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あなたのアイリス

 私は日曜日に眼球移植を受けた。まだ視力は0.6あったけれど、虹彩の色をディープグリーンからパステルピンクに変えたかったからだ。モデル仲間はみんな濃い色の目なんてやめている。パステルカラーがこれからの流行だ。元々は安くすむ虹彩のチェンジだけをするつもりだったけれど、最近ちょっと目が悪くなってきたかもってパパに頼むと、移植費用も出してくれた。
 新しい目のクラスでの評判は上々だった。「シュウみたいだね」とパステルカラーブームを生み出した、私が憧れている配信主の名前を出してくれるフレンドがたくさんいた。私にとってシュウは本当に大切な存在で、ずっと嫌いだった「ユウ」っていう自分の名前が、「シュウ」と似ていると言われてから好きになったくらいだ。
 まだ同じクラスには目をパステルカラーにしている人はいない。ただ、気取っているリンは右目をブルー、左目をレッドのオッドアイにしている。オッドアイにも憧れはあったけれど、髪色や服装を合わせるのが難しそうだと思ってやめた。実際、リンも髪はモノトーンにして目とのバランスをとっている。
 昼休み、日曜日に眼球移植を受けた人が他にもいるらしいということが話題になった。どうやらケイらしい。伸びた前髪で目が隠れているし、虹彩はブラウンのままだから気づかなかった。
「せっかく移植を受けるなら、パステルカラーとかにすればいいのにね」
「移植したってバレたくなかったんでしょ」とミクが小声で言った。
 どういうことだろう。分からないでいる私に、ミクは鼻を人差し指で押さえてみせた。
 あ、ブタの目を移植したのか。私はため息が出そうになった。

 昔は視力が落ちた人はメガネをかけるかコンタクトレンズをつけて、移植ができるのは角膜だけだった、ってことくらい私も知っている。眼球移植ができるようになってからもしばらくは、手術を受けるのは目の病気が重い人だけだったらしい。
 状況が変わったのは、移植用ブタの目や、多能性幹細胞からつくった目が量産できるようになってからだ。だんだんと移植費用が下がり、私が生まれた頃には視力が落ちたら眼球移植を受けるのが普通になっていた。
 最近は眼球移植を受けるついでに、虹彩の色を変える人が多い。ブラウン、ブルー、ヘーゼル、アンバー、グリーン、グレーといった人間の虹彩に元々あった色だけじゃなくて、鮮やかなレッドやパステルカラーにもできるし、リンみたいにオッドアイにしている人もいる。もちろん虹彩だけのチェンジもできるから、十五歳までには目の色を変えるのが当たり前だ。私も十歳ではじめての眼球移植を受けた時に虹彩をブルーにして、三年前にグリーンにした。あの頃はディープグリーンの目にみんな憧れていたなって、ちょっと懐かしくなる。
 虹彩の色を変えず、しかもブタの目の移植を受けるなんて、ケイはちょっとおかしいと思う。ブタの目は多能性幹細胞からつくった目の半額以下で買えて、性能にはほとんど差がない。だけど移植用動物の廃止についてはクラスのディベートで何度もテーマになっているし、ここ数か月はシュウが呼びかけた、臓器サプライヤーへの抗議活動が盛り上がっている。オシャレなだけじゃなくて、マジメな社会活動もできるのがシュウの尊敬できるところだ。
 私もシュウをきっかけに移植用ブタのかわいそうな一生を知り、移植用動物全廃運動に協力するようになった。フレンドはみんな共感してくれて、もうブタの目を使っている人は誰もいない。活動に手ごたえを感じていたのに、同じクラスにブタの目を移植する人が出てきてしまって、私はがっかりした。
 
 もっと情報を広げないといけない。気合を入れて配信の準備をしていると、ママが部屋に入ってきた。
「ユウ宛なんだけど、知り合い?」と見せてくれたのは白い封筒だった。表面には私の名前が、裏面には「アイザワミナト」という名前が手書きされている。
「知らない」
「じゃあ、捨てちゃおうか」
「せっかくだし、とりあえず読んでみるよ」
 紙の手紙を受け取るのは人生初だ。ドキドキしながら封筒を開けると、中には文字がびっしりと手書きされた便箋が入っていた。

 眼球移植を受けた後は、取り出した目をどうするか決めないといけない。処分してしまう人や専用のカプセルに入れて自分で保管する人もいるけれど、移植用に提供する人が多い。ブタの目も買えないくらい貧乏な人は提供された中古の目を買うらしい。
 私もはじめての眼球移植を受けた後、自分の目を移植用に提供した。自分の目を捨ててしまうのは悲しいし、手元にあるのはちょっと気持ちわるい。視力は0.4くらいになっていたから売れないだろうと思っていたけれど、ミナトは私の目を買って、今もまだ使ってくれているみたいだ。でも、今度新しい目に替えるから、その前に私に会ってお礼を言いたいらしい。
 あんな目をまだ使っているなんて信じられないし、新手の詐欺かもしれないとちょっと疑った。でも、どんな人が私の目を使っているのかはやっぱり気になるから、手紙に書かれていたアドレスへメッセージを送ることにした。

