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ゴジラにも“同族嫌悪”という感情があるのかもしれない【勝手に映画感想】

こんばんは、"もっちゃん”です。
記事に興味を持ってくださり、ありがとうございます。

お盆の期間に入り、ゆったりとした時間が流れております。
今年は諸事情により遠出等はできないので、家の中や庭で過ごす時間が大半です。

Prime Videoの視聴がはかどります。
暑くなってきたり、夕立がきたりすると、即Prime Videoに移ります。

息子も好きなゴジラを見尽くしてしまったようで、今回からお気に入りシリーズのリピートモードに入りました。

今回は『ゴジラvsビオランテ』でした。

ただ同じ作品を何度も見返してもあれなので、作品の感想に加えて、なにか考えたことをプラスして書いていこうと思います。

◯今回観た映画:『ゴジラvsビオランテ』 1989年 東宝

以前も記事にしておりますが、最近では二度目の視聴になります。

◯概要

ゴジラが東京を蹂躙してから5年後、三原山内において再び活動を開始したゴジラに備え、政府は核を制御する抗核バクテリアの研究を白神博士に依頼する。しかし博士は、亡き娘の細胞が埋め込まれたバラと、ゴジラ細胞を融合させ、ビオランテを生み出してしまう。時を同じくし、ついにゴジラが覚醒。ゴジラとビオランテの激闘が始まる!

上記ホームページあらすじより引用

◯ゴジラとビオランテは分身

ビオランテは、白神博士が亡き娘の細胞を埋め込んだバラにゴジラ細胞を融合させて生み出してしまったものになります。

そもそもゴジラとビオランテは同じ細胞でできている同族なわけです。

そこが無意識的に引き合わされ、お互い傷つけ合い、戦っていくというストーリーなのです。

なんとなくそこに深さを感じます。
本来的には同じものであるのに、お互いを傷つけ合う、またそれに勝利したものが残るというところに、世の中を反映した雰囲気を感じます。

そもそもゴジラは自分以外のああいう大きな怪獣系の相手は殲滅していくスタンスなのかもしれませんが、
同じ細胞を埋め込まれたのを相手にするというのは、なんとも皮肉なものです。

「毒をもって毒を制す」

という言葉がありますが、ゴジラに対抗するには結局はゴジラしかないのかもしれません。

◯同族嫌悪を考える

「同族嫌悪」という言葉があります。

ゴジラの争いを見ていると、本質的にはすべて「同族嫌悪」なのではないかとも感じることもあります。

「同族嫌悪」という言葉は、人が自分と似た特性や性格を持つ他人に対して嫌悪感を抱く現象を指します。例えば、自分と似た価値観や行動パターンを持つ人に対して、嫌悪感や不快感を感じることがあります。心理的には、自己認識の一部として、自分の欠点や短所を他者に見ることで、反発を感じることがあるとされています。
この現象は、人間関係や社会的な交流において、しばしば見られるもので、自己改善や成長のために役立つこともありますが、過度になると対人関係に悪影響を及ぼすこともあります。

Chat-GPTによる「同族嫌悪」の説明

今回の『ゴジラvsビオランテ』に関して言えば、同じ細胞を持っているもの達であるから、
同族の極みであるとも思います。

もはや家族とか、そういったレベルでしょうか。

なんとなく学校現場で働いていると、
“同族嫌悪だなぁ”
と感じることはしばしばあります。

もちろん私自身の思考に対して感じることもありますし、
子どもたちや職場の人間関係を見ていて感じることもあります。


一方で、同じ細胞をもつもの、
つまり家族に対して同族嫌悪の感情を抱くかというと、そんなでもない気もします。

ゴジラほど、そんな相手を殲滅しようと思うほどの感情を抱くことはまずありません。
これは人によって程度が異なるのでしょうか?

でも考えてみると、子育てしている中で、
要領が悪い娘や息子にイライラしたりもします。

でも、よく考えてみると、いちばん要領が悪いのは私です。
私に似ているが故に、同族と感じるが故にイライラするものなのでしょうか

なんか考えれば考えるほど、
人間は根本的に似ているものには何か嫌悪感を抱くのかもしれません。
生物学的なものがあるのでしょうか。

似たものは生き残りづらい的な感じで。


そう考えると、ゴジラはとても生物学的な本能に基づいて行動しているだけのようにも思います。

単純なようで、深いストーリーがこの作品の中にはあるのですね。


こんなことを考えました!
何度見ても良い作品は良いものですね!

映画を見てこんなことを考えているのもアホらしいとも思いつつ、なんとなくそれが楽しい今日この頃でもあります。

ご覧くださり、ありがとうございました。

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