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「です、ます」か「だ、である」か。

noteで試行錯誤していること。
それは、「です、ます」で書くか、「だ、である」で書くか。すごく瑣末なことなんだけれど・・・、私はけっこう試行錯誤しているんです。
これまでのnoteは、ある日は「です、ます」にして、またある日は「だ、である」で書いてきました。まぁ、リズムによっては、混在させているんですが、ベースをどちらにするかは、冒頭を書き始めて決めることにしています。(ちなみに、今回は「です、ます」でいこうと思っています。)

ブックライティングをするときは、原稿を書く前に、この本は「です、ます」で書くか、「だ、である」で書くかを編集者さんと一緒に決めます。
だいたい、著者のキャラクターと読者ターゲットを鑑みて決定します。

「この人は、強めの発信にしたいから、『だ、である』がいいんじゃないかな?」
「読者的に、やわらかい文章がいいだろうから、『です、ます』でいきましょうよ」

そんな具合に。

もちろん別に打ち合わせをするまでもなく、キャラクター的にこうだ、と共通認識を持てていることもあります。

本来ですあれば、noteは誰に指示をされているわけでもないのだから、自分のキャラクター通りに書けばよいといえるでしょう。
しかし・・・、自分のキャラとしての文体とはどんなものなのでしょう?

最近、自分の文章についてずっと考え続けていました。

自分らしい文章とはなんだろう? それは、自分とはなんだろう?の問いに近いものでもあります。
その象徴的なものの一つが、「です、ます」か「だ、である」かの迷いのように思います。(本当に、瑣末なことなんだけれど、ね。)

noteを書いていなかったら、こんな悩みを抱えることもなかったと思います。私は、ライターになってからというもの、「求められる文章を書こう」と思ってきました。それは商売として絶対に必要なことだったのですが、その分自分の文章を探ることを怠ってきたようにも思うのです。
もしくは、商業的な文章を書くに連れて、「自分臭さ」を消そう消そうとしてきてしまったのかもしれません。
最近、そんなことを思い始めました。

★ちなみに、「だ、である」のnoteはこんな感じ

★「です、ます」のnoteはこんな感じ

いま、自分の文章を取り戻していく場、そして、発掘していく場として、noteを書いていきたいと思っています。

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