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小説:見える人 5-1

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5.力の解放/手のような痣


 あくも篠崎カミラは待ちかまえていた。背筋を伸ばし、じゃっかんは自然に見えなくもない笑顔を浮かべてる。

「おっ、おはよう、ごっ、ごっ、ございます」

「ああ、おはよう。昨日はありがとう。助かったよ」

 彼女はぐいっと頭を下げた。動作にはまだ支障があるようだな。そう思いながら僕もうなずいておいた。

「そ、そ、それで、きょ、今日は、だ、だ、大丈夫でしょうか?」

「なにが?」

「あっ、あの、メ、メイクです。さ、佐々木さんに、お、お、教えて、い、いただいたので、き、き、昨日、ざ、雑誌を、な、な、何冊か買って、そ、そ、それで、」

「ふうん、いいんじゃない? 自然な感じにみえるよ」

「あっ、ありがとう、ご、ございます! ふっ、ふっ、ふんわり、ナ、ナ、ナチュラル系と、い、い、いうのに、し、し、してみたんです」

 吹き出しそうになったものの僕は表情を整えた。『ふんわりナチュラル系』ね。いかにも雑誌に載ってそうな言葉だ。でも、コイツが言うと笑えるな。

「よ、よ、よかったです。ちょっ、ちょっと、ふ、不安だったんです。ま、ま、また、ち、違うって、い、い、言われたら、ど、どうしようかと、お、お、思って」

 別に君のコーディネーターになったわけじゃないから。そう思いつつ僕は歩いた。ただ、気になることが出てきた。まあ、前から気になってはいたけど修正が加わることでさらに気になったのだ。

「あとは服だな。地味すぎるよ。個性がない。それじゃまるでリクルートスーツだ」

「は、はあ。そ、そ、そうでしたか。で、では、きょ、今日、し、し、仕事帰りに、か、か、買いに行きます」

 ほんと素直なことで。しかし、こんなんじゃ悪い男にだまされちゃうんじゃないだろうか? ま、僕に言えることじゃないけど。

「あっ、あの、」

「ん? どうした?」

「は、はい。あっ、あの、その、」

「あのな、これも前に言ったろ? 言いたいことがあるなら、すっと言ってくれ」

「す、す、すみません。あっ、あの、だ、だ、だけど、こ、こんなこと、お、お願い、し、して、い、いいものか、」

「お願い? どんなお願いだ?」

「そ、その、さっ、さっきの、お、お話に、か、か、関することで、――だ、だけど、こっ、こっ、こういうのを、お、お願いするのは、や、やっぱり、」

「いや、昨日は世話になったしな。僕にできることならなんでもするよ」

 そこまで言って僕は顔をしかめた。言い過ぎたように思えたのだ。彼女は頬を染めている。

「ほっ、ほっ、本当ですか? うっ、うっ、嬉しいです。で、で、では、い、い、一緒に、デ、デ、デパートに、い、行ってください」

「デパート? なんでだ?」

「そっ、そっ、その、ふっ、ふっ、服を、み、見立てて、い、いただきたいんです」

「はあ? 僕が君の服を選ぶってのか?」

「はっ、はっ、はい。そっ、そうして、い、いただけたら、」

「いや、ちょっと待ってくれ。なんでそうなるんだ?」

「だ、だって、あ、あ、あとは、ふ、服だと、お、お、おっしゃったから。そっ、そっ、それに、じ、自分に、ど、ど、どんな服が、に、似合うのかも、よ、よく、わ、わからないので」

「そういうのも雑誌に載ってるだろ? 『ふんわりナチュラル系』の服とかにしときゃいいんだよ」

「だ、だ、だけど、わ、私、じ、じ、自信が、な、ないので。そ、そ、それに、さっ、さっき、さ、佐々木さんは、な、な、なんでも、し、してくれるって、」

 僕は天をあおいだ。やっぱり言い過ぎたんだ。なんでいつも軽く言っちゃうんだろ? さぎさわもえと暮らすことになったのだって、あまり考えずに口走った言葉が原因のひとつだったのだ(まあ、それ以外の理由もあったけど)。

