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家無し宿暮らしな「新生活」-Week 4

2018~22年までの日本橋浜町ルームシェア生活では、何度か愛を感じたこともあった。しかし、生活というよりも「大会」
と呼ぶ方がしっくりくる側面さえ持ち合わせた暮らしの中で、私は確実にすり減っていった。そんな私が再び精神を肥やすために始めた家無し宿暮らしもついに一ヶ月が経過。ジーザス爆誕に際して睡眠が不足し、私は奇妙な行動を取ることになる…。

Day 27〜の様子

菊川が最寄りであるも頑固に森下と言い張り続ける友人に対し、ついに私が折れた形となっている。

いつか市民権を得て「どこ住み?」「菊下だお」「あぁキクシーね」なんてスムーズな会話が成立することを、心から願っている。

さて、Week 4 は東東京を満喫して始まった。私はWeek 3でも「東東京しか勝たん」みたいなことを言っていたけれど、上記ツイートのような過ごし方をした暁には、相当な愛に溢れた東東京の過ごし方ができるんじゃないだろうか。

本記事後半を読み進めてからは
決して見返すべきではないリズベタカレー(絶品)の写真

秋葉原カプホテ、菊川森下浜町、幡ヶ谷勤務、八重洲スタバク

私は、Week 3でこんなことも言っていた。

そして私は、ネットカフェに手を出した。初めて泊まってみたが、快適でも不快でもなかった。ただし、トゥイートしたように違和感はある。得体は知れている隔絶感である。つまりは、近未来的とさえ言えそうな整然と並ぶ個室群に、不要なPCの存在、無機質な接客、決して目も合わない他者たち、諸要素によって私は隔絶された。

でも多分カプセルホテルでは、そう感じないんじゃないか。
家無し宿暮らしな「新生活」-Week 3

甘かった。カプホテ(男性限定)もなかなかに厳しい環境だった。一様に提供寝間着を身に纏ったアラフォーおじさん達の鼾のハーモニーは、楽団として世界も目指せるレベルにあった。指揮者として絶対あいつらをウィーンに連れてってやるって強く思いながら耳栓はせず眠りに落ちた。起きたらやっぱ無理かなってなったけど。おじさんという凄まじい生き物たち、尊いね。

さて、新週はじまり3日目で怠惰な投稿を披露。これは背水の陣的な作戦であって、もはや前週/前前週のように週の最後の投稿でサボれなくなる

しかしこの投稿には「私」と「私」の私的なやり取りの新たな形があり、案外深いことになっているかもしれない。

ていうか皆さんにぜひ見ていただきたいのが、俺vs俺のやり取り。私は(Twitterで)家無し宿暮らし「新生活」記録用アカウントに、メインアカウントで返信している。

このやり取りを高く評価してくれる友人がいるので、こういうくだらないやり取りは続けていきたいと考えている。というか、誰しもが内に秘める二面性を健康的に消化する一つの友好的な方法として、皆さんもぜひ実践してみてはいかがだろうか。
家無し宿暮らしな「新生活 -Week 2

https://twitter.com/satousuke/status/1606171859422101505

https://twitter.com/unko_kiroku/status/1606172085386063872

https://twitter.com/satousuke/status/1606181674324070400

私はこれまで私をベタ褒めするか蔑み倒すかしかしてこなかった。ここに来て初めて中立的な立場をとったのだ。

その結果、私は私に怒られた
そして、私は私に了解した。

ふむ。大して深くはなかったみたい。はい、次行きます。

そして私は、いよいよ友人宅の位置を菊川ではなく森下だと認めた。これは、かねてから主張を曲げなかった友人に、散々泊めてもらいお世話になったことで迎合する形である。

なんなら応援しているラプターズが6連敗からの2連勝して調子付いたため、隅田川を超えて浜町とさえ認識している。川をなんだと思ってるんだろう

しかし実はこれ、朝の5時の投稿。一睡もしていないクリスマスの早朝テンションに他ならない。つまり、全然前言撤回したい系。よって友人宅は正式には菊川である。あるいは、毎年クリスマスだけは森下に昇格してもいい。

幡ヶ谷勤務を終えて笹塚で朝6時過ぎまで飲み続けた結果、眠気さえ吹っ飛ぶほどハイになって度を超えたトゥイートが続く。。

https://twitter.com/unko_kiroku/status/1606747880269950976

あれ?怠惰な投稿って1ウィーク1投稿までじゃないの?

