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忘れない夏~流産のキオク③

こんにちは、さとです。
少しずつ前を見けるようになってきたかな、と感じる自分がいます。
今回でこのシリーズも第3回目になりました。多くの方に読んでいただき、とても励みになります。
もし、私と同じ悲しみを経験された方がいたら、少しでも心の傷が癒されますように。

『忘れない夏~流産のキオク①」はこちらから↓

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お腹で赤ちゃんが亡くなっていることが分かった。
でも、まだ私の中にいる。
とても複雑な気持ちだった。

「ここにいるのに・・・」

重いつわりがピタッと終わることはなく、あまりにも地獄だった。
今まで赤ちゃんがいるから頑張れたつわりは、今はただ悲しみと苦しみとともにただ耐えなければならないものになった。
あんまりじゃないか。
乗り越えたつわりの先に、もう今は何もない。
1週間後に決まった手術を、今すぐにでもしてほしいと思った。

もう何もしたくない。
もう何もできない。
ただただ、ほほを涙がずっとつたっていた。
この2か月間は何だったんだろう。

そこからの1週間、私は初めて自分の心が壊れている、もう元に戻れないかもしれないと思った。
何を見ても涙が出るし、どんなに面白いものを見ても笑えない。
にこっとさえできない。
人に会いたくない。
言葉が耳に入ってこない。
目が覚めて、部屋に差し込む朝日を見ると、憎くさえ感じた。

「今日もまた辛い一日が始まる。」
「生きるって辛いね。」

手術までの1週間はとても長く感じた。
終わらないつわりの残酷さに、今すぐにでも手術してほしいと思っていたが、その思いは迷いへと変わり、また新たな辛さがやってきた。

少しずつ、少しずつ、軽くなっていくつわりや胸の張り。
でもまだ続くつわり。
元に戻ろうとする身体と、妊娠していると思っている身体。
自分の身体さえも、この現実がよく分かっていないようだった。
身体も心も、ぐうちゃぐちゃだった。

突然の大量出血や腹痛がとても怖く、自然排出を願う自分はいなかった。
けれど、もし自然排出だったら、、、そう考える心境の変化もあった。

自分の手で、赤ちゃんを最後にぎゅっと抱きしめてあげられるかもしれない。
写真も、へその緒も、お骨も残らない私の小さな赤ちゃん。
残るのは、空っぽの親子手帳と数枚のエコー写真だけ。
あなたは確かに私のお腹で生きていたよ。

数日後に控える手術を前に、自然排出を願う自分もいた。
この悲しみは時間が薬なのだろうか?
流産が分かった日から数日たっても、全く前なんか向けなかった。
ただ、怒り、苦しみ、悲しみ、怖さ、、、知っている限りの言葉でもうまく言い表すことのできない複雑な感情とともに時間が過ぎていった。

・・・つづく・・・







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