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ラーメン凪 創業記 第16章:特級煮干と火事と1500万

ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまで、その後までの波乱万丈な創業記!?前回まではこちらから👇

2009年秋
ゴールデン街店は取材や雑誌のおかげで売り上げは安定し、月500万くらいまで行くように。こうなると利益がしっかり出てきます。やっとヒットしたお店を自力で作った感覚を持てるようになりました。

調子に乗って4号店を出します。
『特級煮干そば凪』

新宿はゴールデン街の反対側、西新宿です。
家賃は10万と格安だったので即契約しました。初めて居抜きではなく内装をつくりました。出店費用で800万。やっとゼロからのお店なので、販促も含めて気合が入りました。

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とはいえ7坪のお店です。味はゴールデン街とは違う、白湯ベースの煮干ラーメン。しかも丼に香りを閉じ込めるようと蓋をつけて商品にしました。

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『特級煮干そば』というヘンテコな名前です。
入念な準備もあり、出だしから好調で日販20万超え!完全にしてやったり感満載です。

そう、まさにプチ絶頂です。売上的には大した額ではないのですが、なにぶん超スモールビジネス的には面白い数字でした。半日で家賃を稼いでくれるので、それはそれは可愛いお店でした。

そして事件は開店2週間後に訪れます。

イベントやお店の営業も多彩にこなしていたといえば聞こえはいいですが、実際はもうバタバタしていました。人も足りない状況で僕も開店準備から店に付きっきり。

その日は前日は通し営業でお店で寝て、朝5時ごろ起きて昼からの横浜のイベント準備をしていました。昼の営業も心配だったので、在庫やその他チェックをしていました。すると洗剤が発注されておらず在庫もありません。人員が薄いので、油の仕込みなど少しでも昼の負担が減ればとやっていたのですが、絶対にやってはいけない事をやってしまいました。

仕込み中の香味油を弱火で点けたまま、徒歩10分のゴールデン街店に洗剤を取りにいってしまいました。

その帰り道、携帯に電話がはいります。
出てみると。。。。
「生田さん!お店にきたら消防車来てて店がえらい事になっています!!」とちょうど出勤したスタッフから。

もう慌ててダッシュでお店に戻りました。

そうです、先ほどの油から引火して、炊飯ジャーやその周辺を燃やしてしまいました。幸いボヤ程度で済みましたが、僕が着いた時には7坪12席の店内に消防団員7名ほどがぎゅうぎゅうにおりまして。。。

もう謝りまくって。。。

近隣へもほんと謝罪しまくりました。。。

この時から火の怖さを身をもって知ることになりました。

コメント 2021-08-03 195311

後日もっと恐ろしいことに気がつきました。

なんと保険に入ってなかったのです。
すぐさま保険屋さんに連絡し、契約をしました。

後日、このことで奇跡的なこと起こりました。
火の取り扱いには十分注意していこうと決意してから2ヶ月後のことです。

この日は売上も好調だったので、スタッフ募集も開始して面接をお店のカウンターでしてた時でした。

スタッフから「大将、壁からなんか煙みたいのがでてますー」と。
直感で火事だと気が付きました。

居抜き店舗でよくチェックせずにキッチンレイアウトを変更した際に防火対策が取れておらず、壁とステンレスの間が高熱になり火事になるというのをどこかで聞いて覚えていたからです。

見てみると厨房のステンレスの隙間から糸のような煙が上がっていました。まだ炎は見えておらず、落ちついて消防に連絡を入れました。壁に水をかけ、バールで隙間をあけて水を流しましたが一向に煙が消えません。

連絡からすぐに消防車がけたたましいサイレンを鳴らして到着し、少しホッとしました。

それでもまだ炎は見えていませんでした。

火の恐ろしさを感じたのが、消防隊員があちこちと「火元」を探すために壁を壊し始めたときでした。

ボワっ」っと音がしたかどうかは忘れましたが、いきなりものすごい煙が店内を覆い、二階の窓からはもうボンボンと煙が上がってきました。

その瞬間「終わった」とマジで思いました。
壁を壊したところから酸素が入り大炎上です。

走馬灯のように今までのことを想いながら、
あーやっちまったーまたやー。。。。と。

こっから一気に放水し火は消されましたが、もう完全に半分焼け切れて、こら終わった感満載でした。

まさかまた謝罪行脚をやることになるとは、、

当然なんですが、周りからは「二度もやって!」とボロカスに言われましたが、当然のことです。

温和な大家さんからも、「もう契約を見直す」と言われて、仕方がないと思いました。今回は直接的な原因は僕ではありません。施工した業者さんのミスとも取れます。が業者さんにも色々と無理を聞いて貰って居た事もあり、ここは自分事としてとらえて猛省しようと。ゴールデン街のプチ成功に慢心していたのだと気付かされました。

数日して、”今回まで”と念を押されて大家さんから許しをいただき、何とか営業を続ける事が出来ました。

そして設計からやり直し、またなんとか建て替えずに修復する方法を見つけてもらい工事して2ヶ月後に再オープンすることができました。

この時良かったことは、1度目の家事で保険に入ってない事に気が付きそこですぐに入った事でした。
一度も支払いをすることなく1500万の大金が入ってきました。火災保険の2割は自作自演とか言われる意味もなんとなく理解しましたね。

つづく!

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