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金継ぎで、こころもいっしょに修繕する。

年末年始に手がけていた「金継ぎ」が仕上がった。コツコツと修繕していたものが完成する瞬間は、何度体験してもここちよいものである。素人だから仕上げは決して誇れるものではないけれど「なんとか完成できた。よかった!」などと考えながら、できあがったものをしみじみと眺めるのは楽しい。

不思議なもので、ずっと愛用している茶碗が「欠けて」しまうと、単純に破損したというだけではなく、自分の一部が損なわれたような感覚になることがある。自分で選んで入手したものはもちろん、いただいたものであれば、なおさらである。

写真の茶碗も、欠けてしまったことに気がついた時は「もうだいぶがんばってもらったし……」と思いつつも、処分する気にはなれなかった。そこで、金継ぎをしてみたところ、なかなかいい雰囲気になって蘇ってくれた。「まだまだ、使ってくれよ!」と、茶碗が胸を張っているような気配さえする(笑)

このマグカップは、金継ぎをしている部分が破損して損なわれていた。今回はエポキシパテを使用し、破損した部分を修復してみることにした。中学生の時にプラモデルを作った時の知識を活用しつつ、パテを盛ってみたところ「遠目で見ると、なかなかいい気配」になってくれた。と思う。

だいぶ大きくパテを盛ったので、耐久性には若干の不安が残るのだが、とりあえず使ってみて、もしも割れてしまったならば、可能な限り修繕を繰り返しつつ、まだまだ相棒として活躍してもらおうと思う。

個人的に「修繕する」という行為には「ほんとうは、あたらしくしたいけれど、修繕して使っている」いうような、どこかマイナスの気分が込められているように感じる。

しかし「金継ぎ」をすることで、処分されたかもしれないもの達が「新しい魅力を加えて、再生する」というポジティブでパワフルな意識が加わるような気がする。

なによりもコツコツと金継ぎの作業をしていると、無心になれるのがいい。細かい作業をする時などは、息を止めるようにして目の前の作業に集中する。そんな時間を過ごしていると、茶碗を修繕しながら自分の「こころ」も修繕しているかのような気分になる。たぶん、実際にそうなのだと思う。

とりあえず、年末年始の時間でちいさなもの達は、ひととおり金継ぎをすることができた。達成感とともに「他に修繕するものはないか?」と、欠けたものを探してしまうのも、よくよく考えたら本末転倒かもしれない。

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