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死にとらわれた朝から、「体験的に死ぬ」ワークを経て何が見えたか?何も見えなかったのか?

朝起きて、「死んじゃおうか」そんな声が頭にこだまする日が何日間か続いた。ふとんの粘着力が強い。頭痛とともにその場に魂が溶け出しそうだった。自分の調子に不信感を覚えながらも、体がおかしいのか、メンタルがおかしいのかもよくわからない。

何が原因があるのではないか、そんなことを思うが。特別苦しい出来事があったわけではない。
ありがたいことに、コロナ禍であっても仕事がたえることはなかった。喉をかきむしろほど苦しい恋愛をしているわけでもない。楽しみがゼロかというと、そんなこともない。
もっと苦しみ悶えることも、人生にはたくさんあった。「それなりに」という言葉がふさわしい日々を過ごしていて、突如「死」の穴に落ちた。濃いグレーがかった日常を、「もう終わらせてもいいのかな」というような。そんな感覚。

とはいえ、「死んでもいいかもな」という思いと、「死のう」と行動に移すことには大きな隔たりがある。事実、私は今でも死なず、このnoteを書いている。もしかしたら公開せずに、下書きに眠り続ける文章かもしれないけれど、自分の死への過敏さを書きつらね客観視できている、かもしれない。

こんな感性で生きていると、必然的に「死」というワードを吸着する。芸能人の自死が相次いだこともあり、ツイッターでは、死を考えているような、あるいは逆に何も考えていないような投稿があふれていた。

ツイッターを見ていて目を見張ったのは、「人生で一度も死のうと思ったことがない人がいる」ということだ。しかも、その勢力は割と多く、むしろ「死ぬ」と思っている人はマイノリティ側のようではないか。

え? まじで? 私は衝撃を受けた。

どうやら、いわゆる「健康な人」は「死んじゃおっかな」とは思わないものらしい。この論理に立つと、私は一度たりとも健康だった時期がないということになる。えー。うそーん。
私はむしろ人生で「死んじゃおっかな」と思ったことがない人が世の中にこんなにもいることに驚いたのだけれどな。

むしろ、こんな題材のnoteを書いているわりには、今は、かなりましで。昔(といっても5年前くらい?)は、もっとずっと死にとらわれていた。高い塀の上を歩いているような感覚で、ちょっとリズムを崩したり踏み外したりすれば、すぐさま落ちる。あちら側に。

私にとって、生きるということは死ぬことよりも、ずっとずっと慎重なあゆみが必要なものだった。
今はまだ、「あ、死について考えているな」と認識できるだけ「生に近づいた」と思ったのにな。

久しぶりに「死」に囚われた日々。そこで、「体験的に死ぬ」というワークショップに参加してみることにした。その名の通り、自分が死んでいく感覚を得るワークだ。大事な人や出来事、モノをひとつまたひとつと捨てて、諦めていく。

ちなみに、なんの緊張感もない話で恐縮だが、私は大事なモノについてはいまいち出てこず…絞り出したモノは「ふとん」だった。「ふとん」て…と、我ながら突っ込んだ。死んだらいくらでも眠れるじゃんかい!

自分の中で最後まで残ったのは、「価値観を揺さぶる経験をする」というカードだった。「文章を書く」でも「旅をする」でも「誰か」でもなく、まして「ふとん」でもなく。最後に残ったのが「価値観を揺さぶる経験」。
そうか。私は、その経験をするためにライターをしているし、人と会っているし、知らない場所に行っているし、恋をしているのだろう。

そのワークで、少しだけ、人間としてのおもしろさというか儚さを感じたのは、一度死にかけた経験がある人がそこに参加していたことだ。数年前まで、病気で死にかけていて、絶望のふちにいた。死を具体的にイメージし、そこでなにか感触を得たのに、それを忘れてしまったからこのワークに参加したのだという。
人はまた死の体験すらも忘れてしまう。そんなにも脆く、能天気なものなのか? だからこそ生きていけるのか……?
だとしたら、「こんなことを学んだ!」とその時は思えたとしても、鱗が禿げるように1枚1枚剥がれて忘れていく。やっぱり少しむなしいな。
人にとって、「死」は必然だ。唯一の決定づけられたものだともいえる。「いつか」とか「今は我慢」など言っている間に人生は終わってしまうことを私たちは本当は知っている。本当は死がちらつかないほどに、生に夢中になれるとよいのかもしれない。

結局、ワークショップに参加したところで「生きる活力がモリモリになる」、みたいなことはない。それでも、価値観を揺さぶられる体験を重ねていけば、生きているのも悪くないというメンタリティにはなるのかも。そのヒントを得ただけでも、よかったのかな。
自分の命はさておき、死がちらついたとしても、「もう1日だけ生きてみるか」と思えるような出来事がすべての人たちに1日1回は降りてくるような、そんな世の中になったらいいなということを最近とても願っている。

いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。