 ミナトは私の住む中央街区への入場許可がないだけでなく、クラスへのアクセス権もないらしい。わざわざ紙の手紙を送ってきたのはそれが理由みたいだ。
 私がミナトの住む西地区に行くしかない。リニアで中央街区から出て、電車に乗りかえる。電車に乗るのは人生で二度目だけど、ガタガタと音がうるさい。十五分くらい我慢していると、やっとミナトが指定した駅についた。
 駅前の掃除を人がしていて、頭上には電線が何本も張ってあるから、私は驚いてしまった。通り過ぎる人がみんな、私のことをジロジロと見ている気がする。居心地が悪いなと思っていると、縁の黒いメガネをかけた人が近づいてきた。
「ユウさんですよね。ミナトです、はじめまして」
 ミナトはヨレたグレーのスウェットパーカーを着て、黒いチノパンを履いている。私と同い年らしいけど、ずいぶん冴えない。レンズの向こうに見えるブラウンの目が私の目だったなんて信じられない。
「目も髪も不思議な色ですね。耳は変わった形です。中央の流行りなんですか」
 私は適当に答えて、「早くどこかに行こう」と急かした。私のことを旧式のスマホで撮影しようとしているヤツがいる。
「私の家でいいですか。ここから歩いて五分くらいです」
「それでいいよ」。私は投げやりに言った。こんな地区にまともな店があるとは思えない。
 家までの間、ミナトは中央街区のことについて質問してきた。中央の情報はここにはあまり入ってこないらしい。私のアドレスを調べるために、ちょっと強引な手段も使ったみたいだ。
 ミナトが住んでいるのは二階建ての集合住宅だった。建物の入り口には部屋番号が印字された銀色の箱が並び、隙間から紙の広告がはみ出している。ミナトは二〇三号室のドアを金属製の鍵で開けた。
「すいません。狭いと思いますけど、適当に座ってください」
 ミナトが手を向けた先にある青い座布団に、私は座ってみた。あまり座り心地は良くない。ミナトは急須に茶葉を入れ、ポットでお湯を入れている。どれも実物を見るのははじめてだ。
 ローテーブルの上には手書きの手紙が置いてある。「手紙の書くのが好きなの」と聞くと、ミナトはグレーのコップ、たぶん湯呑に緑茶を注ぎながら、「好きというより、仕事なんですよ」と答えた。
 少し前、私たちの一つ下のクラスでは、あえて手書きの手紙を送り合うことが流行っていた。でも実際は、みんな手書きじゃキレイな字を書けないから、代筆を頼んでいたらしい。
「字がキレイにかけるなんて、うらやましいな」
「そんなに上手くないですよ」。ミナトは湯呑をテーブルに置くと、手紙をファイルにしまい、座布団に座った。
「オーロラのネイル、かわいいね。字がキレイな人は手もキレイになるのかな」
 ミナトは謙遜しながら手を隠したけれど、顔はうれしそうだった。古いデバイスばかりの部屋の中で、3Dネイルプリンターだけは最新モデルだ。
「でも、手書きの練習ができたのはユウさんの目のおかげです。本当に感謝しています。移植前はかなり目が悪かったから、代筆屋になんてなれなかったと思います」
「私の目だって、もうかなり悪くなったでしょ」と聞くと、ミナトは「ユウさんの目はとても丈夫で、まだまだ使おうとすれば使えるんですけど、少し乱視が強くなってきたし、お金も貯まったから移植を受けようかなって。すいません」と言って、頭を下げた。
「そんなこと気にしないでよ。今まで使い続けてくれたんだから感謝してます。それで、虹彩は何色にするの?」
「今と同じブラウンですよ。ユウさんみたいな目もオシャレで憧れますけど、私には似合わないかなって」
「えー、みずいろとか似合うと思うけどな」
「でも、今回は移植用動物の目をもらえるんです。私のクラスでは生まれつきの目のままか、提供された目を移植する人がほとんどだから、新品の目ってだけで自慢できるはずです」
 私はため息が出そうになるのを我慢した。
 会話が途切れたから、私は緑茶を一口飲んでみた。ドリンクサバ―で淹れた方がおいしい気がするけど、こういうのはレトロな雰囲気を楽しむべきなんだろう。
 慣れないあぐらで足が疲れたし、そろそろ帰ろうかなって思っていた時に、あることが気になった。
「そういえば、ミナトは自分の目はどうしたの。もしかして保管してる?」
「提供しました。あんな目でも極東地区で失明した人の役に立ったみたいです」
 ほほ笑んだミナトから、私は目を逸らした。
「今の私の目、ユウさんの目も、極東地区へ提供するつもりです。この目がまた誰かの役に立ってくれるなんて、素敵なことだと思いませんか」

英語を教えながら小説を書いています/第二回かめさま文学賞受賞/第5回私立古賀裕人文学賞🐸賞/第3回フルオブブックス文学賞エッセイ部門佳作