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短歌の狭さ

5、7、5、7、7。

31音。字余りさせてもまあマックス35音程度。
この土俵で十分な粒度と彩度を担保しなくちゃいけない。
短歌は、狭い。

私なんかはまだ下手っぴなので、ハイコンテクストすぎて自分しか理解できないような歌をたくさん詠んでしまう。視線が紙面や画面の右方向に、あるいは下方向に滑るに従って、痛いくらいに鮮やかな赤青緑黄色を思い起こさせる歌は、そんなにたくさんは詠めない。
本当は、本当は、青空に白い万年筆で飛行機雲を引くような歌を作りたい。河合塾終わりのカルピスソーダの一口目みたいな歌を作りたい。
※ 私が敬愛する歌人 笹井宏之さんの歌集にはそんな歌がたくさん収録されている。圧倒的な才能すぎて、歌集を開くたびに短歌を辞めたくなる。
https://lnkd.in/gRnVs75G

それはそれとして、日常で「文字にしてとっておきたい」と思いついたトピックの内容量と、自分なりの力点を鑑みて、31音で収まるかなぁ、ということは常に考えさせられる。
今の実力では31音は短すぎる、と悟ったときに初めて、詩にするか、メロディーとコードを付けて歌にするか、エッセイにするか、抽象度を高めて短編小説にするかという議論が始まる。

短歌以外の形式は短歌から逃げた結末、とまで言うつもりは無いが、私なりにいかに世界を短く議論できるか、に関しては一定のフェティシズムを覚える。

仕事で書くメールでも一緒かも。
最大公約数的なマナーとして「いつも大変お世話になっております。株式会社〇〇の古河です。」とは書くけれども本当は削りたいし、本論においてもなるべく一文は短く、一段落は短く、全体の文章は短くしたい。
だらだら書けば際限なく粒度と彩度が上がるなんて当たり前の話なので、限界まで端的にしたい。
これは美学というよりはむしろ実利指向で、送り手も受け手も得するからそうしたい。

転職して初めて気づいたんですけど、駄目なメールは平気で無視されますね。
別に無視する人を責めるつもりは一切なくて、私のメールの構成が駄目で、内容が駄目だと読む気がしなくなって、後で読むかと思っている間に新しいメールに埋もれて、埃が被って終わり。
受け手をイメージすることに尽きるんですかね、良いメールを書くって行為は。結局土俵を綺麗に整地した上で狭く狭くしなきゃいけない行為なので、難しいですよ。


「短歌を作っています。ふだん三十一文字なので、ここはとても広く感じます。」
歌集『サラダ記念日』で有名な歌人 俵万智さんのTwitterのbioの抜粋。
短歌の狭さが楽しくてしょうがないことが、この一文からよーく伝わってきます。「最も成功した現代歌人のひとり」という権威性に盲目的に従うというわけでもないですけど、これに関しては完全に「それな!」。
だからまあ、短歌もビジネスメールも、狭さを楽しむ心意気と、何より狭さを楽しむ心の余裕を常に持っておかなきゃなぁと。


とだらだら書きましたが、本当はこの話をバチっと57577のフレームの中で論じられたら恰好良かったんですけどね~。
さすがに私の力量ではちょっと厳しかったので、今回はエッセイの形で調理しました。
今日も今日とて、創作欲を満たせて満足満足。

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