笹塚から東京駅へ。

ここに来て再び「東東京への依存」というテーマが顔を覗かせる。この日は宿をとっていなかったが、翌日というかもはや当日な25日も幡ヶ谷勤務のため、別にそこら辺にいた方が効率がよい気もする。

上記の考え方自体に誤りはないのだが、気付けていない重要なポイントがあった。それが「東東京への依存」である。「街を見つめ直す」なんていう一見素敵極まりないテーマを胸に抱き不敵な笑みを浮かべて執筆していたが、ただの癒着である可能性さえ浮上している。つまり、馴れ合った街で流浪ごっこをしているだけなのだ。
家無し宿暮らし -Week 3

しかし、東東京の方が勝手がよい、都合よく動けるという事情を考慮すると、実は東に出てきて朝の7時から午後2時までの7時間を馴染みのあるエリアで過ごす方が効率的なのは間違いない。

東京駅に降り立った私は、八重洲地下街のスターバックスへと足を運ぶ。スターバックスはカフェチェーンの中で圧倒的に居心地が良いわけだが、初めて赴く店舗では勝手が分からずに緊張することも少なくない。

八重洲地下街店は、ヤエチカ店と略して呼ぶほどに親密な関係にはないも、数度訪れていた関係で身体が勝手に電源席に向かった。そして私は本日一杯目のコーヒーとしてオーツミルクラテを飲み、パソコンを開いて作業をする準備をしつつ、携帯でNBAの試合を観始める。

眠い。とても眠い。

私は流石に眠りたいと思いネットカフェを検索したが、どこもまだ満室だ。クリスマス・イブの夜〜クリスマスの朝にほとんどの宿が満室なのは無理もない話だが、ネットカフェまで満室というのは驚きだ。ただ唖然とするほどに驚く暇はなく、すぐに思考を切り替える。冷静に自らの現状を把握する。

「私は一睡もできないのだ」

ネットカフェで数時間の仮眠を取る代わりに、何をすればいいのか。答えは明白だった。「おしゃれな朝食を取る」ほかあるまい。ネットカフェにさえ断られた場合、おしゃれなプレート・ブレックファストを食べなければ、人間というのは精神の安寧を保てないものだ。私の足は、必然と日本橋小舟町カフェベーカリーに向かった。

リコッタチーズとアーモンドのトースト@パークレット

クリスマスのパークレットは朝8時だというのにかなり人が入っていた。真っ赤なアウターのみで家無し宿暮らしをしていることを後悔した。向かいの席にはヤング・カップルが。就活の話をしていたから大学生だろうか。

純然たる事実の確認、歯茎に突き刺さるアーモンド、勝ちを確信した睡魔

上の写真奥に見えるキューブが番号札代わり。MとOが揃って「MOだ!」「運命だね!」という会話をしていた。お互いのイニシャルなのかもしれない。あるいは、昨夜牛さんプレイをしていたのかもしれない。喘ぎ声が全部「もぉ〜」縛りみたいな。

真相は分からないけれど、他にも面白い会話をしていたのは事実。「まだお腹痛い?だいじょぶ?」と彼女の方が彼氏の腹部の調子を気にしてあげている。「分かんない。まだまだこれからだから」と彼氏。

そんな壮大な物語のお話なのかそれ?
いや分かったぞ。牛さんプレイってのは牛乳まみれになることで、プレイ中に否応無く相当量の牛乳を飲んでしまったが、本当はアレルギーなんだろ。体張って頑張ったな。一生ものの思い出が作れてよかったじゃねぇか。

てか、なんでお前らのコーヒが先に来てるんだよ?

そう、私の方が先に注文をして、上の写真を撮った2分前には彼らのコーヒーとスコーンが届いてた。まぁクリスマスなんてどの業界・サービスもカップルに優しくあるべきなのだろう。致し方無し。

オリジナル・ルールで指相撲をする「カップル」の無料画像

しかしクリぼっちっていう言葉の使い手ほど信用できないものはない。毎日ぼっちだろうが。忘れるなよ、恋人いないのはクリスマスだけじゃないだろう。そして人間はいつだって孤独でしょうに。

大学生カップルの温かみに溢れる会話はまだまだ続く。
「今日はクリスマスだね」「そうだね」

なんだと…そんな風に会話を成立させるのってありかよ。純然たる事実の確認。あるいは、何度確認しても確認するたびに幸せな気持ちに包まれるかのように。

いや、違う。
二人は確認する特権を持っているのだ。
私は、持っていない。
私には、本日がクリスマスかどうか確認する術がない。

つまり、Twitterなんかでクリぼっち関連の発言でバズってる奴らは、実は騙されている可能性まである。一人のくせにどうやってクリスマスだと確信できるというのだ。

「今日はクリスマスだね」「そうだね」

我々は普段、全てを分かった気でいる。一人で携帯をいじってネットで様々な情報に触れて全てを分かった気でいる。本当は、他に誰かがいないと気づけないことも山ほどある。

私はトーストにかじりついた。アーモンドが歯茎に刺さって痛い。しかし、美味しい。痛みを忘れるほどに美味い。リコッタチーズと蜂蜜の相性は言わずもがなだが、オリーブオイルとアーモンド、そしてパンの程よい酸味と食感により、トーストは無欠の存在となる。なんて贅沢な朝食なのだろう。

