言葉の小骨も、刺さったら気になるんだよなぁ

おつかれさまです。

魚を食べると小骨が度々歯の隙間に入る 佐藤サトです。

実はこれ少し前にあったことだったのですが、

考えていくと自分にとって根深かったので、noteしたいと思います。

(これ、使い方あってる?)

私と上司と先輩と

先日あった、メールでのやりとりです。

Bプロデューサー「○○さんのことだけど、前向きに検討してくれているみたいだよ」

サト「なるほど!ありがとうございます。そうしましたら次のMTGでは~…(以下略)」

2分後。

>A先輩からのチャット通知

サト「ん? …(チャットを開く)」

A先輩「Bさんが『なるほど』っていうサトのメールに、
上司に『なるほど』って使うなよ、、ってぼそっと言っていました。
僕は気にしたこともなかったけど、気にする人もいるんだなと思ったので、共有です。」※ほぼ原文

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「……おおん??????」


なんかもう、

アフタヌーンティーで女子が喜ぶよくばりオススメデザート3点ばりに盛り沢山で私の眉間がミルフィーユでした。

さて、因数分解のお時間です。

バリくそに「おおん?」となった私ですが、「ちょいとまて」と。

この「おおん?」の感情が、内容盛りだくさんによる相乗効果で、いつもより3倍「おおん?」ったのは理解した。

だが私は、何のどれに対して、”一番”憤りを感じたのだろう。

つまり誰に怒ってるん?

結論、私の激しい憤り割合が一番大きかったのは、

「勝手なおせっかいで、藪から棒にアドバイスしてきたA先輩」

への、強い嫌悪感でした。

まぁ、少々前提が崩れちゃいますが、私はA先輩があんま好きではありません。彼の”仕事の仕方”がめちゃ嫌いです。すごい効率が悪いことを平気な面でやるような人ので、部下としてめっちゃ辛いです(笑)

話を戻しまして…

今回私が「おおん?」分解している過程には、

”上司に適切な言葉でしゃべれよ=敬語ちゃんと使えよ”

に対する、私自身の見解の相違もありました。

もちろん、人は敬うべき存在であることは否定しませんが、

”上司には敬語” の中には、”俺は敬われるべき存在だろ?”という傲慢さがみえて、すごい嫌な感じがしました。

というか、「俺(上司)に敬語使え」って部下に行っている上司、くそカッコ悪くないですか?

人からの”敬意”は、「くれ!」と言ってもらうもんじゃない…と思いたいものです。

…とまで言いましたが、いざ自分が年下や部下に敬語を使われなかったらと考えたら、ちょっと嫌でした(笑)

ただ、そこの答えは簡単で。単に私の自信が低いせいですね(笑)

すがっているのです。敬語を使われるということで、「自身が敬意を受けるべき存在である」ということを認識したいんです。

年功序列文化だからでしょうか…どこかで、”年を取れば(何もせずとも)敬われる存在になれる”と、無意識化で思っているのでしょうか。

敬語使われなくても平気~という人は、少なからず自身の価値を低く見積もっていない人が多いような気がします。

そんな自分の考えもあるので「(上司や年上)に敬語使え」マンは、やっぱ好きじゃないなぁというのもありつつの、

問題のAさんです(長いなぁ)

それを伝えて、どうしたかったの?

今回のAさんの行動での私の”激おこポイント”は、

「あなたがそれを伝えなければ、私はBさんに対して『そんなちっちゃいこと気にするような人なんだ』と、好感度が下がることは起き得なかった」

です。

善意かもしれない。地雷を踏みぬく前に教えてあげようという、親切心だったかもしれない。

でもさ、「あの人、あなたのこと嫌いなんだって~」といわれて、

いい気分になる人、いる?(笑)

その火種が、本当に起爆のきっかけになってしまったとしても、

爆発する相性の時は、早かれ遅かれ爆発するんだよ!(暴論)

…いうて。私もいい大人です。

そんなちょっとのすれ違いや解釈違いで、クリティカルな決裂にはならんですよ。

そんなことになるような相性なら、早かれ遅かれ以下略。

それと。

「共有です」 て なんやねん

共有させて、どうさせたいんだよ………!!(本気で頭抱えた)

言葉使いを直させたいのか、Bさんが実は思ったより怒ってたということを伝えたかったのか…

”共有”という言葉を使うことで、この指摘がすごい”うやむや”なものになったことに、A先輩はおそらく気づいていないんだろうなぁ……(遠い目)

謝罪会見が下手な人の特徴に、「誰に(何に)誤っているかがわからなくなっている(=謝る対象がずれている)」というものがあるそうです。

A先輩「この指摘によって、サトにこういう行動を促そう(と思う)」

…と、きっと最初にあのチャットを書き込もうと思ったはずの動機があったはずなのに、それに関して触れている内容はありません。

そうすることで”自分の意見”がにじみ出てしまい、私から非難されることを避けたかったのかもしれません。

「そも、この発言には自分は責任ないよ」という逃げの姿勢が、そういう言葉を選ばせたのかもしれません。

どちらにせよ。

人に何か物申すとき…それが、相手にとって「悪い情報」であるなら、せめて「どうして言おうと思ったか」は添えるべきだと、私は思います。

桜木花道の左手ばりに、必ず添えてほしいです。

発言の責任から逃げようとする人の言葉は、どこにも届かないと思うから。

…すみません。A先輩のことになると、ぜんぜん冷静になれません(笑)

人は感情の生き物だというのを、彼の存在で痛感しますッス。

言葉は”自分”からしか出てこない

今回の件で、言葉ってのはつくづく”自分の中にあるもの”でつくられるなぁと思ってしまいました。

言葉への解釈にも、きっと”自分”が出てるんだろうなぁ。

これからも、言葉との付き合いは長くなりそうです。

ではでは。




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