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ドラえもんとドラキュラとどら焼きの関係

藤子不二雄の代表作「ドラえもん」の造形はおきあがりこぼしの人形の造形がきっかけで生まれたエピソードは知られている。このおきあがりこぼしをプレゼントとして渡したのが、当時藤子不二雄のアシスタントだった漫画家の志村みどり氏。藤子不二雄のアシスタントになる前は里中満智子さんのアシスタントもしておられた時期もあった。
 
この志村みどり氏の実の兄が博物学研究家の荒俣宏氏だ。上野のキリスト教系の保育園に通っている。テレビの「トリビアの泉」のレギュラーだった方ですね。荒俣氏が師事したのが翻訳家の平井呈一。小泉八雲やブラムストーカーの「ドラキュラ」の翻訳を行った人物です。聖公会の牧師の子だった作家アーサーマッケンの怪奇小説の翻訳もしている。どういう仕事をなさったかで趣向も見えてくると思うが幻想文学プロパーの方だ。
 
この平井呈一が一時期師事していたのが小説家の永井荷風。ある出来事をきっかけに師弟関係を断たれてしまうのだが。
 
面白いのは、平井には双子の兄がいること。谷口喜作という人物で、兄弟で名字が違うのは平井が養子に出されているから。兄喜作の方は今でもある上野の「うさぎや」という和菓子屋でどら焼きを創案して売っていた。谷口は俳人でもあり文人墨客との交流も深かったようで、芥川龍之介は「うさぎや」のどら焼きのファン。俳人の河東碧梧桐の門下でもあった。
 
谷口喜作の父、初代の谷口喜作は富山の出身で安田財閥の祖、安田善次郎と同じ寺子屋に通った仲。維新後、東京に出てきて和菓子屋を始めるのだが、この人も趣味人で川上音二郎の劇団に関係し、尾崎紅葉のもとにも出入りしていたようだ。二代目谷口喜作の趣味や性格は父親の交流関係の中で育まれたものとも言えるか。
 
ということで「ドラえもん」と「ドラキュラ」と「どら焼き」は人物の交流史という点で関係してくるということになるか。偶然だろうが、藤子不二雄の出身も富山県ですし。
 


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