淡水魚たちのいいわけ

     斜めにふる雨。筆跡。雨季に地図を作ろうとして、あえて河岸を曖昧にしていた。淡水魚が虹の根元で産まれて、空を細長くみつめながら、動詞そのもののまま潜水していく。午前の陽射しはもともと、音がない日記だった。密告の声を半音上げるこの、初夏の動悸を、魚たちの胸骨は知っている。
         川はいつからか、誰かの忘却で流れていた。そして川であることまでも、少しずつ置き忘れていた。忘れるということ自体が、川なのかもしれないから、川は自由な朗読であり続けた。会話文を、川が読むときの特別な吐息は、水面をとおりすぎる風になった。
 季節は小さな自首を繰り返すことよってめぐっていくのです。夏の息をしながら、夜が失われないようにそっと、洞窟にしまいこんでおります。わたしたちは刻一刻と、手のひらから心象の水田を喪失しているのかもしれません。意図せず陽光に、反射してしまった淡水魚の背中を見たことがおありでしょう。贋札で買い物するまえの罪の意識を、その背びれから想うことはできませんか。
   淡水魚は水鳥の脚に包帯を巻きたい。水鳥の口笛が、季節風の一部にほどけてゆくときには、一つまた一つとこの街の、水たまりが失われていく。水鳥は時折、たくさんの腐敗を口にして、あらゆる途中をさがした。あるとき果実は、音と液体の途中だった。水鳥は単調な日常を好み、まだ夜を含んでいる水面はつつかれると、記憶のはじまりのように、波紋した。
早生まれの弟って、水の、類義語かもしれない。冬の水田すらみたことがなかったのに黙読を、いつできるようになったのかわからない。もう目的のない粉薬。弟は飲み忘れた後、淡水魚の味をそっと思い起こした。故郷の果樹園では、明後日にする鼾が聞こえそうだから、唇もうごかさないで果実が描写される時間を待った。読みかけの小説のなかの限りなく液体に近いその実の。
網を曳く。新鮮な孤独に色付けしていくかわりに、何かを失わせていく、そんな手作業の仕方だった。淡水魚はある少年の、船酔いの、とても盲目的で、一心に身体を折り曲げている様子を見続けていたことがあった。船縁から身をのりだして嘔吐するときの凛としたアキレス腱の張り。それはもはや、他人のせいにすることなく、まぶたの中の星座に砂をかけていく行為だった。
たゆたう、ということ。三月の強制。限られた世界の私語。小さな歯で交わされる言葉。風を素朴にする水田。疑問符のいらない、残虐な表現の手話。うつくしい響きの恋人の記号論。体液の行き着くところとなる魚たちの述語。
あるとき川辺の鹿は、嘘でもいいから謝りたい少年だった。恋人の髪を梳かすぐらいの簡単な言葉で、夢精について語らなければならなかったのに。少年は、手にちょうどいい石を、川に向かって投げるとき必ず、思い出すことがあった。それは自分自身が背負うための、美しい鞍のことだった。鞍を編むまつり縫いの糸ひとつ一つが、尊敬する労働だった。
「この街の妹たちが空耳をかさねる時間です」「いつから川が喪失を集めているのでしょう」「擬人化された月桂樹の義足について知っていますか」「ええ、明るい日陰じゃないと育たない植物らしいです」「雨の夜、わたしたちの先祖の遺骨が、川魚の臓器に蓄積されます」「砕かれた生き物の骨と唾液に違いない地面で私たちは、自分の命よりも先に産まれなければならないのですね」
服を着ながら川魚は、雨のにおいの太陰暦を浴びている。耳からはじまる恋愛の夜に、アルミニウムの温度で目が覚めた。川底と平行にひろがる言葉を拾い集めると、惑星の私語を聞くことになる。未来の他動詞に、川魚は多くの酸素を吹き掛けて、言葉以前の新鮮な鼻唄を、片仮名の孤独で口ずさむことがあった。
あるいは川はだれかの謀略かもしれなかった。朗読にでてくるか細い骨の指で、田圃に水をひく。空はいつも迷路を画く少女のように、息を止めていた。まだ河口に、月が住んでいた時代に言葉はそれが、誰の目薬にもならないのを恐れた。川はとても透明な睡眠薬を持っているのだろうか。液体が流れる、という悪意がやがて、踝という文字にいきついてはじめて、骨の固さに驚くまで。

佳作に選んで頂きました。本当にうれしいです。光栄です。
これからもがんばります。岩佐聡

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