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僕の思う、サスティナブルで快適な農業の未来像

今年も草刈りのシーズンがやってきました。

うちは昨年、刈払い機で使った年間トータル燃料が8リッターでした。

(当園は、基本的にマシーンの稼働量が極小なので、専業農家比較だとかなり少ない方かもしれません)

毎年混合油を15リッターも使わないので、いつしか自分で混合油を作る方が諸々のコストが大きい気がしてしまって、今は混合済みのやつをまとめて購入するようにしています。

近年、植物の繊維質を原料にバイオエタノールを生産する技術開発や社会実装に向けた取り組みが活発になっているようですが、その内、刈り草で動かせる刈り払い機の燃料みたいなものが一般普及して、気軽に使える日もやってくるのだろうか?

先日の自己紹介文(下記リンク)でも書きましたが、欲をいうならば、自分の所で刈った草から自分でエネルギーを製造できるようになったら最高だなーと思います。

何しろ刈り草はうちの畑のエネルギー源みたいなものですので、年間でトータルしたらものすごい量が出ますからね。


ということで、そういうものがあったら是非積極的に使っていきたいと思いますし、自分の地域で作れるような流れができればより嬉しいです。


僕は「環境に優しい」という表現自体はあまり好きではありませんが、そういう文脈から生み出される技術そのものの発展にはとても期待しています。

なんだか複雑な感情ですが、なぜその表現自体があまり好きではないかというと、エコロジー活動そのものって素晴らしいものだと思いますし、尊敬できることも多いんですが、「本当にそれ優しいの??」みたいな主張も多いということと、人のエコとエゴの境目の曖昧さやその複雑性が、非建設的な感情論のぶつかり合いみたいなものを生み出すことも少なくないことから、「環境に優しい」という決めつけられているような表現自体にいつも不信感を感じてしまうんですよね。

そんなことから、多分、口や思いだけの主張よりも、アクションしたという事実結果どうなったかというデータ の方がはるかに重要なんだろうと思っています。

もちろん、主張によって生まれる気づきアクションの質の変化もあるでしょうから一概には言えない部分ではありますが、あまりにも的が定まっておらず、説得力のない環境問題への表面的な主張を見る機会も多いことから、いつの間にかそういう感情を覚えるようになっているのかもしれないなーと思っています。

環境問題もそうですが、人の感情も本当に複雑ですね。


ではその中で、「自分はどうあったらいいと思うか??」、「何が優しいと思うか??」

というようなことをひたすらに考えるのですが、これがまた複雑なもので、考えれば考えるほど泥沼にハマって行くような気分 にすらなります。

結局いつも、明快な道は描けずじまいですので、今は淡々と自分が理想としている農業道を進んでいこう ということになるのですが、その時にいつも、やっぱりこれは大切にしたい と思うことがあります。

それは、

押し付けすぎず、決めつけすぎず、あまりラディカルになりすぎず、自然回帰思想に傾倒しすぎず、人も含めての環境持続可能性を冷静に考えていくことの重要性を意識する ということです。

よく経済活動や人のアクションにアンチを唱える過激な層が一部いたりもしますが、僕は、地球に優しい=アンチ経済活動ではなく、それはものによるわけで、環境貢献度の高い仕組みはこれからも経済活動の中で追求されるべきだし、卑屈にならず、人が求める物質的な豊かさや経済性が環境持続可能性にもつながるような活動にシフトしていくことも考えていった方がよいのではないかと思います。

多分、企業単位での環境貢献性や人の利便性を向上させる取り組みや発明はいつの時代にも無数にあるでしょうし、それらは経済活動や人の追求欲やアクションがあってこそ生まれるものだと思います。

その上で、僕は僕の農業という仕事の中で、いまの時代なりにその部分に貢献できる何かを追求していきたいと考えています。

終わりに

「環境に優しい」についてあれこれと書かせてもらいましたが、結局の所、よく分からないことだらけですし、自分は、おそらく一生かかっても何が最適だったのか??なんて分からないのだろうと思います。

自然環境のことについて、色々と考えたり、書物を読み漁ったり、人から情報を得たりしますが、上記にも書いた通り、自分は淡々と自分の道を進んでいくだけで、その中で、今後の発見、展開を受け、そこから更に考えを深めていくことしかできないのだろうと思っています。(ポジティブな意味で)

僕の思うサスティナブルで快適な農業の未来像って、インフラや物資的なものにかけるコストを減らして限界費用を下げ、大げさな物や機械を投入せずとも社会的にも経済的にも永続可能なビジネスとして成り立てるものということと、その中で「自然に敬意を持ち、どう自然と共に豊かに生きていけるか??」ということを模索し続けながら最適解を探っていくような姿を想像しています。

その理想像を求め、これからも迷いなく進んでいくと同時に、最適解を模索しようとする という渦の中をどこまでもさまよい続けたいと思います。

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