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【オードリー&日向坂46】努力と運命の掛け算が生んだ私たちの希望

成功の要因は努力か運か

成功するための一番大きなファクターは何だろうか、と、大きな成功を収めたことのない私はよく考えます。何をもって「成功」と考えるかは人によって違うとは思いますが・・・・

私がよくnoteでとりあげる「オードリー」と「日向坂46」は私だけでなく多くの人が大成功を収めていると考えることでしょう。

「オードリー」も「日向坂46」も間違いなく物凄い努力をしています。
でも、努力している人は他にもたくさんいるわけです。そうすると、

「運」

の要素についても考えざるを得ないのです。努力と気迫で運を引き寄せたのかもしれませんが、今回は彼ら彼女らにどのような「強運」が舞い降りたのかについて考えてみたいと思います。

日向坂46の"ビッグバン"は長濱ねるの母親

けやき坂46誕生の経緯

日向坂46はかつて「けやき坂46(通称:ひらがなけやき)」と呼ばれていました。

このひらがなけやきから日向坂46が誕生する経緯については公式HPに詳しく書いてあります。



・2015年8月、欅坂46の最終審査に参加する予定だった長濱ねるは、母親に反対され、地元・長崎へと連れ戻されてしまいます。泣き続ける娘を見かねた父親が運営に連絡、運営側はオーディションの評価が高かった長濱ねるの欅坂46への追加加入を検討し始めます。

・「欅って、書けない?」2015年11月30日の放送で長濱ねるが初登場。漢字ではなくひらがなの「けやき坂46」が新設され、まずは「けやき坂46」として活動を始める事が発表されました。

・その後、長濱ねるは漢字欅とひらがなけやきの兼任メンバーとなるも、ひらがなけやきの活動が多忙になり、体調面を考慮して欅坂46専任になりました。

・・・・という経緯です。

その後、けやき坂46(日向坂46)の主に1期、2期のメンバーは物凄い努力をして今の日向坂46の人気の礎を築いてきました。

でも、そもそも日向坂46(けやき坂46)という活動母体がないと、活動しようがないわけです。その活動の場は秋元康やSeed&Flower合同会社の人が企画したのではなく、長濱ねるの母親が芸能界入りに反対して、オーディションの最終審査に参加させなかったことがきっかけになっているところが面白いと思います。

長濱ねるが最終審査を普通に受けて合格していたら、現在日向坂46で活躍しているメンバーはどうなっていたのでしょうか。芸能界に入っていなかった可能性も高いのではないかと思います。

ひらながけやきの躍進、日向坂46への改名

けやき坂46には、飛躍の契機となった出来事がいくつかありました。有名なところで言えば、2018年の1月30日から2月1日の3日間、欅坂46とけやき坂46で合同で行う予定だった日本武道館公演が、諸事情によりひらがなの3days公演となりました。

ひらがなけやきのメンバーにとっては青天の霹靂です。突然の大きな舞台に不安を抱えながらのリハーサルの中、なんとチケットが即完。

「私たちにも待っててくれる人がいる」と不安を振り払い、単独3days公演を大成功で終えることができました。この日本武道館公演の最終日にサプライズとしてひらがなけやき単独アルバムのリリースが発表されました。

その後、人気が上がっていったけやき坂46は2019年に、日向坂46に改名、その年の紅白歌合戦に初出場を果たします。

ですが、2020年、コロナの時代に入り、目標としてきた東京ドーム公演は何度も延期となります。おひさま(ファン)との接点が失われていくことにメンバーは苦しみました。そのあたりの経緯は今月DVDが発売されるドキュメンタリー映画『希望と絶望』で詳しく知ることができます。

私個人としては2021年、小坂菜緒さんの休業が発表されたときはかなり焦りました。もしかしたら、このまま戻らずに卒業してしまうのではないか、と思ったのです。本当に復帰してくれたことに感謝です。

しかし、今となってみればコロナの時代になったことも日向坂46の人気が高まった一つの要因かもしれないとも感じています。

日向坂46の代名詞ともいえる『ハッピーオーラ』が人とのつながり少なくなったコロナの時代にマッチしたのでは、と思うのです。


春日の「ツッコミ下手」が生んだ『ズレ漫才』

オードリーがここまで売れるようになったのにはどのような「運」が働いているでしょうか。

同じ学校で出会い、お互いを選ぶ必要がある

まず、彼らは日大二中・二高の同級生ですので、二人とも日大二中に合格しないとオードリーは結成されていなかったということになります。
同級生どうしで組んだコンビで有名なところと言えば、

