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社長の始末書 18 枚目〜バッチリ先生誕生記〜

福井のベンチャーを活性化した功績は大きいです

「サトシ、シアターハウスの吉村さんって知ってる?」

私がまだ社長代理時代のことです。どんちゃんから突然こう聞かれました。吉村さんとは面識こそありませんでしたが、もちろん存じ上げていました。

どんちゃんと一緒にFM福井の人気番組「福井あばさけビジネス道」のパーソナリティーをしている社長さんです。有名人です。

どんちゃんいわく、吉村氏の商材であるシアタースクリーンの紹介動画を制作する依頼を受けた、とのこと。まだYouTubeもない時代です。さすが吉村さん、先見の明があります。

「へえ〜! それは面白そうですね!」

と答えると、サトシと二人でやるから、用意しといて。とのこと。用意? なにをですか? そんなの自分で考えなよ。という禅ならぬ丼問答の末、依頼は受けたけど、中身は何も考えていないからサトシ考えてくれ、という相談というか指示だということが理解できました。

当時人見知り全開中の私が動画に出るなど夢にも考えたことは無かったのですが、どんちゃん直々の命令です。従わないわけにはいきません。まあ、かけ合いならなんとかなるのかな。

ただ、動画内容を企画するには、吉村さんの趣味嗜好をよく知る必要があります。ラジオを聞く限り、いつもクールかつ常人離れした賢さを感じていたのですが、吉村さんって実際どんな方なんですか? とどんちゃんに聞くと、ヒトコト「天才」とのこと。「福井のスティーブ・ジョブズって呼んでる」と言います。マジですか…。そんなすごい人、腰が引けます。

だからサトシ、ありきたりな内容じゃダメだからね。しっかり驚かせないと認めてくれないよ。普通の発想なんかゴミだってばっさり斬って捨てる人だから。とのこと。怖い…。さらにどんちゃんから出された条件は「キホンの流れはあって良いけど、台本は作るな。ウソっぽい流れは吉村さんが嫌う」とのこと。

…もう、めちゃくちゃ難しくありません?

しかも、私にとってははじめての動画出演の仕事です。もうイロイロハードルが高すぎて、また逆に闘志が湧くモードにすんなり入れたのは幸いでした。

ちなみに私、映像を思い浮かべたりすることが得意な方なのです。

そのときポン、と頭に出てきた絵が、スーツのどんちゃんと、チャイナドレスの私でした。あははは。どんな二人組だ。自分で思いついて笑ってしまいました。しかし、想像しただけで笑える、ということは、吉村さんの度肝も抜けるはずです。少なくとも、「普通」では絶対にありません。

ということで撮影当日、シアターハウスさんの本社において、白いスーツのどんちゃんと赤いチャイナドレスの私という紅白コンビで各種シアタースクリーンの紹介をするという、村祭りの余興もビックリな動画を撮影したのです。

撮影し終わったとき、ずっと正面で腕を組んで見ていた吉村さんはこうおっしゃいました。

「あんたら、なんちゅうもん撮るんや…。」

ヤバい。やりすぎたか?

「おもろすぎるわ。あっはっは!」

どうやら合格したようです。一見ふざけた内容ですが、それを一発で認める吉村さんの器と決断力にも「天才」を見ました。でも、内容はインパクトは十分、説明もすごく分かりやすいものだったと自負しております。(なぜかその後、続編の依頼は無かったのですが…)

ちなみに当日、この撮影を手伝ってくれたシアターハウスさんの若いスタッフがいたのですが、その彼がいまや超有名YouTuberとなった「カズチャンネル」のカズくんです。

後日たまたま彼と居酒屋で飲んだとき「あのときの撮影風景が衝撃的過ぎて。あれが自分も動画をやろうと思ったきっかけです」と言われ、私のほうが衝撃を受けて記憶を無くしかけた記憶があります。

この経験で得たものは大きく、私はビデオカメラの前で喋ることが怖くなくなりました。そして、どんちゃんがこう提案します。

「サトシもちゃんと喋れるんじゃん! だったら講師やってみなよ。そうだなあ。サトシは人見知りって言ってるし、名前は『覆面先生』にしよう!」

出た。どんちゃんの脳幹反射ネーミング。宇宙人、ゾンビに続いてリアルに覆面をかぶって講義する先生の登場です。その怪しさっぷりは今もウォンツ内で微妙な意味での伝説になっています。

でも、覆面での撮影は、私にとっては自転車を習得するときに使う補助輪のような役割を果たしてくれました。人見知りだった私は、徐々にカメラ慣れをしていったのです。そしていつまでも覆面ではダメだろう、ということで素顔を出し、自分で名付けた芸名が「バッチリ先生」でした。

そして、このタイミングでくまひげ先生が卒業し、私が社長に就任。JYOJYOで手痛い失敗を犯したタイミングで、私は原点に帰ります。というか、当初の事業計画から大きく逸脱していたのが、ここでようやくあるべき状態に戻った、というのが実情です。

資金も底を尽いたいま、私ができることは、どんな無茶なスケジュールでもこなせるモチベーションと、未だ色褪せない昭和のど根性を持ったバッチリ先生でV字回復を狙うのみ。

しかし、問題がひとつありました。

普通にソフトの使い方を教える教材を作っては、どんちゃんからもらったアドバイスのひとつ、「オレのマネをするな」に抵触してしまいます。でも、今までのマネをしなければ、新しい教材は作れません。

私はその悩みをどんちゃんに吐露しました。すると彼は私にこう聞きました。「サトシ、絶対に人がマネできないことってなんだと思う?」え? いや、ちょっと分からないです…。「それは、他人の人生そのものだよ。」は? 「サトシが生きてきた人生って、誰もマネできないんだよ。」

私はハッとしました。そうだ! 私自身のいままでの経験を活かせば、まったく新しい教材が作れるじゃないか! 私はデザイナーであり、ネットショップの店長でした。その経験は間違いなく、オリジナルです。私は今までのソフトの使い方から一歩進んで、デザインノウハウを教える、という教材を作り始めました。

ただ、予算もありませんから、撮影・映像編集も全て一人。カメラの録画ボタンを押してから、カメラの前に立ち、「皆さん、こんにちは!バッチリ先生です♪」と講師を演じきります。

編集が終わったら販売サイトを作り、自分で販促メールも書きました。切羽詰まっている中、ありったけのパワーを無我夢中でそそぎ、神様に祈る思いで教材をリリースしました。

販売開始当日。メルマガ配信を明け方にセットし、眠りについた数時間後のことです。枕元の携帯が鳴り止まずに目を覚ましました。

画面を更新するたびに、次々と注文のメールが入ってきます。ウソ…。私は飛び起きてパソコンを立ち上げ、「これ、夢じゃないよね?」と注文を何度も確かめました。「バッチリ先生のデザイン講座」は過去最高のスマッシュヒットになったのです。 

感動で、もう寝るどころではありません。家のベランダに出て深呼吸をすると、遠くの山向こうから差し込んできた朝日が美しいこと美しいこと。神様、仏様、ありがとうございます! と思わず手を合わせたあの時の景色は、今も心のアルバムに収まっています。

しかしなんと、このバッチリ先生という存在は、まさかの悲劇的な「大事件」を引き寄せてしまうのです…。


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