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教員時代の「悪夢」

先日、現在小学校の校長職にある元同僚から、学校現場の生々しい状況(個人情報など守秘義務はきちんと守られています)、それに伴ういろいろな悩み、健康状態の不安などの話を聞くにつれ、中堅・ベテランの先生たちへ応援したい気持ちが強くなってきました。

私が中堅・ベテランの年齢の時に、何を感じ、何を考え、経験や同僚や本などから何を学んでおけばよかったのか、などについて振り返りながら思いを伝えていきたいと考えています。


退職して感じる、今の思い

これまで担任期間25年、教育委員会3年、管理職6年、計34年間勤務しました。その間、がむしゃらに仕事にまい進した20代から30代前半、
主に高学年担任や教務、研究担当、生活指導担当で
多忙だが充実していた30代中盤から40代中盤、
教育委員会勤務や管理職に就き、
やりがいを感じながらも思うようにいかないことが多く、
悩みも多かった40代中盤から50代後半。

その時、何を感じ、何をしたのか。どうすればもっとよい解決策があったのか。若い時から、何を学び、良い準備をしておく必要があったのか。
そもそも、自分には、その職の適性があるのか、等々。
今振り返って、「若い時から、こんな力をつければよかったな」とか、「こう考えればもう少し楽な気持ちになったのに」とか、「自分の長所が生き、楽しく過ごせる道が他にもあったのに」とかいろいろな思いが浮かんできます。

どんな職業でも、一つの道で年齢と共に経験を重ね、
学習を繰り返して成長していくことは尊いことだと思います。
しかし、その過程で、状況によっては心や体の健康を損ない、
苦しい教員生活を送られている先生方もおられることでしょう。
仕事でのつまづき、解決しようがない教育課題、
上司や同僚との良好でない人間関係、心や体の不調、など私も一通り経験しました。悪化する状況に対応する術もなく、「今日辞めようか、いや明日辞めようか」と思い悩んだ日々が昨日のことのようです。何年たっても、思い出したら苦くて辛い気持ちになります。

でも、そういう日々を過ごしていても、一生懸命課題に取り組んでいれば、日々の経過とともに、事態は好転とはいかないまでも、最悪の事態はまぬかれることもできるようになるのだと思います。


今でも見る「悪夢」

学校現場を卒業して数年が経ちますが、今でもたびたび教員時代の夢を見ます。それもやや「悪夢」的な内容の夢が多いですね。最も多いのが、「校内研究授業の夢」です。

教員をされた方なら必ず向き合うことになるのがこの校内研究授業。
学校の研究テーマに沿って学年団や研究担当などと一諸に研究授業の「指導案」を作り、全校の先生や他校の先生、教育委員会の指導主事先生の前で、担任と児童で授業を公開するのです。私はこの研究授業が好きで、この授業のためにいろいろな面での準備をするのが楽しみでした。毎回うまくいくものではありませんが、テーマに沿って自分なりの主張をこの研究授業で試してみて、自分の学級の成長度合いを測ることが、自分自身の成長のステップと感じていました。

ですが退職後、そんな私でもこの研究授業の「悪夢」でたびたびうなされているのです。その内容の多くは、「今日が研究授業なのに、何の準備もできていない!」という自分としては物凄い恐怖に満ちたものです。どうしよう、どうしようとアタフタしているうちに目が覚め、「ああ、現実でなくてよかった。」と安心するのですが、夏などは汗びっしょりになっていることもありました。私にとっては最もホラーな夢のパターンなのです。


準備すること

この夢を見るたびに、私は『準備の大切さ』を痛感させられます。私はスポーツを見るのが好きで、特にプロ野球の試合もTVでしばしば応援します。試合終了後、監督のコメントや活躍した選手のヒーローインタビューを楽しみに聞きます。
勝っても負けても、常に出てくる言葉が
「良い準備をして臨んだので、良い結果になりました。また次の試合に向けて良い準備をしていきます」、
「できる限りの準備をして臨みましたが、足りませんでした。次の試合では今回の失敗をよく反省し、次にはさらに良い準備をして臨もうと思います。」
のような内容です。

私は「勝っても次に備えての準備、負けても次に備えての準備」というコメントから、
『ことに臨むには、結果が良かろうが悪かろうができる範囲でのできる限りの準備をする』ことの大切さをあらためて実感するのです。
勿論生活し仕事をするなかでの結果は大切です。その結果を導くのも『日々の準備』であることもしっかり心にとめておきたいと思っています。

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