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帰国して女性の壁を思い出す

ふらっと予備校へ

 
ボストンから日本に戻って。 僕は自分が変わったことに気付いた。 道を歩くだけでも、なにか体から出ている感じがした。自信に充ち溢れていた。特に何かスキルを得たわけではないのだけど、ボストンでの生活が僕に自信を与えたのだろう。
日本の大学に入ることなんてどうでもよかった。
 
将来への不安の度数が100だったのが30くらいに減った。
 
不安があると言うよりか、僕がやりたい事の気持ちがその不安の気持ちを吹き飛ばしいた。 不安になる余裕なんてない。不安になる時間なんてなかった。
 
それでも僕はいつ頃に留学するか迷っていた。
日本は大抵4月から大学がはじまる。
でもイギリスは10月だ。
 
もうこの時、アメリカに行く気は殆ど失せていた。
 
通っていた新宿にある美術予備校に足を運ぶことにする、先生たちはいろいろ応援してくれた。
 
彼らは日本の大学に多くの人間を入れることが仕事だけど、一人の人間としては、僕らを望ましいところへ導きたいのだろう。
 
もう日本の大学に行かない人たちは彼らにとってお客様でもない。一個人として尊重されてアドバイスをくれる。
 
一緒に勉強した人たちの中で2人留学したい女性がいるようだった。
 
予備校もまた日本、女性と男性が壁を感じず話すことは殆どない。
同じクラスにいて、同じものを描き
話をするけど
 
ほとんどの場合は女性に壁を感じる。
 
また男性女性同士がコミュニケーションをとっているのを傍からみても感じた。
 
小学校のときと同じだ。
 
よく日本では恋愛対象としてしか男性女性を見れないという。
 
僕もそうだった。
 
しかしそれは実に不気味だ。
 
女性をみたらオートマチックに、自動的に性の対象となるのだ。
ひとりの人間として見ずに。
 
まさしく、社会の体制のせいだろう。 女性男性は友達としてなりえないと。 
 
まあともかく。僕もそうだったから、女性の友達なんていなかった。 いや予備校で一人いた。 でもやはりギクシャクした。 僕はシャイだったので(いまでもシャイですが)、向うの言われるがままにしたがった、女性が電話したら受け、どこかに行こうといえば、どこかに行った。 いま考えていればあれは恋人に近かったのではないかと思った。 
 
その女性は、僕が私大の多摩美のグラフィック科に合格したのに、蹴って行かなかったことに憤慨していた。
彼女は
 
「贅沢だ!」
 
と言ってきた。怒鳴ったわけではないが。
 
僕が行かなければ、補欠の人が合格することになる。 彼女はたぶん同じ科目を受けて落ちた記憶にある。 彼女が補欠であれば、彼女は合格したのだ。 
何の問題もない。 受けてその大学に行こうが、受けて蹴ろうがそれは僕の勝手である。
 
それから彼女とは一切口もきかず、会っていない。
唯一の女性の友人はそんなくだらないことで友情が消えてなくなったのだ。
 
昔、近所の唯一の友達も、僕が私立の小学校に行っていてエスカレーター式に中学に行けることを嫉妬して、それだけで、友人をやめられてしまった経験がある。
 
世の中の仕組みが受験や学歴などで支配されていなければ彼らはいまだに僕と仲良かったかもしれない。

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