10年の空白を持つ、異常な人の普通の話。
「救われたかったんだ」
去年の9月にフリーランスになり、
もうそろそろ1年が経つ。
私は本業に副業にとあくせく働きながら、
どこか物足りない思いを感じていた。
私の書斎からは、
日中蝉の鳴き声が聞こえてくる。
私にとって、蝉の鳴き声は
都会と故郷をつなぐ架け橋。
煩わしさを感じつつも、
蝉はあの何もない田舎の風景を
思い起こしてくれる。
満たされなかった。
私を理解してくれる恋人もいて、
私の命より大事な兄弟に恵まれて、
何不自由ない生活を送っているはずなのに、
心にぽっかり穴が空いたような
虚しさを感じていた。
「私とは一体何なのだろう」
哲学が好きな私が、
自らによく投げかける問い。
その答えが未だ出たことはないけど、
人生は何なのかは知っていた。
私にとって、人生とは10年の空白を埋める旅だ。
20代の頃に私は重いうつを患い、
治るまでに10年もの歳月がかかった。
その時のことはよく覚えていない。
だから、私にとって、
20歳から30歳まで
タイムスリップしたような感覚がある。
今では普通の人と
何ら変わらない生活をしてるけど、
それでもその10年の歳月は
簡単には埋まらない。
いや一生埋まることはないのだろう。
普通に話せて、
普通の食事が取れて、
普通の仕事をして、
普通の生活をしていても、
10年が戻ってくることはない。
私は普通であって普通じゃない。
普通の顔をした異常な人間。そんな風に思っていた。
◇
雷に打たれたような衝撃を受けた。
どんな人と話しても決して埋まらない感覚。
最愛の恋人にさえも、
一生理解してもらえないであろう感覚。
“彼女”は全てを持っていた。
ごく普通のことを言っている、
ありきたりな日常なのに、
「性」が普通じゃないだけで、
人に指を差され、陰口を叩かれる。
普通じゃない私は、
彼女の言っていることが全て分かった。
初めて彼女のツイートを見た時、
私は思わず泣いていた。
今までうつであったことを
押し殺してきたけど、
隠す必要はないんだって。
うつだった時、
周りとの人間関係が上手くいかず、
苦しんだことを朧げながら覚えているけど、
完治した後は特にいじめは受けていない。
むしろ、年を追うごとに
状況が好転していく楽しい人生だった。
しかしあの空白は決して埋まらない。
でも、彼女のツイートを見て、
私は救われたかったのだと分かった。
あの10年はどうあっても返っては来ない、
でも胸を張って生きていいんだって。
決めた。
うつであったことをこれから隠すことはない。
胸を張って、私は私らしく生きよう。
そう心に決めた時、外で優しく囀る
蜩の鳴き声が一層強く響いた気がした。
まるで、少し不安に慄く私の背中を
押してくれたかのように。