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当たり前

去年に引き続き、今年も大変な1年になりそうだ。
「4年の春休みは海外旅行しかする事がない」
そんな話を本気で信じていた自分が、時々馬鹿らしくなる。

ちょうど1年前の自分に言いたい。
「海外旅行。行きたいなら”今”行きなさい」

コロナは「当たり前」の大切さを教えてくれた。海外旅行や留学に行けること・その場のノリで居酒屋にいくこと・暇つぶしに友達とカラオケにいくこと・渋谷をぶらぶら歩くこと。今となっては幻の「当たり前」の上で存在していたんだな。

自分が好きなことでも、長い間続けていれば疑問を持つ瞬間はある。当たり前は時に自分を締め付ける。些細なことも気になるから。

例えば、大好きなテニスを365日ずっとやっていたら、どこかで嫌気がさすだろう。「いつも同じミスをする」「ずっと練習しているのになかなか上手くならない」マイナスの感情ばかりで心が覆われる時もあるはずだ。

でも「コートが1ヶ月に1回しか取れない」「テスト期間で部活が2週間できない」。テニスと距離を置くタイミングがあるからこそ「早くテニスがしたい!」と思うんじゃないかな。そういう時が一番活き活きしていた。当たり前は「当たり前」を失った時、その存在と大切さを知る。

ここ1年で、新しい「当たり前」ができつつある。外出時のマスクやソーシャルディスタンスだ。ふと思ったけど、コロナが収束したら今の当たり前はなくなるのだろうか。そしたら、この2つを感じる機会がくるのだろうか。

「あの頃みたいにマスクしていたらなあ」

そう思った時、僕らは家のベッドで寝ているに違いない。処方された薬を枕元に置いて。

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