【仕事の記憶】(2)炎上プロジェクトと所属異動
の続き。
かくしてプロジェクトは炎上した
真夏の暑い日、夕刻~翌朝までテスト作業するため客先のマシン室に向かう。理由を説明するまでもなく新人は一人で作業することはできない。この日はプロジェクトリーダーと一緒に作業する予定だった。
作業の開始予定時間を過ぎてもプロジェクトリーダーが現れない。
時間を間違ったのかもしれない、自社に電話をかけてマシン時間を問い合わせると間違いないとのこと。
「Kさんが来ていないのですが。体調不良など連絡が入っていませんか?」と確認する。
そのような連絡は受けていない、こちらで確認するので、現場(マシン室)で待機するように。と指示される。
しばらくして返信がきた。プロジェクトリーダーと全く連絡がつかないらしい。無断欠勤である。とりあえず、課長が向かうので一緒に作業しようということになった。
この日からプロジェクトリーダーが会社に来なくなってしまった。電話にも出てくれない。
課長から自宅訪問するので一緒についてきてもらえないか?と頼まれる。
「なぜに私?」と思ったが、配属されたばかりの汚れなき可愛い新人が現れることで、何か対応に変化がでることを期待していたのかもしれない。定時後に課長と彼の同期(友人)と連れ立って、マンションを訪ねると彼はそこにいた。
事情を聞くとこんな感じだった。
「自分が受け持っている部分の設計もコーディングも完全に終わっていないのでテストに進めない。どこかで巻き返せるだろうと思い、進捗報告をごまかしてきたがどうにもならなくなった。
色々考えているうちに作業時間がきてしまい連絡できず部屋に籠ってしまった。」
(...一人客先のマシン室に向かった新人社員の不安は気にしないのかね...とツッコミたい自分である。)
別に珍しくもない、よくあるプロジェクト炎上パターンである。
大らかで明るい頼れる兄貴的な雰囲気の彼だったが、元々大雑把な性格である。前プロジェクトでバディを組んでいた同期のサブリーダーが昇進していなくなったことが主原因だろう、プロジェクトリーダー登用自体に問題があったのではないかと言われていた。
彼はもう会社に来ることはない、すぐに部門有志によりプロジェクトの成果物のチェックが始まる。何もかもが中途半端で、顧客報告は虚偽、テスト中のコードも含めてかなりの部分で要求仕様が満たされていないことが判明する。それまでの作業は意味はなく、やり直さなければならないと管理職・上級エンジニアたちは判断したらしい。
鎮火のため過去の類似システム・プロジェクトの経験者が大量投入された。自分たちのプロジェクトを兼任してなので、本当に申し訳なく思う。
部内の管理職や他プロジェクトチームの中堅以上のエンジニアなど追加工数は超高い。収益は真っ赤になり、相当な額の持ち出しとなったはずである。
え、所属異動ですか?
自分はこの炎上プロジェクトのオリジナルメンバなので、責任を持って身を粉にして献身しなければ、と勝手に考えていた。
(当時の自分に、だれもお前の働きなど期待していないわ。とツッコミたい)
頭は使わなくても良いけども、面倒臭い・手間がかかるタスクを積極的に引き受ける。就業時間がどんどん増える。
このプロジェクトで経験した徹夜回数月6回は、その後も経験したことがない。
会社の寮はボロボロで部屋にエアコンがない、徹夜作業を繰り返しているのに、暑くて十分に睡眠もとれずいつもフラフラだった。
システムのコンパイルをしているうちに意識が飛んでしまい、他プロジェクトの先輩エンジニアに「〇〇、大変だなぁ...」と声をかけられて起こされたことも一度や二度ではなかった。
最悪な業務の中、鎮火のためにヘルプに入っている直属ではない管理職や他プロジェクトのリーダー、メンバと話す機会ができた。
とにかく体を使って動き回っていたので「24時間働ける元気者」と認識されたらしい。「このプロジェクトが終わったらウチに来い」とあちこちから声をかけてもらえたことを覚えている。
次のプロジェクトでは、少しでも交換機システムの設計やプログラミングをしたいと思っていた。
そのころ、特殊なプログラミング言語や開発環境の交換機システムの業務だけでは事業拡大につながらない。UNIXで一躍メジャーになったC言語の案件に力を入れることになっていたらしい。
C言語ネイティブのエンジニアを養成するため中途採用の経験者や有望そうな若手を新設した課に集めていた。
未経験かつ設計もプログラミングもできない自分はこの課への配属などありえない、はずだったのだが、
炎上プロジェクトの働きぶりで少し目立ったのかもしれない。その課への転属が決まってしまったのである。
(この時点で、自分はまともなプログラムを書いたことはないのだが…)
人生何が起きるか分からないものである。
プロジェクトが炎上しなければ、そのまま交換機システムを専門としていて、とっくに応用先のないエンジニアとなり詰んでいただろう。
この課への異動が、その後自分が組込みシステムのエンジニアとしてキャリアを重ねる転機になったのである。
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