とか。
先日友人に
「お腹とか減ってない?」
とか言われたんですよね。
お腹とかってなんだろう、と思ったんですよ。
まあ分かるんですけどね。
「お腹減ってない?」
では心許ないのでしょう。
「お腹とか減ってない?」
というだけで、なんとなく、目的を達成した気分になれるような。
本来であれば、相手の空腹度合いを確認すること、さらには空腹である相手の腹を満たすこと、までが目的であったはずである。
しかし、
「お腹とか減ってない?」
と聞くことによって、相手が空腹であろうがなかろうが、聞いただけでもう良い満足!という状態にまで持っていけるのだ!
格助詞「と」+副助詞「か」によって、世界は変わる!!
ちょっと気になって、ネットで調べることにしました。
すると、「とか弁」という言葉を見つけた。
初めて聞きました。
90年代から広まった「とか」を多用する話し方のことを指すらしい。
え?僕の生まれる前(96年生です)から「とか」って幅を利かせてたんだ。。
さらに、興味深い(不快)例も発見してしまった。
いやいや、さすがにこれは言いませんよ。
むしろ若者の方が語感やリズムを大事にするはずだから、こんなゴツゴツした気持ち悪い話し方、絶対にしません。
これならまだリズム上、言わないこともないって感じ。この二つの違いが分からない、リズム感のないジジイが書いてるんだろうなぁ。。
あと、こんな心無いことを言う人もいました。
「多いと聞きました」にしとこうとは思わないのでしょうか?
いやむしろ「多いとか聞きました」にすればクスって笑えるのに。。
結局しっかり定着してる話し方とか言葉ってのは、意味があってその地位を確立してると思うんです。「とか」自体に意味はなくても、「とか」が市民権を得たことには、大いに意味がある。
そもそも「とか」に意味はないかもしれないけど、緩衝材の役割は確実に果たしてるわけで。それは単に「相手にどう伝わるかを和らげる」ことに限らない気がします。
話者にとって「気持ちを和らげてこそ、その文句を発せられる」ということもあると思います。
例えばさっきの映画に誘うようなとき。
「明日拙者と映画に参ろうぞ」
なんてストレートに誘えないですよ、そんな簡単に。
でも「明日映画とか行かない?」であれば、言える。これであれば言えるのであって、「とか」を外してまで言えるわけではない。
映画以外の選択肢なんて頭に浮かんでいないけれど、相手側には映画じゃなくても良いよ〜っていう余地を与えられる可能性がある、という打算も少しだけありつつ「映画は嫌だけど美術館とか行きましょ」なんて言われる可能性はほぼ無いとは分かっており、しかし尚「とか」を外しては言えないっ!!
それでよくないすか。
てか「とか」多用されても全然不快じゃないとか思うのって僕だけとかですか?
「お腹とか減ってない?」
最初の議題に戻りましょう。
お腹とかってなんだろう、と思ったんですよ。
って書きましたけど、正しくは「思ってみたんですよ」なんですよ。
僕は「とか」が全然不快じゃないので、ただ友人への意地悪で掘り下げてみただけなんすよね。
考えた結果、ちょっぴりベターな言い方を思いつきました。
「お腹減ったりとかしてない?」
意味のない無駄な若者言葉「とか」に加えて、「たり〜たり〜」並列の原則を無視した単騎使い!!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
実はこの「たり〜たり〜」でさえ、誤用とは言えないでしょう。「何かのちょっとの示唆」的なのが「匂う」ってのが大事なんだから。ニュアンスを読み取るってよりは、嗅ぎ取る感じで。
「あの夏僕は海でスイカ割りをしたり、女性の水着姿を盗み見た。」っていうのはリズムがおかしいから、「たり〜たり〜」で並列させなきゃいけないけど。
並列って実際に二つを並べちゃうよりも、一つだけ配置してもう一つは幽霊?くらいの方が、素敵だと思うなぁ。匂わせられるものは匂わせとけば良いと思うなぁ。
テイラーのこの曲、邦題は、
私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしない。
これ「たり」は単騎だからこそ、伝わるみたいなとこあるでしょう?
まじで秀逸な邦題!!
曖昧さや余白は、優しさだと思う。
曖昧で余白のある、優しい世界で強く生きてゆきたい。
「お腹減ったりとかしてない?」
これはもう、すごい優しさが、溢れ出てる言い方だと思います。
全然関係ないのですが、恵比寿で見つけたこの配色かなりツボでした。生まれ変わったら絶対に鉄棒とかになったりしたい。
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