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荒む心を潤すために必要なこと

よく「心が荒む」という表現を耳にする。そもそも、何でそう、表現するのだろう。そう内省してみると、心も身体と同じなんだ!ということに気付かされる。身体が痛むように、心も痛む。心が喜ぶように、身体も喜ぶ。身体を休めるように、心にも休息は必要だ。気付いてみると、単に心と身体を二元論で捉えているから、だけの話しで、脳も身体の一臓器にすぎない。

 さて、今日はもう少しこの、「心が荒む」にフォーカスしてみよう。

 「心が荒む」状態とは文字通り、心が疲れ傷んでいる状態。ではなぜ、湖面が荒ぶる程に心が影響を受けたのか。それは、湖面を荒ぶらせる風、雨がないと起こり得ない外的要因に起因した現象、すなわち心であれば、外部からの攻撃や虎馬レベルのショックに心が晒されたから、陥った心境と言えるであろう。

 さてさて、身体が外的要因により痛めつけられた時、身を守るものは何か。それは物理的な防具であったり、日々培った免疫力であったりするてあろう。

 では、心にはそのようなものがあるか。

 わたくしは、ある、と思う。

 ここからは、もしかしたら、ピンとこない話しになるかもしれないが、記してみたい。

 たとえば、心の防具とは何か?という話し。そして、心の防具、心の免疫力とは何かというと、やはり個々が培われたもの。倫理観であったり、正義観であったりする。そして、そのセンサーは何か、というと、心地良さであったり、爽快感であったり、ある時は不潔感であったりするのだ。

 「ああイヤだ」

人の行為を見て、そう感じること、あるでしょう?で、先人は何と言ったか?

 「人の振りみて、我がふり直せ」

 これが「智慧」というものであります。そして、最も大切なものは、何か?それは智慧がもたらすものにほか、ありません。つまりは、「人の振りみて、我がふり直せ」を実行すると、自浄感や爽快感、自己肯定感が醸成される。つまりは、自分にとって心地良い好ましい規範が育つ。そしてそれが、「思いやり」や「助け合い」という出力行為の原動力になる。ソコが体感出来れば、所業がもたらされた訳にもおもんばかることが出来るかもしれない。

 そんなもの!と貴方は言うかもしれない。けれど、わたくしはこう思う。人間(動物)の身体的構造は、大変似通っている。だから、心(脳の働き)も実は、その機能は個性はあれども似通う。よって、ルール(法律)が似通うのだ、と。

 最後に、なぜこんなことをダラダラ書いたか。

 例え人に評価されなくとも、例え誰が貴方の善行を見ていなくとも、心地良さや爽快感という羅針盤に従って規範意識を醸成することで、心が鍛えられる、心の隅々まで栄養が行き届くのだよ、と。そうすれば、心にダメージを負っても、荒むことは回避出来るかもしれない。そしてその過程なり課程を踏んだことが、人を、自分を許す気持ちの醸成に、果ては浄化に、繋がるかもしれない。だから、です。

 羅針盤は、心が清々しい状態。いわんや荒んでも、回復する免疫力。是非育てていきたいですね。


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