5歳児の挫折。
物心ついたときから子供が嫌いでした。
幼稚園では自分自身も子供なのに「子供ってほんとにうるさくて無神経だから嫌い」とジャングルジムの下の方で眉間にしわ寄せて思っていたのだから感じ悪い女児でしょう?
当時は子供も嫌いだし、子供に対して子供らしいふるまいを求めてくる社会も嫌いだった(大きく出た)。無邪気どころか、邪気そのもの。大人が求める適度に子供らしいふるまいをできない自分にもうんざりしていて、5歳にしてすでに中2ぐらいのめんどくささを醸し出していたと思います。
だから幼稚園に行くのが苦痛で苦痛で。
ご存じ、幼稚園というところはもういっぱいいるんですよ、子供が。そしてどうあがいても結局こういうところに放り込まれる運命なんだと自分の年齢を呪いました。だからって早く大人になりたいわけではなく「家に帰りたい。帰ってお絵かきしたりマンガ読んだりしたい」と思っていたので、シンプルに内気でお家が大好きな子供だったと言い換えてもいいけれど。
もし魔法が一度使えるのなら時間を止めて行きつけの書店で思う存分立ち読みしたいと願う程度に平和で地味な子供だったのです。
椅子で窓ガラスを叩き割りながら「あんたたちのことが嫌いなんだよぅ!」と叫んで人々の耳目を引くエナジーはなかったので問題児扱いはされませんでしたが、隠し切れぬ嫌悪感を全身から発散する女児がゆり組の園児たちから好かれるわけがない。今こそ声を大にして言いたい。「ゆり組の園児は何も悪くありません!」
そんなある日。
幼稚園での工作の時間にお手紙バッグを作ることになりました。
細長く切った色とりどりの画用紙を互い違いに組み合わせて市松模様の薄い箱を作り、リボンで首からぶら下げて郵便屋さんごっこをする企画です。
工作は得意だったので郵便屋さんバッグは我ながら満足の出来でした。園児たちはみな首からバッグを下げて部屋中を自由に動き回り、互いに書いたお手紙をお友達のバッグに入れ合うのです。
「お手紙くださーい」
「〇〇ちゃんありがとう! 私もあげるね、はい」
思い思いに手紙を出し合う園児たち。
時間の終わりが来ても、私の郵便屋さんバッグにはお手紙は一通も入りませんでした。
日ごろの行いがものを言ったのです!!
もう一度言いましょう。「ゆり組のみんなは全然悪くない!」
バッグが満足な出来だっただけになお哀感が募ります。
手紙をもらえない私に気が付いた担任の冨久子先生がそういう子用に用意したのであろうお手紙を私のバッグに優しく投函してくれました。幼稚園は嫌いだったけど、幼稚園の先生のことは、
「大人だから幼稚園に通わなくてもいいのにわざわざ幼稚園に毎日来て幼稚園の先生をしようだなんて、ものすごく奇特で偉い人だ」
と尊敬していたので素直にお手紙をくれたことに感謝しました。
しましたが。
さすがの私も友だちが多いほうが地位が高いという世の価値観は知っていました。やはりお手紙をゲットできず冨久子先生から施しを受けている鼻水をたらしてぼんやりした子と並んでいる自分。恥ずかしさと、大事なコップを割ってしまった後の溶けた床に沈み込んでいくような取り返しのつかない気分が全身を染め上げました。
初めての挫折感です。
それからの私は態度を改めてお友だちと仲良くする努力をして幸せな人生を送りましたとさ・・・。
んなことあるわけなくて、三つ子の魂百までのことわざ通りこのあとどのコミュニティに参加してもちょうどよくお友だちを作ることはできていません。
結論としてだからこうですよっていう役に立つ教訓はないのですが、少しは救いのあるエピソードを入れるならば40代も半ばを過ぎそういうたびたび人生に登場する溶けて沈んでいくような暗い挫折感との付き合い方は若いころよりはずっと上手になりました。亀の甲より年の功。年をとるのも悪いことばかりじゃありません。
それからこんな子供嫌いの私でも比較的無事に3人の子供を育てることができました、ってことかな?
自分の子供嫌いは自覚していたので、育児はめちゃくちゃ不安だったし大変だったけど、なまじ「子供好き」を自認している人よりも失敗して当然な気持ちがあるからうまくいかないときのショックが少ないです。「あーやっぱりか」ぐらい。息子が幼稚園を中退したときも「まあそうよね。だってあたしの子供なんだもん」という感想で、かえって育児に対して肝が据わった気がします。自分がパッとしない子供時代を送ったから我が子に求めるハードルも低いです(逆になる人もいるみたいだけど)。
育児のモットーは「死ぬな。生きてろ。笑ってろ(親子ともに)」です。
子供嫌いの女がする育児に関してはまた別のときに書きますね。
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