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早稲田大学法学部受験記

2014年2月15日、早稲田大学早稲田キャンパス。YONEXのウインドブレーカーの上から真っ黒な学ランを着て、異様に着膨れした姿の私は、法学部の入学試験を受けに高田馬場を訪れていた。
髪も眉毛もボサボサ、第一ボタンまで留めた学ランの袖口からいかにもポリエステルな生地が覗くなんとも垢抜けない高校3年生は、新橋のホテルからほとんど命からがら試験会場に辿り着いた。
電車が意味不明に複雑かつ、土曜日なのに普通に混雑しており、しかも悪いことに特大遅延していた。父に買ってもらったHTC J Butterflyの画面には、十年に一度の寒波だとかなんとか表示されていた。

とにかく並の大雪ではない。形状を目で追えるほど大粒の牡丹雪が大量に空からゆっくり落ちてくる。午後にはくるぶしの高さまで積もり積もることが容易に予想できた。
鮭おにぎりを食べながら大隈重信像に挨拶でもしようと早くホテルを出たのに、キャンパスに着いたのは試験開始の30分前。学ランの肩が徐々にモノトーンのマーブル模様になる。ウインドブレーカーのおかげで地肌に染みてはこないが、耐え難いほどにめちゃくちゃ寒い。入口前には緊張の面持ちの現役生と、経験した者にしか出せないガラムマサラのようなオーラを纏う浪人生が大行列を作っている。立ち昇る無数の白い息は名古屋港の工業地帯のようだった。

電車ってこんなに遅れるのかよ、こりゃ座った瞬間に試験開始かもな、英単語だけでも見直したかった。あれこれ考えていると、斜め上方向から「試験開始は13時です」の声が聞こえた。
先生がグラウンドでの全校集会で使うような、謎の用途の台に乗ったスーツの大人が拡声器を通してそんな風に繰り返している。公共交通機関の遅延救済のため、試験開始時間を遅らせたらしい。時刻は午前8時35分。初めて来る場所、初めて来る学校の、初めて入るバカでかい教室の、初めて座る硬い椅子での4時間半の待ちが確定したわけだ。

親に帰りが遅くなる旨メールしたあとは、持ってきた板チョコを割らずに齧ったり、チョコチップメロンパンをもう一個買っておけばよかったと後悔したり、YouTubeで知らん人の猫の動画を観て暇を潰したり、チャーハンおにぎりを早弁したり、トイレに行けば和式が嫌で、洋式が空くまで後ろの人に順番を譲り続けたり、斜め前の賢そうな子が京大の赤本を読んだりしていた。大変やねキミ、東に行ったり西に行ったり。

試験が終わり8時間ぶりに外の空気で肺を満たした。思いのほか湿度を感じた。降る雪の粒は朝よりも小さく速くなり、地面は溶けた雪と砂とで茶色いシャーベットになっていた。
早稲田駅へ向かう途中、いまの試験の解答速報を1000円で売るという、合法なのか違法なのか全く分からない集団に遭遇したが、どうせ落ちたので買わなかった。

仮に試験が9時から始まっていたとしても多分受からなかった。世界史の途中で半泣きになるほどクソ難しかった。だからあの寒さも牡丹雪も恨んだことはない。
それ以来、牡丹雪を見ると「わせほ(早稲法)雪」なんて、心の呼んでみたりしている。私の造語なので当然誰も分かるはずはなく、口に出したことはないんだけれど。

そういえば「わせほ」って言葉ってあるのかな、とふと思って調べてみると、早稲穂と書いて「わさほ」と読む言葉があった。文字通り早稲の穂という意味らしい。
いい言葉じゃないの。まだまだギラギラ照る9月の太陽、二の腕にまとわりつく温い風、乾いた穀物の香ばしい薫りが胸に飛び込んでくる。
でも私の中で「わせほ」といえばかじかむ指、大粒の雪、白く霞む大隈講堂。
なかなか美しい対比だと思う。
私にとって、私だけにとっての、爽やかで大好きな響き。
今週は久しぶりに東京で、あの日みたいな牡丹雪を見たので。

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