ある日突然父が倒れ、後遺症が残ったら
先日、父親が突然倒れた。
原因は脳梗塞。
左半分の視界を失った。
突然に。
そしてそれは後遺症として高確率で残ると言われた。
母たち家族は泣き崩れて放心状態となり、次々と看護師にサインを求められる書類など上の空だった。
父は体力仕事の自営業をしており、60歳を過ぎてはいるがバリバリ働いていた。
母たちは、父に後遺症が残ることへの不安、つまり今までの生活が今まで通どおりにはいかなくなることをとても不安に感じているようだった。
だって、ハンデを抱えて生きる世界のことを知らないから。
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娘の私はというと、ショックではあるものの薄情か?と言われるほど落ち着いていた。
なぜなら、私にはそれぞれハンデを持つ幼い娘たちが二人いるからだ。
長女は軽度の脳室周囲白質軟化症という脳性麻痺を。
次女は心臓病を。
二人もいて大丈夫なの?と思うかもしれないが、ともに軽度であり、良くも悪くも健常児扱いだ。
とはいっても、長女はリハビリを一所懸命がんばってようやく歩けるようになった過去がある。
今ではどうにか努力の末、自転車にも乗れるようになったが、依然としてバランス感覚は悪く、突然転び、常に足にはたくさんのあざがある。
長女も次女もハンデを抱えながら、うまく付き合っていくしかないのだ。
そしてそれはある日から突然ではなく、生まれたときから。
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「突然ハンデを抱える父やその家族」と、「私の家族」の違いがわかるだろうか?
そう、私にはもう「ハンデがあっても楽しく過ごせる」ことを経験し、分かってるのだ。
これは娘たちが私に教えてくれたとても大切なこと。
ハンデがあったら、突然今の一見健常児しかいないかのような世界で生きていけないというわけではない。
ハンデがあったら、何の楽しみも、生きがいも、喜びも感じれない生活が待っているわけではない。
確かに、今までと同じやり方で、今までの生活が送れるわけではない。
また、何かのゴールを健常児が求めるものに合わせるのではなく、ハンデと共存する世界が求めるものにしなければならないかもしれない。
でもそれは、ちょっと視点を変えてみたり、方法を変えてみたり、考え方を変えてみると大丈夫だったりする。
このことに、父と母たちは気づけるだろうか?
このことは人が言ったから分かるものではない。
私自身、経験して初めて分かった。
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すでに子育ても終え、父は会社員なら定年を過ぎている年齢だ。
父は退院後、どうするだろう?
倒れた父になんてことを言っているのだ?と怒られそうだが、
ピンチはチャンスだな、と思ってしまう。
また、ハンデをもつことにものすごく恐怖を持っている母の考えは一体今後どうなるだろう?
事故や病気によって、健常児だっていつ障がい者になるか分からない。
そして障害と言ったって目に見えるものばかりではない。
目に見えない障害を抱えている人だってたくさんいる。
また私の娘のように、軽度で手帳はもらえないけど配慮してもらいたいことはあるという人もたくさんいる。
いったいどこからが障がいなんだろう?
知らないだけ、見えないだけ、見えていないだけなんじゃないか?
健常児しかいないかのような世界に見えるけど、ちょっと角度を変えて見てほしい。
困っている人もいれば、それを助けている人もたくさんいる。
人と人が支えあって生きている。
困ったら、助けてほしいと言えばいいし、困っている人を見たら声をかければいい。
ただそれだけのこと。
過度に隠すこともないし、怯える必要もない。
両親らが目に見えないモノに怯えている今、私は数年前の自分を見ているようだ。
きっと大丈夫。
このピンチが大切なことを気づかせてくれるはず。
きっと大丈夫。
数年後には、あの時は大変だったねって笑っているはず。
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