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使徒言行録16章1節ー5節

「母に注がれる神のあわれみ」
青年テモテと出会うパウロ。違う人種の結婚をよく思わない時代、母も白い目で見られましょう。この地はかつて激しい迫害で、パウロがいのちの危機さえ感じた地域。ここで救われ留まった彼女の人生の苦労を思います。

わが子にいいところを見せたい親。しかし情けない親の姿を晒す現実もあります。完璧ではないことで後悔を引きずってはなりません。いたらない点があっても、主のあわれみによって子は育ちます。祖母と母から受け継がれたような、信仰の祈りがあれば。

ところで、わが子への評価は身びいきがすぎる場合も過小評価しすぎる例もあります。だからテモテの信仰によき評価を下すのは教会です。初対面のパウロの目にも、伝道に連れゆくのにふさわしい青年と映りますから何重もの点検の上での高評価です。

親なりの評価もいい。ただそこにとらわれすぎてもどうでしょうか。他者から思いもよらない評価はあるものです。いいえ、気にすべきは人の評価以上に神がわが子をどうご覧になられるかです。いいところも、そうでないところも親以上に知り抜く神の招きは確かです。

親は子の将来を知りません。テモテも異邦人とユダヤ人が交じり合う国際社会に旅立ちます。両親が違う民族である彼にお誂えの場です。割礼を受けたのは、救いの条件ではありません。ユダヤ人会堂で伝道する時、無割礼では入れないネックのためです。

ハンディが強みに転じます。テモテの登場で、教会は強められ、人数が増えていきます。異邦人の血を引く者も救われ、用いられる恵みを本人の存在自体が雄弁に物語るからです。神は人を見出し、世界に変化を与えます。親の知らない世界にも、先立たれる神の導きは確かです。

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