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一蘭と言うラーメン屋

一蘭と言うラーメン屋へはじめていった。有名店である。人気店である。おしゃれなイメージもあり、女性の一人ラーメンは一蘭を始めトスと言うようなイメージもあるくらいのお店である。

たまたま、外出していたおりに寄ったわけだが。

一蘭と言うお店が恐ろしいと思った。良いとか悪いとかではなく、恐ろしいと思った。

一人ではじめてのお店でご飯を食べるときは大なり小なり気後れを感じてしまうものだが、嫌このお店は恐ろしいのだ。

例えば、ラーメン二郎は恐ろしいお店だ。そのディープさや味付け、量、客層、本店の親父の存在感。素人お断りの恐ろしさがある。何か異様な熱気を発している行列、食券の何も書かれていない札、注文時の呪文、モヤシ、うどんのような麺、美味いとか不味いとかを超えたところにある提供された物体を前に、「ああ、これはラーメンじゃなくって二郎だよね」と僕は汗を流しながら食べるのだ。まるで、試合に向かうかのような気持でラーメン二郎へは行かなくてはならなかった。(そう言えば、昔一緒にラーメン二郎を食べに行ってくれた心やさしい年下の女性がいたが、元気にしているだろうか? やっぱり遊園地へ行った後に二郎へ誘うなんていうことをしては行けなかったのではないか? 「一度食べてみたかったんだ」と言ってくれたけど、それはやっぱり気を使ってくれていたんだよね?)

と、言うような二郎の持つ恐ろしさ、熱く、何かどろりとしたような伸び切ってしまった混沌とした恐ろしさではない。一蘭の持つ恐ろしさと言うのは。

一蘭の持つ恐ろしさは、するりと素通りしてしまうような、顔の見えない恐ろしさなのだ。ファミリーやカップルが並び、なんかちょっとお洒落っぽい、客層にたまーに僕のような異色の物体がまじる。孤独のグルメよろしく、独り身の男が、仕事の合間に一人で食べようとするとなんだか寒々しくなるような客層だ。

券売機は新しく説明もわかりやすい。替え玉と言う男心を誘うものも販売しており、ついつい買ってしまうと端数価格戦略にのってしまうことになる。

店員さんたちは感じの良い頑張っているバイトの方と言う雰囲気。一生懸命に、やっている分がマニュアル感が漂う。ラーメンはお好みで味を調整出来るところもどこか冷たい。そう、僕は一蘭と言う大きな工場の中に入り、ベルトコンベアーに乗って、あれ、これと言っている気持ちになってきたのだ。

整理された動線が余計にそれを感じさせる。半個室のテーブルはラボラトリーのような雰囲気もあり、簾の向こうの顔の見えない店員たちから、横向きの奇妙なお辞儀等をされてしまい面食らう。

ここは工場なのか? それとも顔の見えないラーメン屋? 綺麗なのだ。綺麗な分、僕は冷たさを感じざるを得ない。ラーメンの味もソツが無い。悪くない……がこれが一蘭ですと言う感じではなく、味付けは貴方のものよと言う雰囲気。

これが一蘭と言うラーメン屋か。クール!!

一蘭とは恐ろしいラーメン屋だ。ラーメン屋のあのガサガサしたちょっと小ぎたない雰囲気を無くしていき、顔も見えない程に洗練したと言うことか。

良いとか、悪いとかじゃない。これもまたラーメン二郎とならんで現代日本の縮図なのだ。

この怖さを僕は2024年はじめの文章としここに残したい。

今年も良いことがおきますように。



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