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#174 読書録 暇と退屈の倫理学 7章と結論を読み切って、この本と向き合い自信が少しついた話

こんにちは!けーたです。

今日は、「暇と退屈の倫理学」の第7章&結論を読んだ読書メモを投稿します。かなりの長期間に渡って読んでいたこの本との会話も今回で最後です。

いつから読んでるのかを振り返ってみると、2024年2月24日がvol.1の投稿開始。そして、今日の帰りの電車の中で読了。

約1.5か月かかりました笑 長い。ただ、何度も何度もいったり来たりを繰り返しているので、最初の頃の事は忘れた!とはならない所が本書のいい所。

ちょっと読んでは「えっなにいってるのかわからない」となり、何度も戻るのです。

ちなみに、vol.1としての投稿はこちら。

最後の最後まで結構そんな瞬間ばかりでしたが、ここからは第7章と結論の内容に触れていきたいと思います。

第7章と結論を読んで刺さった言葉たち

一番刺さった文章はこの表現でした。

大切なのは、理解をする過程である。そうした過程が人に、理解する術を、ひいては生きる術を獲得させるのだ。

つまり、本を読むとはその論述との付き合い方をそれぞれの読者が発見していく過程である。

こうした過程の重要性を無視したとき、人は与えられた情報の奴隷になる。

この文章に出逢えた時に、自分の「ナニヲイッテイルノカワカリマセン。ニホンゴデショウカ」となりながらも、本書に食らいついた事に意味があったのだなと自信がつきました!

ここまで、読書は楽しいのに大変だった読書体験ばかりを伝えていますが、嬉しくなる瞬間もたくさんありました。

それは、作者の退屈の第一形式、第二形式、第三形式のつながりを、自分の頭の中で文書を絵に変換して、ストーリーとして理解できた瞬間です。

作者が言わんとしているロジックはこうだな!と言い切れた時です。もちろん、誤読かもしれませんが、それでもアドレナリンが出る瞬間でした。

どんな人におススメ?

ビジネス書的に、もともと本を手にした時に問いを抱えており、全部を読まずとしても必要な場所の情報を得る読書ではなく、がっちり過去の偉大な哲学者の巨人の肩に乗っかりつつ、國分功一朗さんの主張は何か、最初からじっくり読んで、かみ砕いていく事が好きな方におすすめです。

とはいえ、上記にも書いてあるとおり、通読を通して論を丁寧に追っていく時間を確保できないと、情報の奴隷になってしまうので、ある程度まとまった時間が確保できるという方にまずはおススメします。

というか、確保できない人にはおススメできません笑

まとめ

本書には結論の章があり、著者の主張が明確に書かれています。

ただ、今回は著者の主張として、通読を前提として初めて結論の意味が浮き上がってくると書かれているので、結論は載せません。

という事で、わからないながらも、少しづつ著者に質問というか対話をしながら進んでいく読書時間が面白そう!気になるという方は是非「暇と退屈の倫理学」を手に取ってみてください。

今回の読書メモが誰かの選書の参考になれば幸いです。

ではでは







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