本日二杯目のコーヒーをすすり、私は満たされた気持ちになる。一人だろうが二人だろうが関係ない。クリスマスじゃないか。

てかさ」と彼女はフォークを置いて話し始める。そうだ、会話とはこんな風に小さな動作を伴い、滑らかに進行する。もぐもぐもぐ、フォークを置いて、別の話題へ。

私は別にこの家無し宿暮らしな「新生活」を、孤独を抱き締めるための期間だと捉えていない。しかし眠らないことで妙に冴え渡った頭は、色々なことを考えるものだ。どうしようもないような細部に注意が向き、その結果人は勝手に傷ついたりもする。しかし、私はあくまで気付いたりするだけにしようと努めた。どんな気づきさえも祝福的な気持ちで受け止めようと努めた。これはある意味、クリスマスの魔法とさえ言える現象かもしれない。

無論確実に眠気は襲ってくる。炭水化物を摂取したのだから無理もない。今眠ったらそれは、複勝1.1倍の有力馬になす術なく勝利を譲るようなものだ。睡魔は勝ちを確信し余裕をこいている。ならば一層頑張らねばならない。穴馬が頑張るからこそ、競馬は人々に愛され続けてきた。

求めていた十数倍は躍動感のある「競馬」の無料画像

私は大きく伸びをした。身体中の節々が音を立て、それは私にとって一つの合図となる。立ち上がり、必要以上に大きめの声で「ごちそうさまです!」と言い放ち店を出た。どこまでも歩き続けられる気がする。高らかに勝利宣言をした直後、不快そうに歪められた睡魔の顔が眼前に浮かぶようだ。私はどこまでも歩き続けられる。空が晴れ渡っている。向かう先が死の淵であろうとも、私は歩みを止めたりしないだろう…。

いや、やっぱり眠いな。どうしたって、眠いな…。
ちょっと座りたいな…。ちょっとだけ、ちょっとだけ座ろう。

私の足は、一月からの我が寝床、東日本橋CITANへと向かった。何度も尻を沈めた地下ラウンジのソファで、私はまどろみ始める。一度トイレに行ってから、再びまどろむ。本日3杯目のコーヒーは、私を覚醒へと導いてはくれない。穏やかな陽光が差し込む、隣席にはまたカップル。もう「クリスマスだね」「そうだね」なんていう会話を聞くことはできない。私はイヤフォンをして、音楽を聴いている。ウェッサイの軽快なラップが脳髄の水を揺らす。

だめだ。寝てしまってはいけない。作業をしよう。せっかく早起きどころじゃない最高な事態になったのだから、仕事をしないと。午前中に行う仕事はどうしたって効率がいいではないか。

トイレに行って気合いを入れる。一見出し分だけでも執筆を。さすれば年末年始、少しでも楽になるのだから。私は仕事を始める。カタカタという自らのタイピング音に眠気を誘われつつ、一見出し分の執筆を無事に終える。ネットカフェの空室状況をチェックし、あぁ空き始めたなと思いながらトイレに行く。しかし、今から眠ると確実に幡ヶ谷Sanita Tokyoへの出勤に間に合わない。てか銭湯行きたいし。

よし、13時まで起きていればあとは新宿線に乗って幡ヶ谷に行くだけだ。あと1時間半。大丈夫。俺っちはもう大丈夫…!!