 ん? ちょっと待てよ。ということは、これも悪い霊のわざなのか? ――いや、そうじゃないはずだ。なにしろこの女はそっち方面から引き離してくれるはずの存在なんだ。

「ど、ど、どうしました?」

 髪を掻き回しながら僕は歩いた。わけがわからなくなってきたのだ。それと同時に、この女をどう見るようになっていたかわかってうんざりした。

「いや、でも、ほら、いつ仕事が終わるかわからないしさ。いったん出社したら、すぐ出なきゃならないんだよ。午後には池袋まで行くし、そこからちょっの予定なんだ」

「で、では、い、い、池袋の、デ、デパートにしましょう。そ、そ、それに、わ、私、ま、待つのなんて、へ、平気です。な、何時間でも、ま、待てます」

「そうなの? 三時間くらい待つかもしれないよ。デパートが閉まっちゃうかもしれない」

「そ、そうなったら、あ、あ、明日にします。で、で、でも、わ、私は待ちます。け、け、携帯電話の、ば、ば、番号は、わ、わかってるので、ず、ずっと、な、鳴るのを、お、お、お待ちしております」

 くちゃくちゃになった髪をでつけると自動的に溜息が洩れた。こうなったらどうしようもない。今日だけしても明日がある。明後日だってあるのだ。肩を落としつつ僕はこう言った。

「わかったよ。そうしよう。それでいいんだろ?」

 営業先を出たのは六時過ぎだった。人混みをすり抜けるようにしてると雨が落ちてきた。間隔もまばらな弱い雨だ。しかし、周りの者はさも大事が起こったとばかりに動きだした。全体がひとつの意思を持ってるかのようにだ。

 僕は信号待ちの間に電話をかけた。――出なけりゃいいけどな。ログは残る。だけど、出なかった。そうなればいいのだ。しかし、かけた瞬間に繋がった。

「あっ、あっ、あの、」

「早いな」

「はっ、はい。ず、ずっと、ま、ま、待ってましたので」

「それで、どこにいるんだ?」

「そ、そ、それが、わ、わからないんです」

「わからない?」

「は、はい。い、い、池袋って、あ、あまり、こ、来ないもので。で、でも、た、沢山、ひ、人がいるところに、い、います」

 そりゃそうだろうよ。信号が変わり、かさは一斉に動き出した。正面には池袋駅が見える。

「駅の中でしょ? 東の方? それとも西?」

「そ、それも、わ、わからないんです。ジェ、JRの、か、改札を出て、ひ、ひ、人に、お、押されるように、あ、歩いてたら、ど、どこにいるか、わ、わからなくなりました」

「じゃあ、周囲を見まわして。なにか書いてあったりするだろ。目につくのを言ってみて」

「え、ええと、――あっ、せ、せ、西武線って、か、書いてあるのが、みっ、見えます」

「わかった。じゃ、そのまま西武線の入口に向かって。その方が見つけやすいから。近くに行ったら電話するよ。わかった?」

「はっ、はい。あ、あ、ありがとう、ごっ、ございます」

 雨はすこし強くなってきた。それに打たれながら僕は溜息をついた。

 改札に近づくと居所はすぐにわかった。目印になりやすい背の高さをしているとこうなるものだ。

「き、き、来て、く、くださったんですね」

「まあね」

 緊張したおもちで彼女は見つめてきた。地味ではあるけどクォーターだけあって顔のパーツにはそれぞれ主張がある。スタイルだって悪くないのだ。背が高く、きゃしゃで、顔も小さい。化粧もちゃんとしてるから初めて見たときとは別人のようになっていた。

 これでそれなりの格好をしたら、まあまあは見られるかもしれない。いや、なに考えてんだ? きっと会社から遠く離れた場所で無関係な人たちの中にいるからそう思えたんだ。そうに違いない。

