【仕事の記憶】(5)初めての転職

の続き。

郷里の求人

年末年始に帰省していた時、各戸に無料投函される地元情報誌の広告が目に留まる。

「この名刺にあなたの名前をいれませんか?」

なるほど、大都市圏で働く地元出身技術者のUターン転職を促しているらしい。

広告に大きく拡大された名刺の会社名は、郷里に唯一存在する東証一部上場企業の工場・事業所のものだった。
この企業の本業は電子部品だが、創業者が経営トップになっている通信事業者向けの携帯電話を納入していた。
全く知らなかったが、超がつくほどのこの田舎町で開発・製造しているとのことである。

この時期、携帯電話はまだ一般に普及しているとは言えず、端末の値段・基本料金・通話料すべてがバカ高い。建築業や営業など外回りの多い仕事でもポケベル使用者がほとんどで、所有している人は限られている。
自分も「そういえば部長が机の上で充電していたっけ」程度の認識しかない。

自分の仕事は、同じシリーズ・技術を使った機器開発が何年も続いて、少し飽きている気もする。しかし、個人的に蓄積したノウハウがあり、プロジェクト内でもまあまあ大事にされている気はする。社内の人間関係も良好で不満はない。

転職など全く考えていない、求人広告をみても「ふーん...」としか思わなかった。

阪神淡路大震災が起きた

その年の1月17日。

朝起きてテレビを付けるとなんだか様子がおかしい。
高架道路の支柱が崩れ横倒し、ビルも斜めになっている、関西で起きた大地震の様子が繰り返し流されている。
これは大変なことになった。と思いながらも関東は被害がない、いつものように出社し仕事をこなした。

大災害の真の姿は少し遅れてから分かる、そして被害は拡大し続ける。
自宅に帰ってニュースを見ると、朝感じたものよりはるかに甚大であることを伝えている。沢山の家屋が倒壊し、街が燃えている。道は寸断し、救助もままならないようだ。

大都市直下型地震の恐ろしさをメディアがリアルタイムに伝える。誰もがその状況に恐怖したのではないだろうか、自分もその一人だった。
それまで全く気にしていなかったが、自分たちも最も家屋が密集する首都圏で暮らしている。もし、同じことが首都圏で起こったらどうなるのだろうか。ここに住み続けることに不安を覚える。

そういえば、入社時の2年以上修行したら地元支社へ帰る(転属)という条件どうなったのだろう。倍以上の時間が経過しているけれど、すでになかったことになっていないだろうか。
(自分もすっかり忘れていたくせに...とツッコんでおく。)

正月に見たあの求人広告を思い出す。
自社の他部門でも、移動体通信事業者の交換機システムや、外に持ち出し可能なコードレス電話(のちのPHS)の実証実験システム等に関わるプロジェクトがあることを知っている。移動体通信(携帯電話など)が将来有望であることは認識しているつもりだ。
何より一般顧客向けに販売される端末の開発というのもなかなか面白そうだ。

災害を目の当たりにした不安と、新しい世界への好奇心から、あの求人に応募してみることにした。

初めての転職活動

「大学卒」が応募条件だったので、大学中退・高校卒の学歴で応募してもよいか採用担当に電話し確認した。とりあえず応募してくださいとの回答。
今のようにネットで応募などできない、応募書類(履歴書・職務経歴書)を手書きして郵送する。

どうせ書類審査で落とされるだろうと思っていた。
しかし、首都圏にある事業所で一次面接をするから指定した日時に来てほしいという連絡が届く。
「さては勤務地が田舎過ぎて応募者がいなかったか?」と失礼なことを憶測する。

適正検査を受けた後に面接になる。
面接官は、携帯電話開発部の部長と人事課長だった。自分の職歴などを説明し、質疑応答に入る。
部長から、公共通信システムと携帯電話の端末はずいぶん違うはず、仕事についてこれるかなぁ。といった言葉がでる。その時「基本は同じはず、学習次第で対応できると思います」のような反論をして、少し技術用語も混じる議論の形になった。

若手が手取り足取りの時期を卒業し、指示待ちとならずに能動的に仕事ができるようになる頃、少々自信過剰になることがある。自分も例に漏れず、少々どころか、かなり調子に乗っていたようだ。
その分野について未経験で何も知らない者が、長年開発を仕切ってきた部門長に反論するなどおバカにもほどがある。面談でこれをやったら当然不採用だろう。

ところが、事業担当役員の面接と健康診断の実施予定日時の連絡が届く。
役員面接はただの形式に過ぎない、健康診断も問題なく、めでたく採用となった。
(ちなみに、役員面接をした日は、オウム真理教の地下鉄サリン事件の日である。)

その後、部長に面接のときの話を聞くと「なんだか負けん気が強くて面白い奴だ」と思ったのだそうだ。自分を採用することはリスクだったはずだ。入社後もちゃんと仕事ができているか何かと気にかけてくれていた。

今、ネットからの大量の応募を半ば機械的に捌かなければならず、面接の仕方や合否判断もルーチン化しているだろう。
この一次面接のように応募者の性格や考え方を上手に引き出し、少々異端かもしれない者を面白いと評価してくれる経験豊富な面接官はいるだろうか。

この時の自分は随分と幸運に恵まれていたらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?