スケートボードとオリンピック②

いや完全にパラリンピックの開会式・閉会式のほうが良かったなあ。素晴らしい式典だったとたった今、閉会式を観終わって思いました。

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オリパラについてですが自分は基本的には「開催しないほうがよかった」派です。どちらか選べと言われれば迷わず反対を取ります。ただ、開催前に「反対や疑問視する声も大きくなっているけど、結局開催するんだろうな(無力感)。でも、もし開催するなら、選手や関係者を徹底的に隔離してやるのであれば、アリかな」とも思っていました。100%ではないけど感染拡大は防げると思ったので。今回、徹底した隔離や対策がなされていたかと言えばものすごく疑問ではありますが、いちおう形式上は、そういうやり方でやったわけです。まあ大なり小なり色々、こりゃダメだろって部分ばかりでしたが、一番は政府、IOC、都政、どれも求心力がないってとこが根っこの問題かなと。もう不満、不信感だらけの中での無理やりやった感。そしてそんな中でやったのであれば「オリンピックやるんだから俺らもBBQやっていいよな」とかで感染拡大させちゃう要素につながってしまうよな、と。

国民が国に信頼感を持っていれば、政府が「徹底して対策を取って開催するので、コロナ禍で制限を受けている国民の皆さんに申し訳ないけど、協力してください」とでもお願いされれば、多少の反対あれどスムーズに開催できたのかもしれない。まあこのウン十年、政治には不満しかない人が多いだろうから、そりゃ無理だな。

そんなことも思いながら、放送は抵抗なく鑑賞させてもらいました。そしてスケートボードに限らず、(あんまり多くの競技観てないけど)選手の皆さんの姿には素直に感動しました。それぞれがそれぞれに思い悩んだでしょう、大変でしたねと声をかけてあげたいと思いました。
ここまで序文。

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それでようやく「オーリー」はできるようになるわけなんだけど、缶ジュースを置いて飛んだり、ちょっとだけできるようになった縁石に板の腹で乗りあがって滑る「ロックンロールスライド」とかを、自宅の前の道路でやっていた。
ちなみに右足を前にするグーフィースタンスなのですが、本来は左利きの人がこうなるらしく、ちょっと珍しがられる。学校帰って夕方から独りでずっとやっていて、後輩に「先輩スケボーやってますよねえ(ニヤニヤ、アホだなこの先輩、みたいな)」と言われバカにされたような時もあった(1年後ぐらいに彼がスケボーブランドであるVISIONのTシャツをシレっと着ていた時は「あんなこと言ったくせにかっこわりいなコイツ」と思った)。んでもしばらく経つと同級生らもスケボー面白そうだな、と興味を持ち始め(ちゃんと友達が登場、笑)4,5人ぐらいがやり始めるようになった。その頃には自分のボードもノーブランドじゃなくて確かVISIONのサイコスティックに乗っていて、友達にも「ブランドのやつ良いから、頑張って買ったほうがいいよ」とか勧めていた。田舎町だが海沿いに小さいサーフショップあってそこで扱い始めていたので、付き添いで買いにいったような気がする。本にはランプの作り方(簡易のジャンプ台みたいなやつです)が載ってたりしたので、ベニヤ板を買ってきて(どうやって運んだとかどこで買ったかを全く覚えていない)友だちと作ったりしたが、誰も飛べずにそのうち受験生になり、ランプはいつの間にか横方向に3つぐらいにカットされ、友達の親父さんの「植木置き」となっていたのは持ちネタのひとつです。そう言えば書いていて思い出したけど、スケボーを時々一緒にやっていた友達と「ラップかっこいいな」みたいなことを話していて、RUN D.M.Cがエアロスミスとのウォークディスウェイでシーンに飛び出して来た頃でもあったなと。すぐにビースティボーイズも。そうそう京都に修学旅行に行ったときに京都BLACK行ってバンドTシャツとか物色していたけど、DANZIGのキャップとビースティーズのキャップを買ったような気がする(そしてどちらも失くした凹)。スケボーやっていた友人とは「おれたちでラップもやれたらいいんじゃね?」みたいな感じで、アディダスのジャージを着た構想図(4人でラップユニット組んでいるイメージイラスト)を描いたりしたのは覚えている(もちろんそんなユニットは組まない)。

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だから当時は、ハードコア、スラッシュ、スケボー、スニーカー(エアジョーダンのようなゴツいのは”バッシュ”と呼んでいた。あとはVANSやコンバース)、それと黒のスリムジーンズ(意外と町内では売っていなくて苦労した)、スケートの短パン、Tシャツ、ネルシャツ、そしてラップの台頭…この辺が中心ワードかな。もう毎日が刺激的でした。
一番初めに聴いたハードコアはC.O.CかMISFITSか、街中にあったYOU&Iでレコードで借りたDischargeだったか…。ハードコアに含めていいと思うがS.O.D(スコットイアンのほうね)か…。どれが最初か忘れてしまった。

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ここまで超長くなりましたが、オリンピックのスケートボード。メダルラッシュとなったことと「国や人種、年齢の関係なく讃えあう仲間の印象」が強く印象づけられたことで感動を呼び、ここに来て一気に人気が出て来た。正直、多少は注目されるかと思ったが、ここまでになるとは思わなかった。「①自国で開かれたオリンピックで、さらに②日本人が大活躍したという影響、はかなり大きい」と思う。特に①の「日本でやっているし夜中とかではない観やすい時間帯だし、コロナとかなんだかんだあるけど盛り上がっているし(逆にコロナで行くとこもやることないし)観るかあ」という条件は、かなり影響したと思う(だからやって良かった、と短絡的に思ってはいないし、やらないほうが良かった、とも思わない)。

職場の上司が雑談でオリンピックの感想について話し出した時も、開口一番「スケボーは良かったよなあ、あの、ライバル同士で讃えあっている姿、感動したなあ、メダルでなくチャレンジしていく姿ね、あれいいなあと思った」などと喋っており「放送されたのとその後に報道が繰り返しされていること」の大きさは凄いと思った。要所要所まとめてニュースで伝えるからそうなるわけなんだけど、刷り込み効果みたいな印象も受けて、ちょっと怖い気もした。まだ幼い息子さんにもそのうちやらせるんじゃないかな?とか勝手に思っている。ま、お子さんが興味持てばぜひと思うけど、やりたくないのに無理やりやらせたら、それ絶対スケボーじゃないからね、とは思う。

日常的な会話の中でそうやって普通の人から「スケボーが」とか出てくるのは、ものすごく違和感を感じる一方で、ああようやく市民権のようなものを得たのかもしれないな、と思った。なんせ自分が始めた当時は、ここまで書いてきたような感じだったので。そしてこうなったのはもちろん、出場した選手(選手や競技という言葉が自分の中ではものすごくマッチしない。スケーターと言い換えたほうがいいし、競技でなくスケートボード、と言うほうがベストかなあ)が真剣に且つ楽しんで、お互いを称えあいながら国ではなく個として、仲間として滑ったからだと思う。スケートボードのそんなマインドを解説のプロスケーターの方と一緒に、ちゃんと理解して伝えた(担当になったからと猛勉強したであろう)アナウンサーの方々も、とてもナイスでした。

つづく

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