いは電話ではなく直接お願いに伺うのよ。」

私は電話をしようとしていたから、聞いておいてよかった〜と安心。お寺さんに行き、おっさんの女将さんに、「24日、お宅の集落のお経は4時からですので。」と言われた。
この日はおっさんはそこいら中のお地蔵さんの供養に回るので大変お忙しい。

お祭り前日。
集落のみんなで改めてお掃除をし、棚の位置、笹やススキをちょうど良い長さに切り、明日は直ぐに付けられるよう準備をしておく。

当日。
午前中、夫は先輩ご近所さん指導のもと、松明の準備と笹飾りを棚につけた。
私は、予約しておいた積み団子やおんくんさんを取りに行き、帰ってからせっせとお供物袋に和菓子を入れる。

おんくんさん、子供たちのお菓子、お供え用の器、お線香、ろうそく、、、持ち物を全て箱に入れ玄関に置いた。
時刻は、3:00を回ったところだった。
ポツポツと大粒の雨が地面に落ちる音が聞こえたと思ったら、だんだん雨粒が増えて行く。お隣さんが駆け込んできて、「棚にビニールをかけに行った方が良いかも」っと透明のビールを持ってきてくれた。私達はあわあわとお隣さんと一緒になって棚をビニールで覆う。
「あと、少しでおっさんがいらっしゃるのに、こんなに降ったら地面に水溜りができちゃうね💦。」
棚に被せたビニールのたるみに水が溜まるので、たまに水を落としつつ雨が弱まるのを待っていた。それは、通り雨だったようで、その後ピタッと雨は止んだ。夫は、せっせと地面の水溜りの水をかき出す。
そうこうしているうちにあっという間に、時間は4時に迫り、お供えの積み団子、お線香とろうそくと最後のセッティングをした。4時も近くなると、周りからご近所さんが集まってきて、みんな日陰でおっさんを待つ。

第一部:お地蔵さんの供養

このお地蔵さんの供養のお経に参加されるのは、ほぼご年配がたが多い。
若い親と子供たちの集いは夕方になる。
おっさんは時間通りに4:00に到着。
お経が始まるのでみんな日陰から出てきて、お地蔵さんの前に手を合わせお経が始まる。5分くらいのお経であったが、灼熱の太陽の元、私はご高齢の皆様の具合が気になる。おっさんもご近所さんもみんな汗だくだ。
そうだった、毎年このお地蔵さんの供養をする時はいつもとても暑い時でみんな汗だくになってお経を聞くんだったと思い出す。
お経が終わり、その後順番にお焼香を済ませた。通常なら先輩ご近所さんの御念仏もあるのだが、コロナ禍になって以来行われていない。
ご高齢のご近所さんを日陰に誘導し、しばしおっさんと談笑。
なんとか、昼のお経を終え、みんな一度家に戻る。

第2部:夜は子供のお参り

夕方6時からの部は、若い親たちが子供達を連れてお参りにやってくる。
夫は松明を炊き始め、私は続々とやって来るご近所さんたちをお参りに誘導。お参りが済んだらおんくんさんと子供にはお菓子を渡す。
たまに私たちも話しかけられては、コミュニケーションを取るも、おっと、運営としての仕事、仕事!「すみません。おんくんさんを渡さないとっと、失礼する。」
コロナ禍でなければ、通常は子供たちと花火をやったり、親たちはテーブルを出して小さな宴会をするのだが、ここ2年は残念ながら出来ていない。今年の皆さんは、マスク姿でもリラックスした表情で長く談笑されていて、微笑ましかった。
こうして、みんなで集うのも貴重な機会で、近年はあらゆる地域のイベントが中止になってしまっていた。その分、今日はみんな積もる話もあるのだろう。マスクの下から笑い声が聞こえる。
あ〜私もおしゃべりしたいのだけどな、、、と思いながら、せっせと運営としての仕事をする。
時刻も8時を回った頃、名残惜しくも夫が、
「皆さん今日はありがとうございます。ここら辺でお開きとします。来年もどうぞよろしくお願いします」と、閉めた。
運営の私たちは皆様を送り出し、近くに住むご近所さんたちの助けを借りながら片付けを始めた。
今日を一緒に振り返りながら、
「いや〜〜あの、急な通り雨にはまいったね〜〜」とか、
「昼間のお経も灼熱で過酷だったよ〜〜」
などと、笑いながら片付けは進んだ。

片付けを終え、手伝っていただいた皆様にお礼をし、みんなで帰宅。
みんな隣近所なので帰りも一緒。

翌日は会計の仕事

翌日私はパソコンに向かって昨日の祭りの会計報告書を作っていた。

昨日の晩は、回らない頭を無理やり回しながら、お賽銭を数え、お供えされたお金も勘定をする。夫と二重でよくよく確認した。
会計の書類作りも去年のものをテンプレートとして作る。
完成したものを、回覧板に貼り付け、お隣さんに回す。

最後に、お祭りの収入と会計報告書を会計係のお宅に届け、
私の運営の仕事はこれにて終了〜〜〜。

私は家に帰り、冷茶とおんくんさんの最中を食べながら、ほぉ〜と一息付き、あ〜〜運営やり切った〜!と達成感を噛み締めているところである。^^

お地蔵さんも今年のお祭りを終え、ホッとしているところかな。

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