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子育て答え合わせ

「私に育てられてどうだった?」
私は22歳の長男に尋ねてみた。

試験やクイズには答えというものがあり、チャレンジした後はたいてい答え合わせをする。自分の回答が当たっていたら喜び、外れていたら残念だとがっかりする。それが答え合わせ。
私の子育ては果たして正しかったのだろうか。身長、体重、知力、体力、時の運、モテ。もはやほぼすべての面で私を越えた息子に気まぐれに尋ねたわけだが、すぐに思った。待てよ、これは意外と返事を聞くのが怖い類の質問でなかったか。

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「お母さんに育てられてどうだったか? そうだねえ・・・不満は、ひとつあるね」

ダイニングテーブルに置いた携帯電話から、声変わりして何年も経った低い声がタイムラグなく流れだす。

「もう少しファッションのことを教えてもらえてたら、僕、もっとかっこよくなれたんだけどねぇ~」

テーブルの向かい側に座る長女がくすくす笑う(しかも彼女は「お母さんにそれを求めても無理っしょ」と小さい声で言った)。私は携帯に向かって話しかける。東京と京都の秋の夜がつながる。

「ファッションか! ごめんごめん、それについては謝るわ。私には教えることはできなかったわ。でもさ、長女と次女にはファッションもメイクも教えてあげられなかったけど二人ともインスタとかをお手本に上手におしゃれしてるよね?」
「ああ、まあ確かにね。教えられてたとしても、見た目を良くするために時間とお金は僕使わないかもなー」

で、ここからが本題。

「お母さんのすごいところはまず、お父さんの悪口をいっさい言わなかったこと」
おお意外。めちゃくちゃ不満だらけだったけど子どもたちにはぶちまけていなかったんだね。

「それは、従順な妻だったとかそういうことじゃなくて。転勤族だしね、お母さんの立場はお父さんの働き方に振り回されて悔しいと思う局面はあっただろうと思うんだけども。それも踏まえてリスペクトを持って、お父さんがいつも家庭に居場所があるように振舞ってた。お父さんを悪者に仕立てないように、僕たちがお父さんを見る目にフィルターをかけないように」

彼は話を続ける。

「それと、なんていうのかな・・・できる限り親の影響を与えないように育ててくれたよね。それはすごいと思うし感謝してる」

影響を与えないように育てる。
私は彼の、子育てジャンルとしては一風変わったその言葉を聞いて目から鱗が落ちた。

そうか。私は影響を与えないように子どもに接していたのか。


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27歳で初めての子どもを産んだ時。

私は一つの命を守り抜かねばならない責任の重さに押しつぶされていた。出産して体は軽くなったのに、重い石を飲みこんだような気持ちが続く。産院で同室のママや妊婦仲間のママたちが幸せそうに赤ん坊を抱いて、どんな服を着せてどこに遊びに行こうか楽しそうに語るのを信じられない気持ちで眺めた。

(あなたたち、こわくないの?)

この子がお腹にいるうちはみんなと仲間としておしゃべりしていたのに、生まれた瞬間からまるで深い河で分断された言葉の通じない別の世界の人たちのように見えた。私は一人の人を守って育てていくことがこわくてこわくてこわくてしかたがなかった。

(あなたたち、こわくないの?)

自分のことさえ全然わかっていない愚か者にこれほど壊れやすい代物を守り育てていくことはできません、助けてください神様。

そして密かに続けて願った。

どこかの賢い誰かさん、私からこの子をさらって、正しく育ててくれませんか?

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それまでの人生で、悩んだ時にいつも私は本の中に答えを求めた。この時もこの恐ろしさを解消する「子育ての答え」がどこかにあると信じた。信じたかった。しかしそもそも読書する時間などあるはずがない。(本を読む時間を取り上げられたことも辛かった。)悩んで悩んでやがて私は再び絶望する。


どうやら。
子育てには「答え」はないらしいのである。

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色んな親を見た。
答えがないのに答えがあるようにふるまう親。
自分なりの理想の子どもをイメージして、そう育つように頑張る親。

私以外の親たちはしっかり親らしく大人らしく、まるで子育てには答えがあって答えを知っているごとくふるまいどんどん先へ進んでいく。私は迷子のように立ち止まりずっとただ途方に暮れていた。子を持つ親として次々にやってくるライフイベントをどうにか乗り越えながら、私が親としてしたことは子ども達が死なないように守ること、答えを知っているふりをしないこと。それだけだった。

「お母さんから『こうなってほしい』って言われたことがない。それがすごい。子育てってお金と時間と手間という膨大なリソースをかける作業なわけで、どうしても口出ししたくなるもんでしょ?」

長男は言う。
そう、それはね、君たちの自主性を尊重するとかかっこいいことをしたわけではないんだ。君たちがどうなるのが正解か私には皆目わからなかっただけなんだ。

理想の花を作ろうと熱心に剪定をして専用の栄養剤を与えて保温カバーをかけて育てる親もいる。
私はそれができずに、最低限の水と光を与えて植木鉢からどんな花が咲くのか、ただ眺めた。
体育座りで頬杖をつきながら。
ただただ、育っていくのを眺めた。
眺めた・・・そうだ、眺めていたのである。

前から子育てという言葉が苦手で、自分が子育てをしている実感がなかった。
とても腑に落ちた。
だって私は「子眺め」をしていたのだから。

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たまたま仲間になったこの小さい人たちとどう生きていくのが楽しいのか。
私にできる限りの協力をして、相談に乗って彼らが育っていくのを眺める。
その中で、答えではないけれどこれはまちがいではなさそうだと感じたこと。

「家は楽しいほうがいい」
「会話はいっぱいしたほうがいい、くだらなくていい。腹を割ってしゃべる癖をつけたほうがいい」
「どんな決断になろうと、自分のことは自分で考えて決めた方がいい」
「一度決めたことでもやめたっていい、変えたっていい。失敗もいい」
「子ども(人)を決めつけないほうがいい。急に変化する(成長する)ことがあるから」

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いま、三つの植木鉢から生えた草はくねくねしながら面白い色や形の花をどんどん咲かせている。

子育て中、「わからないわからない」と悩んで苦しんでもがきながらそれでも正しい答えっぽいものに縋りつかなかったこと。もしかしたらそれこそが正解だったのではないかと今思えている。

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「君の話してくれたこと面白かったからnoteに書くわ」と言いながら全然投稿しない私を「お母さん、この前のnote書いてないじゃん!」とLineでせっついてくれてありがとう。やっと書きましたよ。

変な形の花が咲いてしまっても、いっこうに花が咲かなくても、私はいつまでも君たちを眺めさせてもらいます。

これからもよろしく。


おしまい。



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