satosiokumoto100

俳優、行政書士、心意拳愛好家、たまに我流の詩や短歌など

satosiokumoto100

俳優、行政書士、心意拳愛好家、たまに我流の詩や短歌など

最近の記事

舞台で演じること

舞台で演じることは、ただ稽古したものを見せるわけではない。稽古して体の中に感覚的に積み上げられたことを目の前の人に伝えることだし、毎日少しずつ変わっていくものだ。「駄目」で縛るのは少し違う。芝居のある方向性や場面で起こすべきことをしっかりとやっていくそのためには微妙に変わることもある。 そして、全ては観客との関係性で求められていくものだ。引き出してくれるのは観客なのだと実感している。

    • コロンブスについて

      コロンブスを取り上げたMVが炎上した。その議論の中で「コロンブスは悪人で非道だから、NG」と言う主旨の発言もあり、それに対して「それなら戦国武将も非道だし大河ドラマも作れない」と言う発言をみた。いわゆるポリティカル・コレクトネスに対して、作り手はどのように向き合えば良いのか? 本稿では、それらに対する個人的な思いを書く。 まず、第一にポリティカル・コレクトネスは正解ではないと言うことを頭に入れておく必要がある。ポリティカル・コレクトネスは「正しさ」の1つの基準であり、それ

      • 個へのレッスングループへのレッスン

        演劇のレッスンにも、個を伸ばすためにオーガナイズする個へのレッスンと、グループでの感覚を養うグループへのレッスンがありますね。 後者のレッスンで有名なのは、コロスのレッスンだと思います。グループで空間の何処にいれば良いのかどのように動くのか関係を見つけていく良いレッスンだと思います。 これを応用していくと様々な集団演技のセンスを磨くことが出来そうですね。

        • 行政書士の品位について

          最近、X(旧Twitter)上で行政書士の品位について話題になっていますね。 人間ですから、それぞれの人格やスタイルをオープンすれば賛否両論となることは間違いありません。価値観も出てくるでしょう。 「自分は努力して上手くやった、出来ていない奴は駄目な奴だ」 と、言うような価値観を持つ人はいくらでもいますし、陥りがちです。さらにそこから、自分の利益誘導をするために発信すると言うことも陥りがちです。 僕個人としては、別に自由にすれば良いとは思いますが、業界として注意があっ

        舞台で演じること

          振り付けについての雑感

          歌の振り付けには、色々な役割があるのだとあらためて理解出来た。 ライブ時に時には、指揮者となって、時にはリズムにのるために、時にはダンスとしてみせるために、時には所在としてイメージを喚起させるためにある。 これらは、動画だけではなかなか見えない。けれども、ステージでみるとよくわかる。振り付けがダンスになり過ぎてはいけない。歌を歌うグループはダンサーではないからだ。手数が多すぎてもいけない。観客からするとせわしなく見えすぎてしまうのだ。映像だとなんとなく難易度が高めで見栄え

          振り付けについての雑感

          好きなことは好き

          好きなことは好きだし、好きなものは好きなんだと改めて気付いた。 気づかせてくれた人がいる。何気ない会話をお酒を飲みながらするうちに好きなものは好きなんだと教えて貰った。 「自分が好きになったんだから仕方ないって思う」 と言う一言に、そうなんだよな。どう思おうが好きなものは好きなんだと思ってしまった。 これだけしているのに何故返してくれないのか? お願いしてくれたのになんでしてくれないのか? 行動をしてくれないのは都合よく消費しているだけなのかな? 色々悩んでいた。で

          好きなことは好き

          一蘭と言うラーメン屋

          一蘭と言うラーメン屋へはじめていった。有名店である。人気店である。おしゃれなイメージもあり、女性の一人ラーメンは一蘭を始めトスと言うようなイメージもあるくらいのお店である。 たまたま、外出していたおりに寄ったわけだが。 一蘭と言うお店が恐ろしいと思った。良いとか悪いとかではなく、恐ろしいと思った。 一人ではじめてのお店でご飯を食べるときは大なり小なり気後れを感じてしまうものだが、嫌このお店は恐ろしいのだ。 例えば、ラーメン二郎は恐ろしいお店だ。そのディープさや味付け、

          一蘭と言うラーメン屋

          迷惑電話

          ホームページを改修したところ、迷惑電話が激増した。匠◯ーレントと言う会社はいくら断っても電話をしてくる。しかも1日、複数回電話をしてくるこれは営業妨害だよと思う。本当に勘弁して欲しい。 まだまともな会社は1度断ったら1月は電話してこない。 正直にいってとても迷惑している。