  • ダウンタウン(尼崎の小学校、中学校)

  • とんねるず(帝京高校)

  • 爆笑問題(日大藝術学部)

  • くりぃむしちゅー(熊本県立済々黌高校)

  • サンドウィッチマン(仙台商業高等学校)

  • アンガールズ(広島大学)

などがあります。同学年のコンビをあげましたが、例えばナインティナインのように同じ学校の先輩・後輩というコンビもたくさんあります。吉本だとNSCで出会ってコンビを組むというパターンが多いですね。

オードリーは若林が春日を誘うことで結成されました。春日はもともとお笑いには興味がありましたが、テレビ局でバラエティ番組のプロデューサーになりたかったそうです。

若林は、相方として春日だけを考えていたわけではありません。他にもお笑いに興味のある同級生に声をかけたこともあったようです。もしも別の人と先にコンビになっていたら、又は若林・春日の仲の良い同級生の谷口大輔さん(現・水上印刷株式会社取締役)も含めたトリオとして活動していたら、今のオードリーは誕生してませんでした。

1997年、日大二高の卒業式の日

春日のツッコミが下手である必要がある 笑

オードリーはもともと「ナイスミドル」というコンビ名でした。そして今とは逆で春日がツッコミでした。しかし、なかなか売れなかったのです。
主な原因は春日のツッコミが下手だったことです。
若林は自分たちの漫才の映像を分析してあることに気が付きます。

若林が春日のツッコミが下手なことを指摘したときに、笑いが起きているのです。それならば、それをそのまま漫才にすれよいのでは?ということを思いつきました。そうしてできたのが『ズレ漫才』です。

若林が言ったことに対して春日が下手なツッコミをする、それに対して若林がもう一回、春日に『それ、おかしいだろ!』ってツッコミを入れる。この型を編み出して、彼らはM-1で準優勝することができました。

このフォーマットできっと成功すると事前に予言した人がいます。
コント赤信号のリーダー、渡辺正行さんです。彼が主催する若手芸人のためのライブでオードリーのズレ漫才をみて、

『これはM-1の決勝に行ける漫才だよ。一緒に頑張ろう。』

と2人を激励しました。若林は感動して泣きながらバイクに乗って家まで帰りました。オードリーは渡辺正行の予言通り、2008年のM-1で敗者復活から決勝に進出し、準優勝という結果を出すことができたのです。

ズレ漫才はもともとは『春日のツッコミが下手である』という短所を長所に変える発想で生み出されたものです。もし、最初から春日がボケだったら、あるいは春日のツッコミが上手だったとしたら今のオードリーのような成功はなかったことでしょう。

本当に運がよかったと思います。


『日向坂で会いましょう』の収録で会いましょう

オードリーと日向坂46は冠番組「日向坂で会いましょう」で共演しています。月1回程度、TMC(東京メディアセンター)で3本撮りを行っています。ちなみにこのスタジオは、春日が通っていた日本大学商学部キャンパスのすぐ近くにあります。

9月に行われた収録の際には、『じゃないとオードリー』も同時に撮影していたので、普段、ひなあいがどのような感じで収録されているのかよくわかりました。

坂道グループで最も勢いのある日向坂46とテレビ年間出演本数ランキングで2人ともトップ10に入るオードリーが共演している番組です。テレビ東京の深夜番組にしておくのがもったいない感じもしますが、深夜だからこそ終わらずに続けられているのかもしれませんね 笑

運を味方につけたオードリーと日向坂46が出演する番組を観ると、こっちまで開運されるような気がしてきます


大きく成功するためには、運も必要です。
華々しく活躍しているオードリーと日向坂46を見て羨ましくも思いますが、彼らが私たちの見えないところで何度も涙を流し、長年にわたって努力し続けてきたことを忘れてはいけません。決して運だけで上り詰めたわけではないのです

結局のところ、私たちにできることは運を引き寄せてしまうほどに自分の好きなことに夢中になって取り組むことだけのような気がします。

あなたも自分の専門分野を極めればいつか成功して有名になり、オードリーや日向坂46に知られる日が来るかもしれませんよ。

以上です。

P.S.
オードリーと日向坂46についてはマガジンにもまとめてあります。
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