4杯のコーヒー、4回のうんこ、40時間の無睡

一人称がピンチ時のものになったりして、でもピンチはチャンスなわけで、CITANから徒歩3分、問屋街にある摩天楼珈琲に。バリスタが日替わるという変わったお店で、私は本日4杯目のコーヒーを飲むことに。

そして無事に幡ヶ谷へ、銭湯に行って、Sanita出勤して、トイレに行って、無事に仕事を納めて、新宿のカプセルホテルへ。秒で眠りに就きました。

コーヒーを4杯飲んで、4回出すべきものを出して、40時間も眠らずに頑張ったら、知らない人の人生まで祝福したくなる優しい気持ちに包まれました。基本的に「トイレに行く」「出すべきものを出す」という間接的な表現を用いつつも、見出しではしっかり「う○こ」と言っちゃうところが味噌。いや、あんまり「う○こ」と味噌を並べるのはよくないか…。

「一向に眠い」「眠らぬ私の核は腸」
年の瀬に際して流行語大賞候補がドバドバと、まるで快便。あぁ、まだう○こに引っ張られている…。

やっとのことで安眠を得た私は、再び東東京へ。「仕事に追われるんじゃなく追わせてやる、ついてこいマイジョブ」なんていう転職広告のコピーさながらの文句が浮かんでいる辺り、まだ睡眠が足りていないのかもしれない。

そんなDay 32、森下(正式には菊川)の友人宅を訪れてコンタクトレンズを回収させていただいた。最悪の場合、京都の友人宅に届けて年末に受け取る可能性もあったのだ。

実は12月10日頃、元の住所(浜町)にコンタクトレンズが届いてしまい、発送元の北海道まで送り返してもらい、森下の友人宅まで再送付してもらうも、居住確認が届いてしまい、必要事項を記入しやっとの事で先日ポストに投函され、それを受け取ったのが12月26日、サンタさんの存在を信じたくもなる

日常生活ではまず並べることはない数の
コンタクトレンズの神秘的な無料画像

使用していたレンズ自体の消費期限はギリギリ過ぎていないのだが、最後の1組だったというのが大きい。あと私、メガネ持っていないのよ(買え)。

最後から2番目の1組に関しては、傷をつけて2週間も経たずに取り替えざるを得なかった。そのため最後の1組はことさら慎重に扱ってきたわけだが、常に不安はあった(ていうか店舗でコンタクト買え)。

「また傷つけたらどうしよう」
「もう失いたくない」
「クリスマスまでには会えるのかな」

繰り返し不安に精神を蝕まれ、家も無い。そんな私が新品のコンタクトレンズを装着して最初に目にした景色が、元同居人新居のベランダにある、奇妙なシャワーだったとしたら、皆さんは私に同情してくれるだろうか?

本当はシャワー浴びる前にコンタクト付けたんだけど、Twitterミスったな。これで同情しろと言われてもまず事実関係から難しいだろう。

でもどこまでが現実でどこからが妄想なのか、その線引きが曖昧になるのは、誰のどんな生活でも簡単に起こり得ることだろう。人って普通に自分の記憶改竄するし話盛るしね。でもそれでいいんだよ。妄想によって拡張された奇妙な現実を、みんなで生き抜いていこうぜ。

観察と感想

次記事のサムネとして使うためにダウンロードした無料画像

さて、本週は無睡の時間帯を長く含んだ結果、総合的な印象としては忙しないものとなった。眠らないことで頭は妙に冴え渡り、細部に注意が向く。しかし、明らかに寝ぼけている部分もあって、それは例えば普段はパンツの左ポケットにしか入れないAirPodsが上着の右ポケットに入っていたりなど。それからコンタクトをなかなか受け取れないことで、「新生活」スタート以来初めて「不便」を感じたかも。一ヶ月でたった一つなので、上出来な方かなとは思う。

そんな不眠徘徊やら眼球健康やらよりも、本週のハイライトとして取り上げたいのは、やはりコインランドリーの便利さ。Day 32-33に元同居人新居に泊まった際にも、コインランドリーの話題になった。

彼もまたランドラーの一人。新居に備え付けられていた洗濯機が壊れているらしい。そして彼は私以上にコインランドリーの利便性を享受していると思われる。なぜなら、一緒に住んでいる時彼は「50時間洗濯槽男」として知られていたから。洗濯物を洗濯槽に放置すること50時間、その間に私が洗濯機を使うために取り出すこともあれば、日程的に確認できないことも多々あった。

なんだかこういうエピソードってリアル・ルームシェア・ストーリーっぽくていいけれど、読者の皆様に与える印象としても思い返す私のハラワタ的にも良くはないよね…。洗濯機が濡れた衣服で満ちている度に「ゴミ野郎め」と思ってた…。

コインランドリーの総数は1997年度の1万強から
2021年度は約2万4000に増えているらしい

兎にも角にも、コインランドリーは偉大である。全ての動作が一つか二つの機械で完結し、産物は温かく良い匂いがするのだ。都会に住んでいながら簡単に得られるぬくもり。添い寝よりも、コインランドリー。

さて、次記事は年末年始を含みます。主に私が京都にいる記録となります。私と古都のことをどうぞよろしくお願いいたします。よいお年を。

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