見出し画像

「若さとは、恥を振りまきながら生きること」

基本的に自分は、昔書いた文章を読み返すことはない。関心よりも気恥ずかしさの方が勝るし、書いた内容も忘れてしまうことが多いので、セミナーの後に「〇〇の文章がよかったです」と受講生の方に感想をいただいても「ありがとうございます!」と答えつつも「(そんなこと、書いたかな・・・)」と、ひとりで確認することも少なくない。

書いている時は「あとになって読み返した時に、恥ずかしくない文章を書こう」と、志を持って取り組むのだが、数年経過してから読み返してみると鼻息の強さばかり目立ち、途中で止めてしまうことがほとんどである。

「若さとは、恥を振りまきながら生きること」

という格言があるが・・・いや、ない。今、自分が適当に考えたのだが、とにかく「恥ずかしくないように」と心がけても、やはり恥ずかしいものを振りまいてしまう。さらにそれを、多くの人に読まれてしまった、と考えると、いかに鈍感な自分でも背中のあたりがざわざわとしてしまう。

できるならば、昔書いた文章は可能な限り速やかに回収してしまいたい。30代までは、そんな風に考えていた。しかし、40代となった今、少しずつ考えが変化していることに気がついた。

若い時は、若い時にしか書けない文章がある。たとえ同じ内容(題材)の文章を書いたとしても、それはどこか気配が異なっている。具体的な説明が難しいほどの、些細な違いなのだけど、確かにそれは存在する。時間は逆戻りしない。年齢は重なることはあっても、減ることはない。つまり私たちは、あのころの自分と「同じ文章」を書くことはできない。よくもわるくも。永遠に。

もしも今、みなさんが「何かを表現したいけれど、もう少し完成度を上げてから」と考えていたとしても、今の自分にできることを表現してみてはどうだろう。その時にしか表現できないものは確実にあるし、評価を得られなくても、恥をかくようなことがあっても、それらはすべて自分の責任である、と覚悟(のようなもの)を決めていれば、何も恐れることはないと思うからだ。

「永久の未完成 これ完成である。(宮沢賢治 農民芸術概論綱要より」

完成を目指して続けていく過程の中に、自分と周囲を魅了する何かが眠っているかもしれない。外への評価に向かわず、内を確かめ、自分の道標に視点を合わせよう。今自分ができる表現に、200%の集中を注いでいこう。

先日、ある高校生と進路について話をしたあと、ここに書いたことを考えました。



資料購入に活用させていただきます。ありがとうございます!