『ベケット』映画 Netflix
現代演劇の次元を飛躍的に高めた劇作家と言えば、『犀』のイヨネスコと『ゴトーを待ちながら』のベケットであろう。この二作を大根役者が演じればブラックユーモアが際立つし、アクターズスタジオ出の俳優が演じれば、あまりの不条理さに震撼するのではあるまいか。この二作が持つ衝撃と演劇というフィールドに新たな世界を開いた貢献度は、他に比類を見ない。
映画『ベケット』が始まって、その不条理さが際立ってくるにつれ、連呼される主人公の名前、「ベケット」が「サミュエル・ベケット」の「ベケット」にオーバーラップされ、甚だ混乱した。それほどこの映画は、現代が失った不条理さを、さり気なく演出している。
例えば、ギリシャの現地の登場人物たちが交わす言葉が~当然ギリシャ人や学んだ方なら理解できるだろうが~わからない、字幕も当然ながら意図して出さない。場面展開やプロット理解に必要な状況下で、これをやられるからイラッとする。まるで『ゴドーを待ちながら』そのものではないか。また、意味を読み取ろうとする見手の性向を、小物や風景~向精神薬や断崖~などが微妙に裏切ってくれる。それらを意味と捉えれば、見手は混乱するばかりだ。
そして、虚構におけるリアリズム創りが上手い。この高さから飛び降りたら、普通に死ぬだろう、いや、無理だろうという場面が幾つかでてくるが、不思議にリアリズムを失っていない。ほらやはり、ベケットの演劇そのものではないか。
現代映画だから、筋証はある。しかし、なにか、奥歯にものが挟まって、取り出せない。そこが映画という表現形式を選択した味そのものであろう。
ブラックユーモアあり、不条理あり、解明されてなお、奥行あり。
要必見の作品に仕上がっていると感じるのは、わたくしだけであろうか。
この作品は、本年、Netflixにより公開された。
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