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もっとも幻想的な記憶

女性は美しく、華麗で、聡明で、深い


とっても不思議で素敵な話がある。
 
まるで前世の前世の記憶のよう。
 
小学校1,2年生だったと思う。僕の小学校は付属の女子中学校高校校舎の脇を通って、最寄駅まで歩いていった。 母親が通っていた古い音楽大学の脇を通って、正門に向かう。 音大生の管楽器の練習の音を肩耳に、大人な大学生の服装を横目に僕よりも足の長く、年が上だけど純粋な女子中学、高校生が僕の前を通って行く。
 
一緒に帰る友達をひとりもみつけられないと、小学校の校舎を出て、運動場の脇に続くアスファルトの道、野外プールの水しぶきを浴び、水面の美しい女性たちの声の反射、体育館、音大の校舎、女子高の校舎のあとにやっと正門にたどりつく。 
 
すべてが交わる場所で。運動場の端で、ある日どんな理由かわからず女子中学生二人に会った。
 
いつの間にかぼくはその二人と駅まで帰りの道を歩くのが習慣となった。
 
多分、僕をみて気にいってくれて、駅まで送りたくなったのだろう。 
 
「この子、かわいい」と彼女達はいってたような気もする。
 
それとも小さな友達をつくりたかったのだろうか。
 
その二人の名前も顔も全然覚えていない。 手を繋いでいったかどうだかも覚えてないけれど、とにかく二人は僕と歩いている間、僕と話をした。 人生経験なんてない僕といったいどんな会話ができるのだろうか。
 
でもそれは母親に学校でなにがあったかを報告するのとは違ったと思う。 
 
将来の夢や自分が何を考えているかを話したんだと思う。 僕はきっと彼女たちに会うのが楽しみだったし、ドキドキして満たされる気持ちだった。
 
普通な会話をしたかもしれないし、ぼくに感心するようなことを言ったかもしれない。
 
僕はその時科学者になりたいとか漫画家になりたいとか思っていたから。そんな話をしたのだと思う。小学校1年生の時は科学者になりたいと思っていた。多分手塚治虫の漫画の影響だと思う。
 
この記憶は深く心の奥へしまってある。
 
女性への憧れ、美しさ、純粋さ、華麗さ、聡明さ、深さ。
 
僕は女子中高生というものが、なにか手に取れない不思議な存在であるように思える。いつのまにか彼らより年を越えてしまい、彼らはただ子どもな、若く、単純な女の子という存在にいれかわったしまった。
 
あの現象はなんだったのだろう?とふと思う。
 
けれども、自分が子供であるつもりで、彼らを遠くから、夢のように描くと、あのときに感じた女神のような
 
顔はなく、太いも細いもなく、ただただ純粋で、輝きつづけ、美しい総体的な女性が浮かび上がる。
 

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