          消費者契約法

          消費者契約法について知ることは本当に大切だと実感しています。 いわゆる、ホスト問題について自業自得だと言う方もいるけれど、個人的には搾取構造を自ら持つことがアウトだと考えている。そのため、客への掛け売りは届出にすべきであり(勿論、キャバクラとかも同じように掛け売りをするなら届出べき)、あんまり酷いことをやると警察が立ち入れるように設計した方が良いと言うのは僕の考え。 さて、今話題になっている。救済の方であるが、一律救済は悪手であると思っている。 個別に、それこそ恋愛感情

          消費者契約法

          たまには自分を

          たまには自分を自分の主役にしてもいいだろう。頑張った後は少しの間くらい自分が主役になってもいいだろうと、僕は気付いてしまった。 その時に、主役になれないとやはり苦しいのだ。皆頑張ったから、皆が主役で良いのだが、その中で自分を忘れてはいけない。 僕も僕を大切にするし、誰かがそんなときは僕を主役にしてほしい。いつもじゃなくても良い。頑張った後くらいはね。 そんなことを僕は思った1127の朝 確かに、自分向き合えたのだと思った。

          たまには自分を

          ホストクラブの掛け売りをどう考えるべきか? その1

          最近興味がある話題にホストクラブの掛け売り問題があります。何故かと言うと、僕はホストクラブの悪質な掛け売りで困っていると言う人の相談にのったことがあるからです。(ホストの暴力事件なんかも相談にのったことがあります) 警察もそれ単体では悪質であっても注意ができないんですよね。女性側も「払っていない」罪悪感があるから強くは言えませんし……。 だからこそ悪質なのだと言えるのです。自分のお店で囲って支払い能力以上のお金を出させるわけです。これって、「業としてお金を貸している」わけ

          ¥500

          ホストクラブの掛け売りをどう考えるべきか? その1

          ¥500

          行政書士に関する様々な話

          Twitterをみていると、行政書士に関する様々な話が出てくる。 曰く、「相談料で20万円とられた」、曰く「戸籍収集で50万円請求された」、曰く「消費者は被害にあっている」 なるほど、そういうこともあるのかと、行政書士をやっている僕自身もびっくりである。完全に悪徳業者のそれだ。何事にも相場と言うものはあって、行政書士の相場はどうしても民事であったら低くなる。それは、出来ないことが多いから。 お金があれば、弁護士に頼めば良いのだ。もし、状況が良くって、さほどお金をかけなく

          行政書士に関する様々な話

          タチバナ

          我が家で2年前からヤマトタチバナを育てている。 綺麗に咲いてくれている。若い木で去年は上手く咲くことが出来なかったが、今年は立派に花開いた。見えないところでは、枯れたりしているところもあって中々全てが上手く行っているわけではない。 ただ、チャレンジしている。若木が伸びようと必死になっている姿をみている。

          居合のこと1

          自分の居合歴 居合を習っていたことがある。 週に1度2時間を半年程度習い、それからしばらく休んだり戻ったりと言う感じだった。 その理由は様々だが、その先生から習う居合が面白く無いタイミングがあったから休んだ。もっとやりたいことがあったから休んだと言うのが一番大きな理由だ。 正直なところ、集団での短時間の稽古で学べるものはたかが知れているし、先生の指導は連続性の無い断片の集まりであり、テーマもそのときどきであった。 そのため、何を習っているのか学習者にはわからないし、習

          ¥500

          居合のこと1

          ¥500

          行政書士試験に

          行政書士試験は実務に直結しないとか、他の法律系士業に比べて簡単だとか、いわれます。だから、行政書士の法的能力は低いと言うようなことすら言われることがあります。 しかし、僕はこれはちょっと違うなと感じています。 と、言うのは行政書士も登録後に法的な面も含めて学習するから。勿論、登録後に勉強するので個人差が出てしまうが、行政書士試験に追加の実務関連法規として科目を入れる場合は何を入れるのが良いかと言うのは結構簡単にあげられる。 民事訴訟法、入管法、風適法、行政書士法、著作権

          行政書士試験に

          性的か否かと言う馬鹿らしさ

          ふと、新藤加菜(新藤かな)氏のこのツイートが目に入った。 "性的である"と言われたから、公認予定の政党の公認を辞退したと言うツイートだ。 "性的である"とは何なのだろうか? それは何を基準に決められるのであろうか? 主観的な基準に過ぎないものであるのなら、それを公的なものの判断材料とするのは適切ではない。 例えば、卑猥であり人前に出せないと言うのはある程度客観的な基準があり、その基準に引っかかっていれば、公に出来なくても良い。 しかし、"性的である"とはなんなのだろう

          性的か否かと言う馬鹿らしさ