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家無し宿暮らしな「新生活」-Week 11

先日、代々木八幡で元恋人とすれ違ったらしい。私は友人4名といて、あちらは現在の恋人と一緒にいた。私は気付かなかった。友人らは刹那のアイコンタクトを楽しんだようだ。

他に見るべき方向があって、本当によかった。

Day 73〜の様子

本来はWeek 10に含めるはずだったDay 73からどうぞ。正直宿暮らし記を始めるに当たってWeekという区切り方以外思い付かなかったし、今でも思い付いてないけど、とりあえず1週間が6日になったり8日になったり、そっち側で勝手に可塑性を有してもらって、私は我が物顔で宿暮らし記を綴っていればそれでいい、みたいな状況を切に望みます。

でもWeek 100までは宿暮らしするっていう目標を達成する上で(明確に設定したのではなく自然発生してた目標、いつの間にか付き合ってたみたいなこと、あるでしょう?)ズルはしたくないから、1 Weekが7日より短くなることはないと思います。律儀さを美徳とする姿勢には懐疑的も、ある程度の律儀さは意識的に実践して好感度を取りに行くタイプなのだ。

正直なところ、Week 9&10 合併号が長かったから、Week 11に8日分記すのは、バランスが取れていて実際悪くない。

実際悪くない、と言えば最近婚約破棄した人の家で開催された人形町宅飲みも、実際悪くなかった。悪くなかったどころかもう、最高すぎたかもしれない。もちろん慎重に評価したいとは思うよ。宅飲みって難しいものだからね

(東東京の大切な友人の大切な記憶と記録です)

彼女のnoteを読んで思ったのは、文章というのは既成の現実を再定義することもあれば、主導的に現実を定義付けることもできるということ。

その時々によってどちらを取るかは同じ人でも変わるけれど、私は基本的に後者。現実を再定義するためには読むことの方が多いかもな、と人様の素敵な文章群を読み倒しながら思ったりもした。

しかし、文章を書かざるを得ないなんてことはなかった人が、現実のあまりに現実的な側面に押し潰されないためだとか、現実のあまりに非現実的な側面に凧上げされないためだとか、そういった事情で文章を書いた結果、興味深い示唆に富んだ文章が出来上がって誰かを喜ばせてしまうという構造は、たとえその書き手のプライベートにおいてどれだけの代償が払われていたとしても、価値が残るものだと捉えることもできてしまう。

文章至上主義というわけではないですが。基本的に言語化が難しい部分にしか生き甲斐は感じにくい体質だし。

あまりに上手く言葉にできてしまう危うさに、言葉にしづらいもどかしさをどこまで努力で解消すべきなのかという疑問。これらに関して、この一週間も死ぬほど考えて実践して後悔して忘却したなと思う。つまり生きたなってことっす。

それにしても「誰も何も破棄しなくていいから飲みましょ」って私、お人好しすぎやしませんか?さてさて、人格者の自覚を持って、今日も背筋を伸ばして歩いてゆこうか。

躍動感ってあればあるほどいいと思ってました。26歳の私は。

厳密にいうとまだ26歳ではあるので、躍動感で複雑な事情を乗り越えることも不可能ではないのですが、次の誕生日まで5ヶ月を切ってすでに態度としては27歳相応のものを実践したいと思っている私はここで、躍動感なるものを、きっぱり否定します。

なんだよ、この写真、マジで。

どうなったら皆と別れて一人になってから、そんなブレブレな写真を撮れるんだよ。別に羞恥心の話ではなくてこれ。意図の話なんだよな。

どのような意図を持ってその写真を撮ったのか。分からないからやめてくれ。お前は昨日だけのお前かもしれないけど、俺は昨日までのお前と今日の俺とで俺をやってるんだよな。

しかし、どんな記録も事実を残すという記録としての役割を果たしている以上、頭ごなしに否定しづらいですね。ましてや自分自身の行い。甘やかしたくもなる、まやかしの自分。

別に定期だからもう何とも思わないな。かたばみ(森下)→新宿線→stopover(馬喰横山)みたいな飲み方の話っす。

浜町にいた頃のほうが、物理的に森下のかたばみには近かったのに、馬喰横山で暮らしている今の方が、以前より動線がちゃんと確保されてるんです。

つまり、浜町での暮らしは「その場完結的」だったがゆえの"いたたまれなさ"があった。だから時折ハウスパーティを催す以外は、ほとんどあの家に居なかったんす。言い換えれば「寂しすぎて家にいれなかった」とも。

それこそ導入文の元恋人の方面(代々木八幡)に大抵いたり(4年分の1ほど)。別に佐伯雄大(元同居人)が家にいて、一緒に何かをする時間は良いんだけど、家の周りに何があるというわけではなかったからね。

じゃあ「その場完結的スポット」の「その場完結的側面」を突き詰めようという考えを持てば、毎日ハウスパーティーを催してたかもしれないけれど、我々もそこまで気が触れてはいなかったからな。ていうか佐伯は平日いつも帰りが遅かったし。待てども待てどもってやつだ。

浜町の方が森下に近いずなのに、あの頃があまりにも点的だったせいか、今の方が森下かたばみを「近くに」感じる。

もとぅ鍋

もちろん、他の要因もいくつかありそうだけど。BEER VISTAが森下にできたことだとか、森下(菊川)の友人宅に遊びに行くだけではなく、宿泊するようになったことだとか。