「さっさと行こう。そうだな、こっからだと西武に行った方がいいだろ」

「はっ、はい。おっ、お任せします。あっ、あの、ほっ、本日は、よ、よ、よろしく、おっ、お願い、い、いたします」


 書類がぎっしり詰まったかばんをぶら下げ、僕はあとについていった。ここから先の主導権は向こうにある。そう考えるのが普通だろう。しかし、売り場を見るだけで入ろうとしない。しまいにはフロアを一周し、もとの場所まで戻ってしまった。

「なにしてんだよ。なんでちゃんと見ない」

「だ、だって、きょ、今日は、さ、佐々木さんが、え、え、選んで、く、くださるって、い、言うから」

「は? ほんとに僕が選ぶのか? 全部? こういうのって、たいていそっちが『これどう思う?』とか言ってくるもんじゃないか?」

「そ、そ、そうなんですか? し、知らなかったです」

 いや、知ってる知らないの話じゃなくってさ。僕は周囲を見渡した。――うん、こんなことに時間を使うのは馬鹿げてる。さっさと決めさせて早く終わりにしよう。

「じゃ、とにかく店に入ろう。そうしないことには始まらない。ってことは終わらないわけだからな。ほれ、とりあえずここにするぞ」

 僕だって一周まわってる間になにもしてなかったわけじゃない。この女が着ても差し支えなさそうな服はチェックしておいた。ここに入るのか? 入らないのかよと何度も思っていたのだ。

「これは? こういうのがいいんじゃないか?」

「そ、そうですか? だ、だけど、ちょっ、ちょっと、ま、前が、あ、あ、開きすぎてるように、お、思えるんですけど」

「そうでもないよ。会社に着ていってもおかしくないくらいだ。こんなの着てるのはたくさんいるだろ?」

「そ、そうですけど。――ううん、で、でも、わ、私には、あ、あまり、に、似合わなさそうに、お、思えます」

 店員はしきりに顔を動かしてる。割り込むのが難しかったのだろう。

「ま、とにかく着てみなよ。それから決めりゃいい。――ね、店員さんもそう思うでしょ?」

「え? は、はい! きっとお似合いだと思いますよ。それにお仕事に着ていかれても大丈夫なものですし」

「ほら、店員さんもこう言ってる。試着させてもらえよ」

「わ、わかりました。じゃ、じゃあ、ちょっ、ちょっとだけ、い、いいですか?」

 ちょっとだけいいですかってなんだよ。そう思いつつ僕は溜息をついた。手はしびれてる。鞄が重すぎるのだ。

「あら! まあ! よくお似合いで!」

「え、ええと、そ、そ、そうでしょうか?」

「はい、お似合いですよ! 背が高くていらっしゃるからでしょうね。まるであつらえたもののように似合ってます!」

 接客がお上手なことで。そう思いながら僕は目を細めた。確かにぴったり合っている。それに身体のラインが強調され、胸が意外にあるのもわかった。華奢なわりにはけっこうな大きさだ。

