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23歳

「久しぶりにnote書こうと思い立ってるんだよね。書くと決めたからには毎日書くぞと思ってる」
これは3分ほど前のひとりごとめいた私の発言である。
食卓に開いた私の古めかしいパソコンの向こう側には長女(23歳)がいる。大学院生の彼女は分厚い難しそうな本を開いて読み、時おりノートにかりかりと文字を書いたりしている。彼女はふと顔を上げてしゃべりだした。
「お母さん、ほんとにnote毎日書くのね」
「・・・うん(聞いてないかと思ったら聞いてたのか…)」
「なら私、お尻ひっぱたくよ」
(えー・・・)
「ヨガもずいぶんお尻ひっぱたいたけど、あっという間に終わっちゃったね」
(はいー・・・)

先日、腰が痛いという私の泣き言に対して遠方に住んでいる長男がまりこ先生のヨガ動画をすすめてきた。言われるままに2日ほど試したらなんとなく腰の調子がよくなったので2日でやめたのである。長男には2日でやめたとは言えず「続けてる?」と聞かれて「ぼちぼち」と答えている。続けているかと問われた人がぼちぼちと答える場合はたいてい続いていないのである。

・・・ここまでぱちぱちキーボードを叩いているうちに、長女はバイトに行く時間となった。彼女は猫にちょっかいを出しながら身支度を整え、きょうのバイトのメンツがいいメンツでありますようにと祈りながらスマホでシフト表を見て悶絶したり、口紅を塗りながら「麻酔がまだ効いてるから右半分に感覚がない」と面白がったりしている。この女性は、私が23年前に産んだ元赤ちゃんである。23年も経つと一人で分厚い本を読んだりメイクをしたり、一人で歯医者に行って悪化した虫歯の治療を泣かないで受けてくることもできるようになる。時とはすごいものである。

出産したその頃のことは鮮明に覚えている。初めての子育てで、一人の人間の命を守り育てることの責任に日々恐れおののくばかりで、この子がどんな大人になるか、とか、どんな大人になってほしいとか想像したこともなかった。日々、目の前のことでいっぱいいっぱいだった。

その頃にはnoteというプラットフォームはなくて、ユーチューバーもいなかった。時は子どもを成長させ、私を老化させ、世界を変化させる。

「じゃ、私行ってくるけど、お母さん、ちゃんとnote書くんだよ。頑張ってね」
生まれてから23年経つと母親がnoteを書くのを励ましたり見張ったりしてくれるようになる。時とはすごいものである。

とにかく、2日以上は続けようと思う。




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