つまるところ直線距離じゃないわけです、人生。

これ一瞬何を言ってるか、自分でも分からなかった。思い出すのに時間がかかったよ。頼むよ昨日の俺、今日の俺を困らせないでくれ。

要約すると、下記のようなことです。

  1. 私は死ぬほど疲れていた

  2. 疲労感は全身を覆っていた

  3. 上の空で手を洗ったら袖が濡れた

  4. 袖が濡れたら普通不快なのに不快じゃない

  5. 「あぁ濡れているな」という達観だけがある

  6. 私は死ぬほど疲れている

でも本記を書いている2月16日、だいぶマシになってきた。

まだまだ疲れてるんだけど、楽しすぎるっていうか。今人生が楽しいです、心の底から。やっぱ多少疲れてた方がいいんだね人間。友人からのラインが一件も来ない夜だって、ストレスはずっとそばにいてくれる

(stopover tokyo@東日本橋)

正しいね、彼は。ビールなんて我慢しても仕方がないんだよ。

その代わりにもっと大それたことを我慢しようじゃないか。大それた目的のために、大それた我慢を。

死なない程度に疲れて、死なない程度に飲み過ぎればそれでいいのですから。

平日の始まりと終わりは絶対に早起きして朝活すると決めている。

田そばの蕎麦は相変わらず綺麗で喉越しが滑らか。食欲のない朝でも即平らげて気分ぶち上げ。

てかこの日雪が降った日か!夜は結構な雨になって、外国人観光客向け居酒屋ツアー業を新宿で敢行してたから、結構な水滴り男になった。飲み過ぎて舌足らずにもなったんだっけか。

チェックアウト後に、友人2名(うち1名元同居人:佐伯)とハンバーガーランチ。小伝馬町のJack 37。相変わらず肉肉しくて舌鼓が捗ったね。

話したいことがあったのに
そんなに鼻の下を伸ばされると
話しづらくなって、辛いな。

それから、元同居人に、バレンタインのプレゼントを。横山町のplywoodで、適当に見繕った。キンミヤ焼酎1,800mlパック専用のケースを。

世の中には色々とニッチな商品が存在するものだね。なんだよキンミヤ焼酎1,800mlパック専用ケースって。

プロポーズに使えそう、「720ml瓶な奴らが多いこの腐った世の中で、初めて会った時から1,800mlパックのような大らかな個性が素敵だって思ってました。貴方専用の、ケースになってもいいですか」。

多分、シャリキンパウチ(90ml)みたいな女と浮気するね。

一丁前に微妙な顔をするなよお前ごときが
なんでも嬉しがれ底辺

気に入ってもらえたら嬉しいな。

まだまだ想ってるから。この腐った世界の中で、心の底から信じれる人に出会えたこと、私はこの運命にしか、従わないから。

ハッピー・ヴァレンタイン。

京都から友人が来て。

代々木公園でワイン飲んだりしちゃったら、東東京で家無し宿暮らし生活をしている人の人生に、柔らかな春の日差しが差し込んだような感じになっちゃうものですね。実際に天候もすっかり春めいて、半袖での闊歩が快かった。

むず痒くも楽しいというかね。とてつもなく楽しかったな。

まぁもちろん幡ヶ谷で働いてるからそりゃ近いんだけれども代々木パーク。全然行かないからむず痒いというか、幡ヶ谷は我が物顔で歩けるとしても、それより東に位置する代々木公園の方が自分的には"西"なんだな。

そしてこの公園飲みは、導入部でお伝えした「すれ違い」の約30分後のお話。

私は2018年12月〜2022年11月まで日本橋浜町にて友人男性と2人でルームシェア生活をしていた。そのうち2021年6月〜2022年7月までは富ヶ谷にある元恋人の住居で過ごすことも多く、浜町に帰ることの方が少なかった。

その期間は愛に満ちていたはずだけれど、いざすれ違ってみて、すれ違ったことのドラマ性で友人が湧いてくれたことで、嬉しい違和感みたいなのは生じたんだけど、愛に満ち溢れていた期間よりも自己愛だけでやり繰りしている今の方が良いって思えるのは、単純に「過去よりも今の方が優れているべきだ」という考え方を重視しすぎているからでしょうか。

素敵な日々でしたけどね。佐伯との日々も、元恋人との日々も。

私レベルの宿泊モンスターになると
上記のやり取りで簡単に一泊を得ることができる

観察と感想

1月は多忙に忙殺されたから、2月は恋に恋しようと思った。でも、チョコをちょこっとももらえなかった。これはもう死を死すしかないやつかな?

まぁしかし、なかなかに良い1週間だった。Week 12は普通に楽しい感じで、Week 13は色々と大事な用事が控えてる感じっすかね。宿は基本的にCITAN、日曜は五反田カプセルホテルを積極的に利用したり、3月入ったら蔵前Nui. に行ったりもします

https://www.instagram.com/nui.hostel_bar_lounge/

春になって色々動きも出てきますが、自分がどこにいるのか(どこに泊まっているかではなく)は見失わないように、やるべきことをしっかりやっていく所存です。

いつも読んでくれてありがとうございます。読み続けてくださいね、書き続けますから。生き続けてくださいね、死んだら読めないから。


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