「あっ、あの、」

「え?」

「ど、ど、どうでしょう? あっ、あの、に、似合ってるんでしょうか?」

「ん? ああ、びっくりした。そこまで似合うとは思わなかったからさ」

「あっ、ありがとう、ごっ、ございます」

 店員はちょっとばかり妙な顔つきをしてる。しかし、すぐに商売っ気を取り戻した。

「そうそう、それに合うカーディガンがあるんです。こちらもお仕事に着ていかれて大丈夫なものですよ」

「じゃ、じゃあ、そっ、それも、お、お、お願いします」

「では、ちょっと腕を広げていただいて、――まあ、すごい! すごくお似合いです!」

 それをまとうとさらに良くなったようだ。しかし、ぺったんこな靴を履いた姿は残念さを感じさせた。

「あとは靴だな。ちょっとはヒールがあった方がいいよ。――ここって靴も置いてあります?」

「ええ! ええ! ございますとも!」

 ごく個人的な趣味によって僕はピンヒールのエレガントな靴を勧めた。それを履くと完璧に近くなった。

「まあ! ほんとにモデルさんみたい!」

「あっ、あの、そっ、その、」

 そうつぶやきつつも彼女は鏡を見つめてる。僕ものぞきこんでみた。

「さ、佐々木さん、ど、ど、どうでしょう? こっ、こっ、これで、い、い、いいんでしょうか?」

「うん。いいっていうか、すさまじくいいよ。まったくの別人だ。いつもそうしてりゃいいんだよ」

「ほ、ほ、ほんとですか? じゃ、じゃあ、こ、これ、ぜ、全部、か、か、買います」

「え? 全部? それ全部買うの?」

「え、ええ。だ、だって、さ、佐々木さんが、い、い、いいって、お、おっしゃってるんですもの。あっ、あの、そっ、それで、ご、ご、ご相談なんですけど、」

 最後の部分は店員に向かって言ったものだ。言われた方はきょとんとしてる。「ご相談」ってなに? とでも思っているのだろう。

「は、はい。なんでございましょう?」

「あっ、あの、こ、これ、ぜ、全部、こ、ここで、き、着替えていっても、い、い、いいですか?」

 しばしの沈黙が差し挟まれた。ただ、首を引くと店員はスイッチをオンにした。

「ええ! ええ! もちろんです! では、タグを取っちゃいましょうね。ええと、その前にお会計を――」

「あ、は、はい。で、では、こ、これで、」

 財布からは見たことがない色のカードが出てきた。きっとプラチナよりも上のものに違いない。そんなふうに考えながら僕は柔らかそうな胸元を見つめていた。

 それからも何店かまわり、似たようなことをした。当然のことに紙袋は増えていき、僕は幾つかを持ってやった。どうしたってそうせざるを得ないだろう。

「あっ、あっ、あの、ほ、ほ、本日は、ほ、本当に、あ、ありがとう、ごっ、ございました。つ、つ、つきましては、ゆ、夕食を、ご、ごそうさせて、い、い、いただけませんでしょうか?」

「いいよ。これはいわば昨日の礼だ。気をつかわなくたっていい」

 顔をしかめながら僕はこたえた。「つきましては」という誘われ方は初めてだったので少々面くらっていたのだ。

「で、でも、そ、そ、それじゃ、わ、私の、き、気が収まりません。こ、こ、こういうとこって、う、う、上の方に、レ、レ、レストランが、あ、あるはずですよね?」

「まあ、あるだろうね」

 言いかけてるうちに彼女はエスカレーターへ向かっていった。満足そうな表情を浮かべてる。と思ったら、視線は左肩に向けられていた。僕は溜息をついた。あまり気にしてなかったけど(それ以外に気になることがたくさんあったからだ)、この女にはけっこう強引なところがある。今日だってそうだもんな。いらつかされる女だと思ってるのに、なぜか服を選ぶようになってるのだ。

 そして、そう考えてると気になることがいろいろ出てきた。僕は彼女のことを知ってるようで、ほぼ知らないのだ。

 だいいち年齢もわからない。アゼルバイジャン人がらみのクォーターであり、いろんなものが見える●●●、おそろしく素直で、けっこう強引な、かつては地味すぎた女の子というのがわかることのすべてだ。

 それ以外のことは知らないし、知らない部分は謎だらけに思えた。『先生』と呼ぶ女と同居してるのか? というのも謎のひとつだ。いろんなものが見える●●●というのだってどういうことかわからない。そもそも、それは本当のことなのか?

 いや、これまでのことを思えば信じられなくもない。なにしろ僕はほりばたで謎の《手》に引き落とされそうになったのだから。

「なあ、肩を見つめるのはやめてくれないか。なんかぞわぞわするだろ」

「あっ、す、す、すみません」

 いつものように彼女は頭を下げた。紙袋は揺れ、歩き昇っていた男にぶつかった。

「あっ、もっ、もっ、申し訳、ごっ、ございません」

 げんそうに見つめる男(気持ちは痛いほどわかった)に頭を下げつつ僕は袋をおさえた。謎だらけなのは確かだけどミステリアスとはいえない。ただ、そういう部分も含めてとくな人間とはいえる。理解しがたい部分にあふれているのだ。

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