現象を議論する事で、本質から目が逸れる
自覚ですが、
現象などの現れを通して、
それを現す「わたし」(本当は何でもいい)を知る事。
その「わたし」も顕れであるかもしれません。
饅頭に真理を見るのではなく、
饅頭を見たら、饅頭の製造機もしくは、製造者がいるという事を知る事。
そこに理屈がいりますか?
それを無視するから、饅頭ガチャみたいな話に議論が集中していまいます。
饅頭製造機を自分で確かめればいいのに、饅頭の製造機についてメーカーの話ではなく、ちょっと詳しい方の話を聞きますか?
開発者に話を聞いたら理解できますか?
まずい饅頭をたくさん食べる羽目になっている時、饅頭に問題を見て、感情的になる。
「もう饅頭は見たくない!(怒)」
「なんで私ばかり、まずい饅頭ばかり食べさせられるのか」
それが、多くの人間ではないでしょうか。
饅頭のせいにしている時、思考停止していませんか。
答えは書きませんが、饅頭が、目の前にあるという事は・・・?
誰にでもわかる簡単な事ではないでしょうか。
しかし、人間の社会はそれを無視して、饅頭を議論します。
AmazonのQ&Aのように、
私は、使ったことありませんが、・・・だと思います。
というAnswer
こんな調子の方が、多いのでしょうか・・・
この地球の闇をAmazonのQ&Aやyahoo知恵袋などに見ます(笑)
答えにたどり着くカギは、身近にあります。
今、知る事ができるそれを今、知る。
これを繰り返すなら、10年後、全く違う境地にいるでしょう。
有るか無いかわからない知識より、今、在ると言い切れるもの。
それが、常住不断の理解に繋がっていく事になります。
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