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【おもしろいの正体:12】人がおもしろいと思うものならおもしろいと思う困った風潮。

人が投票しそうな人に
投票する心理。

ランキングの話でもうひとつ。
ケインズの美人投票ってのがあって、
株の投資の話で出てくる用語なんですが、

美人コンテストで
「投票した人が優勝すると賞金がもらえる」
ってなったとき人はどうするか。

すると人は自分が美人だと思う人ではなく
「みんなが投票する、
 優勝しそうと思う人に投票する」
という話。

これ、いまコンテンツを作る側の気分に
すごく似ていて、つまり

自分がおもしろいと思うものが
正解ではなく、
一人でも多くの人がおもしろいと
思うであろうものを作ろうとする。

これは仕事としてはすごく大きなことです。
一人でも多くの人に
受け入れてもらわなきゃいけないので。

で、同時にこれは
「失敗しないためにどうするか」
という話でもあって、
これが「飛び抜けたものが生まれない」
大きな理由でもあります。

発信する時点では、
全てが予測である。

それがクリエイティブの前提です。
ということはかなりギャンブルなんですね。

なので、人によって
リスクは高いけど勝負に行くというタイプと、
とにかく安全に利益を出したい
というタイプがいるのも当然です。

そこにはかなりの責任が伴う。
となるとどうしても危険は回避したい。

好きでやってるんじゃなくて仕事だ
という意識が強ければ、なおさらです。

さらに最近はとにかく危険が多い。
コンプラにポリコレに、

ちょっとしたことで炎上するし、
とにかく叩かれやすい。

危険を察知しまくっていたら何が残るのか。
っていうくらいだと思います。

「そこまで言わなきゃ
わかんないのこの子は!」問題

思いっきり表現できない。
正直な気持ちをぶつけられない。

結局、失敗しないために過保護に育てすぎて
大変なことになっちゃってるという話です。

作り手は「見る側がついてこれないだろう」と
思い込んでる。そして受け手は
「ちゃんと説明してくれないと理解できない」
「理解できないのは作り手が悪いから」

と平気で言う。それが当たり前になっている。

そもそも真剣に見てくれるはずもないので、
受け手の理解力に頼るんではダメだと思います。
それは今も昔も変わらない。

でも昔はもうちょっと
「わからないならわかろうとする」人がいた。

わからないものこそ面白い、という話を
前にしたと思いますが、
まあ、そういうことを置いといても、
人が「自分でわかろうとしない」ように
なってきたと感じています。

送り手の側の甘やかしが原因ですね。
喋っている言葉に全てスーパーを入れる。
耳の不自由な方への配慮もあるのでしょうが、

過剰に丁寧に説明されることに
慣れてしまっている。

丁寧すぎるくらいじゃないと
不親切に感じてしまう。

テレビが顕著だと思いますが、
そこまでレベルを下げるかという言い回し、
まるで全ての言葉に
ふりがな振ってるみたいな感じ
です。

それによって
「想像し、本質を理解しようとする意欲」
失われてしまっています。

それは能力の低下というよりは、
そういう関わり方に慣れてしまって、
読み取ろうとしなくなっているんだと思います。

そうして送り手と受け手の両方が
冒険しなくなった結果、
表現はどんどん平易になっています。

いわゆるベタな表現ってやつですね。
それ自体決して嫌いではありませんが、
作り方がカンタンとも言えるので、
そこに逃げる傾向も多く見られます。

ということで次回は

【おもしろいの正体:13】ベタなおもしろさはおもしろいのか。

気が向いたら、また遊びに来てください。

いつも「おもしろい」を探してるクリエイターへ



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