スケートボードとオリンピック①

スケートボードとオリンピックについて、思ったことを何回かにわけて書きたいと思います。

初めにわざわざ書いておくべきことでもないんだけど、コロナ禍、および運営側でゴタゴタ・利権まみれのイメージとしか思えない状況の中でのオリンピック/パラリンピックの開催について「パンクス(もしくはロックファン)なら反対だろ?」みたいな同調圧力があるのであれば、それに意を唱えたいと思う。それぞれが好きに考え好きに反応するべきだ。もし、そのような同調圧力的な空気があって「オリンピック面白かった!」「あの種目観た!」みたいな発言がされていない、できていないのであれば、それどうなの?と思います。っていっても興味ない人だってかなり多いと思う、オリパラ(特にオリンピック)は国民的な行事であるような空気が特にコロナ前まではかなりあったと思うけど。自分も、テレビでやっていて目に入れば観るし興味も持つし、にわかファンになったりはするけど、全体的にはあんまりオリンピックとかスポーツに興味がありません。
そんな中で、今回からスケートボードが正式種目になった。

1980年の中頃が、日本での第3次スケートボードブームらしい。https://yokohama-skateboard.org/skateboard-history/

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いや、日本と言わず世界で大ブームになっていたと思う。今大会でも来日していたレジェンド、トニーホーク。そしてスティーヴキャバレロ、ランスマウンテン、マイクマクギルやクリスチャンホソイなど、名だたるスケーターが輩出された。自分は当時、ちょっと前から洋楽ブームがあって、あと日本のバンドブームが急激な盛り上がりをみせていたなどで、バンドやりたいなと思っていた頃でした(楽器屋が無料で配布しているカタログを取り寄せ、眺めていた気が)。ベストヒットUSA的洋楽→ヴァンヘイレンなどのハードロック、歪んだギターサウンドという順で強く惹かれていくことで、ハードロック、ヘヴィメタルをかじりはじめ、パンクと名の付く音楽にも抵抗なく興味を持ち始め(NHKとかで映像を観ることがあったと思う)、もっと激しい音楽もあるのかな?と思っていた頃でした。
そんな中でスラッシュメタルというジャンルが台頭して来て、とにかく過激なサウンドらしい、速いしうるさいということと、写真を観ると頭を振り乱してギターをかきむしる姿、特にステージファッションがTシャツとジーンズ、スニーカーという、まったく着飾らないメタルであることにも衝撃を受けました。当時の主流はLAメタルつまり着飾って化粧しているのがメタルという中、オオッ?と思ったわけです。アンスラックスのアルバムを初めて手にした際の裏ジャケのアー写が、地下鉄のホームのようなところでメンバーがラフな格好と表情で写っているのはかなり衝撃でした。中央に写るギタリスト・スコットイアンの脚が全然長く見えず、短足で「こんなにかっこ悪く撮られていて、いいのか?」「スニーカーじゃなくてかかとの高いブーツじゃなくていいのか」と思ったものです(写真を参照)。

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ちょっと順番があやふやなのですが、パンクは知っていてテレビでも目にしていて、メタルをそこそこ聴き始めたぐらいで一気にスラッシュメタル、そしてスラッシュメタルの人達はハードコアパンクを気に入って聴いている、へぇそうなんだふーん、みたいに情報をつかんでいったんだと思う。やっぱり雑誌は貴重な情報源の一つで、本屋で立ち読み含めてほとんどそれ系の雑誌に目を通していたが、サブカルとかファッション誌にスケートボードもガンガン載るようになってきた。特に宝島かな?スラッシュメタルの連中も短パンで(これも衝撃)スケートファッション的な格好をしているし、スケボーを持って写っているなどもあって「スラッシュメタル、ハードコア、スケートボード」が自分の中での一番の関心事というか、「音楽」とか好きなものが芽生えていった直後に来た、衝撃なんですよね。余談ですが当時のスケートファッションで、長袖Tシャツの上にTシャツ、とか、スウェットの上にネルシャツ、は「着る順番逆じゃね?いいの???」って思うのが普通な感じだったので、衝撃でした。今は普通になっているけど、そういう着こなしが始まったルーツの一つがここだと思う(アメカジ、という枠でくくられるかもしれない)。
先にも書いた通り、超ラフな格好でギターをかきむしるスラッシュメタル。最初にアルバムを聴いた際には(アンスラックスかメタリカどちらか。たぶんアンスラックス)「曲と曲の切れ目」がわからず、気が付けばA面が終わっているような、あれ今何曲?みたいな。そんな「それまで聴いていたAメロBメロサビで2番終わったらギターソロ、みたいなロック」とは確実に違うと感じた。ま、実はスラッシュメタルも曲構成複雑そうでそうでもないんだけど。刻みまくるギターサウンドは壁のようだし、やたら乾いたサウンドで、こんな音があっていいんだと思った。そして、そんなバンドの人たちがスケボーを持っていたりやったり、スケボーで骨を折ってツアーが滞りそうになる(メタリカ・ジェイムスヘッドフィールド)とか、それなんなん?と思った。スケボーだけを観てみれば、ランプでかなり飛び上がったり様々なアクロバティックな技をやったりする写真と、そして板のグラフィックですね、これがもうかっこよいし、デザインも絵のタッチも多様で、傾向としては全体に過激だったりアート的だったりというのもあって。デッキテープの貼り方でカスタマイズできるし、ウィールやレイルバーの組み合わせでもスケボー全体を自分好みにできるし、と。バンドとスケボー、この2つに強く惹かれる少年なのでした。

そして間もなくスケボーも始めるわけですが、小学生ぐらいの時に親戚からもらった古いスケボー(小さくて先が尖っている70年代ぐらいのかな)で滑っていた経験はあったので、怖いとかはもちろんなくて。ただその時主流だった形のスケートボードを買いたいなと…初めはノーブランドで、どこで買ったかは忘れたがガイコツの絵が描かれていたのは覚えている。ノーブランドとはいっても、そこそこの値段はして、1万ちょっとぐらいだったかなと記憶している。まあ、それでやり始めるわけですが、普通に滑るのはできるので、最初にオーリーという板を蹴って飛び上がる技をやろうとするわけですよ。手で板を触ることなく板を跳ね飛ばした上に自分も乗って一緒に宙を浮くという、当時ハウトゥ本も出始めて、それを道ばたに置いたりして練習するんだけど、やっぱり全然わからず、他にやっている人もいなくて友達もやっていないし、独りでひたすら、こうやるのか?こうじゃないか?と四苦八苦していました。ハウトゥビデオも観た記憶がないし、いまのYOUTUBEの時代はうらやましいかな。
あとVANS。スケボー用のスニーカーってことで日本にも入ってきました。やっぱ色んな人が履いてるし、これ欲しい!ってなるわけですが、当時ハイカットで1万2千円~1万6千円ぐらいとかしたんじゃないかな?今よりも高い。高い!って思ったけど小遣い貯めて買いましたよね。たぶん仙台にあったサイカワで買ったような気がします。まったく自慢じゃないけど、当時まわりでVANS履いている人はいませんでした。アディダスのスーパースターとかはそれなりに流行っていて、履いている女子高生とかもいた気が。セーラー服にスニーカーってのも今では違和感ないけど、当時革靴じゃなくて白いローカットのスニーカーを合わせるのってかなり意外に思えて、おしゃれに感じました。話しが脱線したところで、つづく。

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宝島で出した別冊「ラジカルスケートブック」は擦り切れるほど読みました。スケートボードとしても、スケートロックと呼ばれた当時の尖ったパンクロックのガイドとしても、最高の本でした。

https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/honda-tamaya/2000000746

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